Vol.560-3/5 われを美しくする生き方。<史跡探訪-瀬戸大橋の入口編-05:綾川町羽床> | akijii(あきジイ)Walking & Potteringフォト日記

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「凡に中なる、これ非凡なり」(論語)、「何事も自分に始まり、自分に終わる。自分を救う道は自分以外ない」(夏目漱石の言葉)を座右の銘に、我流(感性だけ)の写真を添えて日記を綴る。

Vol.560-2/5に続けてご覧ください。

 

▼羽床城址の説明板

 

▼綾乃里之墓、長尾家の墓所

 

▼本丸跡へ向かう、羽床城二の丸跡に着いた

 

▼羽床城二の丸跡、二の丸櫓台に祀られた社

 

▼羽床氏を祀った社、羽床城址碑

 

▼羽床城虎口の跡

 

▼羽床城の本丸跡

 

▼羽床城:東口へ下山-1

 

▼羽床城:東口へ下山-2、本丸跡の土塁-1

 

▼本丸跡の土塁-2

 

▼本丸跡の土塁-3

▼羽床城:東口へ下山-3

 

▼羽床城:東口へ下山-4

 

▼羽床城:東口へ下山-5

 

▼「羽床城あと」掲示板、羽床城址:東口の説明板

 

 

<歩きメモ>

▼本法寺へ向かう-1

 

▼左(西北)奥に羽床城跡、本法寺へ向かう-2

 

▼本法寺の寺標が見えた、本法寺-1

天文十五年(1546)羽床伊豆守資載の内室(本法院)が建立した。内室は、西長尾城主長尾大隅守の娘であり、法華宗の高僧日伝上人を師として仏門に入り、法華経の教えを深く信じ、三宝に帰依して朝に夕に伊豆守の武運長久と国土豊饒を祈った。本法寺を創建してからは、先亡後滅の霊神に供え、誦経唱題怠りなかったと伝えられる。天正十四年(1586)没、墓は本堂の東方にある。(俗名キヌ) 天正十六年長尾右衛門太夫が、大本山本能寺第九世の日衍(にちえん)上人より御本尊を授かり、現在に至っている。

▼本法寺-2

 

▼羽床資載内室キヌの墓-1

 

▼羽床資載内室キヌの墓-2

 

▼八坂神社(羽床上城跡)へ向かう、羽床城跡登り口(東口)近くへ戻る-1

 

▼本法寺を振り返る、羽床城跡登り口(東口)近くへ戻る-2

 

▼羽床城跡登り口(東口)が見えてきた、交点を左折

 

▼山間の地域を進む:南方向 小川の岸の枝垂れ桜

ここから八坂神社まで山間の地域を登坂降坂して進んで行く。

 

▼小川沿いを南下:前方に雪柳・レンギョ・花桃、小川を渡る

 

▼民家の間を西に進む、一般道交点を左折し南進

 

▼交点の右奥の畑の桃、一般道を南下-1

 

▼一般道を南下-2、一般道を左折

 

▼橋を渡る、山道を北へ登坂-1

 

▼山道を北へ登坂-2、角を右へ

 

▼左(西北)奥に堤山、山道を東へ進む

 

▼山道を東へ降坂-1、左側の枝垂れ桜

 

▼山道を東へ降坂-2

 

 

引き続き、Vol.560-4/5をご覧ください。