Vol.557-3/4に続けてご覧ください。
<探訪史跡-2:爺が松古墳>
国道11号線沿いにあり坂出地方では最古の古墳。前方後円墳らしいが、草が生い茂っていて、外観が分からなかった。爺が松古墳の特徴は➀古墳時代前期に築造された前方後円墳である②全長50m程度の規模である③前方部は土で築き、後円部は積石で築かれる④二段に構築された後円部に、安山岩を小口積みにした竪穴式石室がある⑤竪穴式石室の規模は、長さ5.7m、幅1m、深さ1.3mで、天井石の一部を失っているとのことだ。
▼爺ケ松遺跡の説明板、爺ケ松遺跡へ-1
▼爺ケ松遺跡へ-2
▼爺ケ松遺跡へ-3
▼爺ケ松遺跡-1
▼爺ケ松遺跡-2
▼爺ケ松遺跡-3
▼爺ケ松遺跡-4
▼国道11号線西庄町交差点へ戻る-1
▼11号線西庄町交差点へ戻る-2、左奥に県道189号線沿いのお堂が見える
▼国道11号線西庄町交差点へ戻る-3
▼国道11号線西庄町交差点へ戻る-4、交差点に戻った
▼白峰宮へ向かう-1
▼聖福院跡を通過、右(東)前方に五色台が見える
▼白峰宮へ向かう-2
▼白峰宮へ向かう-3
▼白峰宮へ向かう-4
▼白峰宮へ向かう-5
▼白峰宮へ向かう-6、白峰宮に着いた
▼白峰宮-1
保元の乱(1156年)によって讃岐国へ配流された崇徳上皇は、長寛2年(1164年)に崩御するまでの9年間を讃岐で過ごした。上皇の崩御後、遺体を当地の清水に浸しておいたところ毎夜この辺りから神光が輝いたことから、二条天皇の宣旨を受け長寛2年(1164年)に造営されたと伝える。白峰宮の三ツ鳥居(三輪鳥居)から社殿に向かう参道の両脇に天皇寺高照院の境内がある。樹齢約500年とみられるクスノキが境内に聳え、神木として崇められている。「香川の保存木」にも指定されている。
▼白峰宮-2
▼八十蘇場の清水へ向かう-1
▼八十蘇場の清水へ向かう-2
▼八十場地蔵堂
▼八十蘇場の清水-1(標高15m)
八十蘇場の清水は、崇徳上皇の伝説の他にも、伝説を残す湧水である。
▼八十蘇場の清水-2
▼JR八十場駅へ向かう-1
▼JR八十場駅へ向かう-2
▼左に岩根の桜
▼JR八十場駅へ向かう-3
▼JR八十場駅へ向かう-4、JR八十場駅が見えた
▼JR八十場駅に着いた、八十場駅から帰宅の途に就いた
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