Vol.552-2/4に続けてご覧ください。
<歩行メモ>
▼吉岡神社へ向かう、青ノ山保育所
▼青の山ふれおいの森の案内板、田潮八幡神社の鳥居まで戻る-1
▼左(西南)方向に五岳山と天霧山、田潮八幡神社の鳥居まで戻る-2
▼田潮八幡神社の鳥居まで戻る-3 、鳥居まで戻った
▼田潮八幡神社の前の交点を左折(南下) 、土器町東四丁目の住宅街を南へ進む-1
▼土器町東四丁目の住宅街を南へ進む-2
▼土器青葉団地を南へ進む
▼次を左折、土器青葉団地を東へ進む-1
▼土器青葉団地を東へ進む-2
▼雁又池と飯野山
▼雁又池の北側の道を東へ進む
▼吉岡神社が鎮座している丘陵、雁又池の北側の道を東から南へ進路を変える
▼丘陵沿いの西側の道を南下-1
▼丘陵沿いの西側の道を南下-2
▼日尭聖人・日了聖人御墓所-1
▼日尭聖人・日了聖人御墓所-2
▼丘陵沿いの西側の道を南下-3
▼県道193号線の交点を左折、県道193号線を東へ進む-1
▼県道193号線を東へ進む-2
▼左(北)方向の青ノ山の手前の丘陵に吉岡神社が見える、右(南)側に飯野山が頭を出す
<探訪史跡-2:吉岡神社・吉岡神社古墳>
吉岡神社は、青ノ山の南西側に鎮座する。
84段の石階段には踊場があるのでそれほどはきつくはない。境内は広々としている。
拝殿や周囲の様子からすると、昔はもっと色々な建物があったのではないだろうか。
古くは、若皇子宮と称せられ、安政四年四月十三日より、社内鳴動すること三日間、同十九日神像出現しその背面に行方親王と記されてあった。説によれば、細川定禅の創祀とも、亦、源頼朝が讃岐の勅使に命じて熊野権現を祀らしめたとの説もあり。石ヶ鼻神社と称せられたが明治維新の際吉岡神社と改称された。神社建造物は、明治三十四年焼失し、同四十一年本殿、幣、拝殿を再建しその後老朽化に伴い、昭和四十四年 幣、拝殿を改築し現在に至る。<吉岡神社境内記念碑より>
吉岡神社前方後円墳は、本殿裏の鳥居をくぐり、古墳上部まで上ってみるが、草ボウボウで様子はよくわからなかった。 <丸亀市教育委員会の吉岡神社前方後円墳の掲示板を参照ください>
▼参道口の石灯籠
▼参道口から見る飯野山、参道-1
▼参道-2
▼参道-3
▼参道-4、鳥居と社号標
▼石階段-1
▼石階段-2
▼石階段-3(総段数84)
▼柱連柱と随神門、記念碑(由緒)
引き続き、Vol.552-4/4をご覧ください。