Vol.547-1/5に続けてご覧ください。
さぬき史跡探訪シリーズ-中讃編:03く善通寺市文京町、中村町>
善通寺市文京町、中村町の史跡探訪の主たる狙いは、善通寺市役所から東西一帯の陸軍第十一師団跡、騎兵連隊跡や旧練兵場遺跡の探索と、乃木神社・護国神社や乃木館、木熊野神社を訪れるためである。今回はマイチャリをJRの電車に輪行してポタリングで実施した。
<探訪ルートと探訪史跡>ルート総距離:8.5km
▼探訪ルート図、JR善通寺駅の跨線橋
▼JR善通寺駅の本屋、旧善通寺偕行社
▼乃木神社、香川県護国神社
▼乃木資料館、陸上自衛隊善通寺駐屯地
▼善通寺:南大門・五重塔、旧連兵場遺跡の一帯
▼木熊野神社、中村城跡
<リャリ走行メモ>
▼JR端岡駅からマイチャリを輪行して出発、JR善通寺駅で下車
<探訪史跡-1:JR善通寺駅>
国の登録有形文化財に登録されている。
1889年(明治22年)開業時からの木造駅舎に、1922年(大正11年)の陸軍大演習の際に車寄せ部分などが増築された。屋根は開業当初の切妻造から、1991年の改修で寄棟造になった。明治22年3月30日と記された建物財産標が存在するが、明治20年代の建物財産票を持つ現存する駅舎は、他に明治27年の播但線香呂駅、奥羽本線川部駅・津軽新城駅、明治29年の奈良線木幡駅などごく少数である。
▼ホームの上屋、ホームの上屋から跨線橋へ
▼跨線橋-外観
▼跨線橋-内部
▼1番ホーム、駅の遠景
▼本屋、県道209号線から見る駅
<リャリ走行メモ>
▼善通寺市文京町、中村町-ルート3Ⅾ略図
▼県道209号線沿いの瀬川酒店、瀬川酒店の全景(国指定登録有形文化財)
瀬川酒店は明治31年(1898年)に、丸尾酒店(琴平の榎井)の支店として始まり、大正6年(1917年)に棟上げをしたのが現在の建物で、母屋は本瓦葺き入母屋造りで、続いて北倉、西倉、東倉と増築された。5人いた男兄弟はみな戦争にとられ、17歳の時に家業を継いだ瀬川社長は女手ひとつで店を守ってきた。店は改造を重ねたが、どっしりした昔ながらの店構えは変わらず、今と昔が不思議な調和を見せている。
▼瀬川酒店の漆喰壁の主屋、海鼠(なまこ)壁の東蔵
▼瀬川酒店の鬼瓦
▼善通寺市役所
<探訪史跡-2:旧善通寺偕行社>
偕行社とは、明治10年(1877年)に創立された陸軍将校の親睦及び学術研究を目的とする団体の名称である。この偕行社が社交場として建設した建物にもその名が用いられたため、偕行社という名の建物は代表的な師団が開設された場所(全国)に存在していしたが、現存するものはとても少なくなった。明治29年に善通寺町に開設された第十一師団は、日清戦争後の陸軍拡張期に増設された6師団のうちの一つで、「旧善通寺偕行社」は、第十一師団の将校によって明治36年(1903年)5月に竣工した。
▼ルネサンス風の簡素な寄棟平屋建て
▼玄関に石造角柱の車寄せ
<リャリ走行メモ>
▼県道209号線を西南進-1、善通寺郵便局
▼輜重(しちょう)隊跡の石碑、県道209号線を西南進-2
輜重は、軍隊で前線に輸送補給するべき兵糧、被服、武器、弾薬などの軍需品の総称のことを言う。
▼善通寺市民会館、四国学院大学
▼騎兵連隊跡
騎兵隊第11連隊は輜重隊の西側に位置し、東西310m・南北305mの敷地を伴う。現在は敷地の大半が四国学院大学構内となっている。連隊本部は外壁がモルタル仕上げで、基本形態は輜重兵第11連隊本部と類似しており、昭和初期における連隊本部の共通性が推測できる。
▼県道209号線を西南進-3 、水尾写真館
JR善通寺駅から西へ伸びる大通りは善通寺への参道として、また陸軍11師団の兵営を結ぶ道として発展して来たが、現在でも通り沿いには往時の賑いを偲ばせる古い商家が幾つも残っている。
かつて騎兵連隊の正門が置かれていた場所の向かいに古い木造洋館が建っている。この建物は当地で80年以上も続く水尾写真館の店舗兼住宅として昭和2年に建てられた。(国登録)
▼県道24号線を北西進
▼赤門筋交点を右折、本郷通りを東北進
▼大川商店と新屋(しんや)
昭和12年築の和風建築で、鏝絵(こてえ)が見事な大川商店と、隣接する洋風の新屋との和洋館並列型の住宅となっている。(国登録)
▼大川商店、新屋
▼県道209号線の交点まだ戻る(ふじた病院前を通過)、赤門筋交点を左折
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▼県道24号線を南東進、県道209号線交点に戻った
▼四国学院大学2号館
旧陸軍第11師団兵舎棟(国登録)である。
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