Vol.556-2/5 持ち過ぎである。<史跡探訪-瀬戸大橋の入口編-01:坂出市京町・八幡町> | akijii(あきジイ)Walking & Potteringフォト日記

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「凡に中なる、これ非凡なり」(論語)、「何事も自分に始まり、自分に終わる。自分を救う道は自分以外ない」(夏目漱石の言葉)を座右の銘に、我流(感性だけ)の写真を添えて日記を綴る。

Vol.556-1/5に続けてご覧ください。

 

<さぬき史跡探訪シリーズ-瀬戸大橋の入口:01く坂出市京町、八幡町>

 

坂出市京町・八幡町の史跡探訪の主たる狙いは、坂出人工土地、菅原神社・阪出墾田之碑と両景橋と二十四輩御霊場・田尾茶臼山古墳を訪れることである。

 

探訪ルートと探訪史跡ルート総歩数15,250

▼探訪ルート図、坂出人工土地

 

▼菅原神社・阪出墾田之碑、両景橋

 

▼二十四輩御霊場、田尾茶臼山古墳

 

 

<歩きメモ>

JR端岡駅を出発、JR坂出駅で下車

 

坂出市京町、八幡町-ルート3Ⅾ略図

▼坂出駅前の久米通賢翁と入浜式塩田、坂出人工土地へ向かう

 

▼県道19号線(駅前通商店街)を北上

 

▼元町・京町の交点を右折(右角に塩の彫刻) 塩の彫刻「海の女神」

 

 

<探訪史跡-1:坂出人工土地>

京町に存在する約1.2haほどあるコンクリート地盤土地の名称で、正式な名称は坂出市営京町団地である。事業名は清浜亀島住宅地区改良事業で、DOCOMOMO JAPAN選定 日本におけるモダン・ムーブメントの建築に選出あれた。香川県出身で丹下健三の協力者でもあった浅田孝らが中心となって1962年に構想される。メタボリズムグループの建築家・大高正人の設計によって、1968年から4期に分けて、1986年にすべて完成した。分厚いコンクリートの地盤を築き、その下には市民ホールと商店街、駐車場を整備、地盤上には集合住宅や公園を整備しており、市街地開発の新たなモデルとして当時話題を呼んだ斬新な建築物であるが、メンテナンス不届きで老朽化が進行している。

 

▼人工土地の石碑、1階部の壁面

 

▼県道19号線沿いの商店街:南から観る、北から観る

 

▼京町二丁目と一丁目の堺の道路、京町二丁目の商店街

 

1階の商店街ゾーン-1

 

1階の商店街ゾーン-2

 

2階以上の住宅ゾーンへ、2階以上の住宅ゾーン-1

2階以上の住宅ゾーン-2

 

2階以上の住宅ゾーン-3

 

2階以上の住宅ゾーン-4

▼市民ホール

 

▼広場

 

 

<歩きメモ>

▼菅原神社へ向かう-県道19号線を北へ、坂出商工会館の手前を右折

 

▼左奥に見えてきた、菅原神社(坂出天満宮)に着いた

 

 

<探訪史跡-2:阪出墾田之碑(菅原神社)

菅原神社境内にある碑で、通賢が全身全霊をかけ取り組んだ「塩田事業」は約35カ月という短期間で完成した。「久米式塩田」と呼ばれ、日本一の塩の生産が可能となった。石碑は1829(文政12)年、藩主が坂出墾田を記念して建立したものであるが、書は「楷書日本一」とうたわれた加賀藩士・市河米庵(いちかわべいあん)、彫りは江戸の名工によるものである。

 

▼菅原神社-境内

 

▼菅原神社-手水舎、拝殿と牛の像

 

▼菅原神社-拝殿の扁額、由緒

 

▼粟島神社-全景、由緒

 

▼阪出墾田之碑-1

 

▼阪出墾田之碑-2、碑の説明板

 

▼阪出墾田之碑と菅原神社の本殿、菅原神社:東から見る全景

 

 

引き続き、Vol.556-3/5をご覧ください。