Vol.492-1/3 天覆地載。<JR沿線を歩く-40:栗林公園北口駅~昭和町駅> | akijii(あきジイ)Walking & Potteringフォト日記

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「凡に中なる、これ非凡なり」(論語)、「何事も自分に始まり、自分に終わる。自分を救う道は自分以外ない」(夏目漱石の言葉)を座右の銘に、我流(感性だけ)の写真を添えて日記を綴る。

 

新居宮池の動静

層積雲に覆われる宮池。

 

 

沁みる言葉

天覆地載(天は覆い地は載せる)

 

天覆地載(てんぷくちさい)、これは「十七条憲法」(聖徳太子が作った)の第三条に出る言葉だ。

三に曰く、詔を承りては必ず謹め、----。天覆い、地載せて、四の時順り行き、万気通ずるを得るなり。地天を覆わんと欲せば、則ち壊るることを致さんのみ。()

 

原意はさておき、天空は覆うものであり、大地は載せるもの----

こうした天地のあり方は、自然の姿そのものだろう。

 

何を今更、当たり前ではないかと、思われるだろうが、その当たり前が曲者(くせもの)らしい。

いま、「自然」が世界のテーマになっているが、人は自然の中の生活者という当たり前から遠い所に居るのかと自問するが、遠かろうが近かろうが、自然の中で生活をしていることには変わりはない。

私たちは、何か間違っていやしないか。

人の世は、平等ではない。能力も違えば、地位や待遇も異なる。与えられた寿命も容姿も、また、運不運においても同じではない。そこに、多くの悲哀と愉悦があり、そして、つまらぬ傲岸(ごうがん)さえもある。しかし、ともかくも、人はそこで格闘しなければ、与えられた人生を濃密に生きる事はできない。

 

そんなときこそ思うべきだ、---- 自分は、大いなる自然の中に生きるものだということを。

その天覆地載の空間は、人の世のあらゆる不平等を包含し、すべてを「小さきいのち」と括っている。

 

 

Walking & Potteringの風景

細川家住宅-入口、南と東側に開口部(さぬき市多和)

 

昼寝城址-案内板、入口の標識(さぬき市前山)

 

昼寝城址-西の曲輪、西の曲輪の杜(さぬき市前山)

 

正一多和神社-全景、鳥居と社殿(さぬき市前山)

 

前山ダム湖、道の駅ながお(さぬき市前山)

 

おへんろ交流サロン・へんろ資料館(さぬき市前山)、市畑(さぬき市長尾西)

 

 

 

Flower arrangement

 

 

 

頭上に広がる空間、空(そら)

 

 

A seasonal flower 

善通寺市前池いていたオニバス

 

オニバス(鬼蓮)は、スイレン科の一年生の水生植物である。浮水性の水草であり、夏ごろに巨大な葉を水面に広げる。本種のみでオニバス属を構成する。アジア原産で、現在ではアジア東部とインドに見られる。日本では本州、四国、九州の湖沼や河川に生息していたが、環境改変にともなう減少が著しい。

8月から9月ごろに葉を突き破って花茎を伸ばし、紫色の花(開放花)を咲かせることもある。種子はやがて水底に沈むが、全てが翌年に発芽するとは限らず、数年から数十年休眠してから発芽することが知られている。

また冬季に水が干上がって種子が直接空気にふれる等の刺激が加わることで発芽が促されることも知られており、そのために自生地の状態によってはオニバスが多数見られる年と見られない年ができることがある。

 

ウォキングコスにいていた猩猩草(しょうじょうそう)

北アメリカが原産、「ユーフォルビア」の一種で、初雪草の仲間である。

花は810月頃にかけて開花する。秋に頭頂部の葉がオレンジ色に変わり、これがとても目立つ(花ではない)。葉っぱの形も面白く、茎葉を傷つけると白い乳液が出る。

 

 

ウォキングコスにいていたカエデドコロ(楓野老)

山地の林縁などに普通に見られる、ツル性の多年草で雌雄異株。葉は互生し卵心形、葉身は39裂し、中央裂片の先は尖るが他の裂片は鈍頭、葉柄は長く基部には小突起がある。上部の葉柄から花序を出し、雄花序は上向きにつき、花冠は平開する。雌花序は垂れ下がってつき、花柄のない翼のある果実の先に雌花がつく。蒴果は倒卵状円形で3翼があり、下垂した花序から上を向いてつく。花期は79月である。

 

 

 

akijiiの塗絵-(50)

今報桂浜です。

高知県を代表する景勝地のひとつで、よさこい節では月の名所として有名だが、あえて一日の期待がかかる朝日を浴びた様子を描いた。夕日よりも景色が鮮明に見える。

 

引き続き、Vol.492-2/3をご覧ください。