Vol.560-2/5 われを美しくする生き方。<史跡探訪-瀬戸大橋の入口編-05:綾川町羽床> | akijii(あきジイ)Walking & Potteringフォト日記

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「凡に中なる、これ非凡なり」(論語)、「何事も自分に始まり、自分に終わる。自分を救う道は自分以外ない」(夏目漱石の言葉)を座右の銘に、我流(感性だけ)の写真を添えて日記を綴る。

Vol.560-1/5に続けてご覧ください。

 

<さぬき史跡探訪シリーズ-瀬戸大橋の入口:05く綾歌郡綾川町羽床>

 

綾歌郡綾川町羽床の史跡探訪の主たる狙いは、羽床城跡と羽床上城跡を訪れることである。

 

探訪ルートと探訪史跡ルート総歩数 9,740

▼探訪ルート図、羽床城跡

 

▼本法寺、八坂神社(羽床上城跡)

 

 

<歩きメモ>

▼国分寺コミバス北部コミセンバス停で乗車、ことでん岡本駅バス停で下車

 

▼ことでん岡本駅で乗車、ことでん羽床駅で降車

 

綾歌郡綾川町羽床-ルート3Ⅾ略図

▼ことでん羽床駅をスタート、県道278号線交点へ向かう

 

▼一般道を東南へ進む、進路を南へ変える

 

▼一般道を南へ進む-1、国道377号線を南に横断

 

▼一般道を南へ進む-2、一般道を左折し東南へ進路を変える

 

▼一般道を東南に進む:堤バス停、一般道を東南に進む-1

 

▼一般道を東南に進む:堤山登山道入口の標示、堤山登山道入口の標示板

 

▼一般道を東南に進む-2

 

▼反射鏡にマーキング、一般道を東南に進む:羽床小学校が近い

 

▼羽床小学校

 

▼一般道を東南に進む-3

 

▼一般道を東南に進む-4

 

▼一般道を東南に進む:道の左側にビオラ、道の右側に桜

 

▼一般道を東南に進む-5、道の左側にビオラ

 

▼右折して県道278号線交点へ、県道278号線交点が見えてきた

 

▼県道278号線交点に着いた、カフェレスト田園でトイレ休憩

 

▼田園のクリスマスローズ、紅マンサク

 

▼田園を出発、羽床城跡へ向かう-1

 

▼羽床城跡への石標

 

▼羽床城跡へ向かう-2、次を左折

 

▼一般道を東南へ進む、右側に羽床城跡の表示板が見えてきた

 

 

<探訪史跡-1:羽床城跡

築城年代は定かではないが治承年間(1177年~1181)羽床資高によって築かれたと云われる。

羽床氏は讃岐藤家の嫡流であったが、承久の乱で後鳥羽上皇に組みして敗れ、その地位を勝賀城の香西氏に奪われた。天正7(1579)長宗我部氏が讃岐に侵攻してくると八度の合戦の末籠城となり、長宗我部元親の使者としてやって来た天霧城主香川信景の説得により降伏開城、羽床資載はそれ以降長宗我部氏に従って各地を転戦した。天正10(1582)資載は十河城攻めの陣中で病死すると、人質となっていた資吉が家督を継いだ。豊臣秀吉の島津征伐で、弥三郎資吉が先鋒を担い、天正1412月、豊後国戸次川の合戦で討死し、羽床氏の嫡流は断絶、羽床城も廃城となった。

城は中世の典型的な平山城で、本丸、二の丸のほかいくつかの郭を区画する土塁と空濠の遺構が明確に確認できる。精密な調査はされていないが、周辺には古墳が群集している上、城跡からは管玉も発見されており、古墳の上に築かれた中世の城であり、古墳時代から中世にわたる貴重な史跡である。

 

▼羽床城跡(本丸)への登り口:北口、羽床城跡へ登る-1

 

▼羽床城跡へ登る-2

 

▼竹籔、羽床城跡へ登る-3

 

▼水の手曲輪、お姫様が顔を洗った井戸

 

▼羽床城跡へ登る-4

 

▼羽床城跡へ登る-5、本丸跡へ130mの標識板

 

▼羽床城跡へ登る-6

 

▼羽床城跡へ登る:二の丸跡の土塁、羽床城址の石碑

 

 

引き続き、Vol.560-3/5をご覧ください。