Vol.560-5/5 われを美しくする生き方。<史跡探訪-瀬戸大橋の入口編-05:綾川町羽床> | akijii(あきジイ)Walking & Potteringフォト日記

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「凡に中なる、これ非凡なり」(論語)、「何事も自分に始まり、自分に終わる。自分を救う道は自分以外ない」(夏目漱石の言葉)を座右の銘に、我流(感性だけ)の写真を添えて日記を綴る。

Vol.560-4/5に続けてご覧ください。

 

<探訪史跡-2:羽床上城跡

城主は羽床氏麾下の今滝五郎左衛門と伝えられ、羽床上城(はゆかかみじょう)は八坂神社が祀られている微丘陵に築かれていた。丘陵は北西と南東がやや高く鞍部で繋がっており、北西側に八坂神社が祀られている。

 

▼八坂神社(羽床上城跡)-1

 

▼八坂神社(羽床上城跡)-2

 

▼八坂神社(羽床上城跡)-3

▼八坂神社(羽床上城跡)-4

 

▼八坂神社(羽床上城跡)-5

 

▼八坂神社(羽床上城跡)-6

 

▼八坂神社(羽床上城跡)-7、上り石段口まで戻る-1

▼上り石段口まで戻る-2

 

▼上り石段口まで戻る-3

 

▼八坂神社(羽床上城跡)への上り石段口まで戻った、荒神社(羽床上)へ向けスタート

 

 

<歩きメモ>

▼荒神社(羽床上)へ向かう-1

 

▼道先案内をして頂いた奥さん宅に向かって御礼(ズーム) 荒神社(羽床上)へ向かう-2

 

▼荒神社(羽床上)へ向かう-3、今滝川沿いに北上-1

 

▼今滝川沿いに北上-2:反射鏡にマーキング、今滝川沿いの満開の桜

 

▼荒神社(羽床上)へ向かう-4、左(西北)に堤山・右奥に飯野山

 

▼荒神社(羽床上)へ向かう-5:三叉交点を右折、直ぐに左折

 

▼正面に荒神社(羽床上)が見えてきた、右側に立派な桜

 

▼荒神社(羽床上)

昭和二十九年三月二十日綾歌郡旧羽床上村字池谷二千七百十八番地の村有林四反六畝十四歩を高橋自治会の山林として買受ける物なり。昭和四十五年より全国的に松食い虫の発生によりわが山林も壊滅状態となり、又同辺の民家溜池等に被害を及ぼし危険な状態になれり。よって昭和五十九年三月十日山林を売却するの止むなきに至れり。その資金により高橋集会場に佛檀を購入並に荒神社の備品を購入奉納する物なり。列記二十四名の地権者の御奇特の賜なり。

よって記念碑を建立し 厚恩に報ゆるものなり。昭和五十九年四月吉日建之    (境内祈念碑より)

 

 

▼ことでん羽床駅へ戻る、国道377号線の交点を左折

 

▼国道377号線を西北に進む-1、琴平12㎞、綾歌5㎞の標識

 

▼バス停「井手下(いでした)」、左に大高見峰と右に猫山

 

▼堤山と県道278号線の道路標識、左に羽床城跡の城山

 

▼バス停「羽床下(はゆかしも)」、国道377号線を西北に進む-2

▼羽床小他の方向標識板、バス停「羽床小学校前」

 

▼羽床簡易郵便局、バス停「堤下(つつました)

 

▼左に堤山(羽床富士)、国道377号線を右折

 

▼ことでん羽床駅へ-1

 

▼ことでん羽床駅へ-2、左奥は国道377号線の高架橋

▼ことでん羽床駅と国道377号線の高架橋-1 ことでん羽床駅に着いた

 

▼ことでん羽床駅と国道377号線の高架橋-2 ことでん羽床駅から帰宅の途に就いた

 

 

▶▶▶▶▶▶ 今報了◀◀◀◀◀◀