Vol.411-1/2に続けてご覧ください。
<さぬき/てつたび:ことでん駅周辺シリーズ>
16:《[長尾線] N17 長尾駅》
ことでんの長尾線は、高松市の瓦町駅とさぬき市の長尾駅とを結ぶ鉄道路線で、終点の長尾駅のすぐ東には四国霊場第87番札所の長尾寺があり、参拝路線としての性格を持っていたが、現在は高松の郊外路線である。ほぼ全線にわたって長尾街道が並行する。車両のラインカラーは緑色である。
長尾線の取材は、終点の長尾駅からスタートした。
<駅メモ、所在地、駅名標と駅舎&ホーム>
今はのどかな長尾駅が人また人また人で埋まったのは、1912(明治45)年4月30日に開業した高松電気軌道の開通式の時だ。1カ月遅れて沿線4カ所で開かれたが、当時の香川新報(四国新聞社の前身)によれば、駅舎の屋根には「祝開通」の電飾、駅前広場には大アーチ、周り一面に万国旗が吊り下げられ、電車はすべて満員、その発着のたびに音楽隊が演奏した。
駅の誘致合戦で火花を散らした門前町の商店主たちも頑張った。
東町がだんじりを仕立てれば、西町は笛や鼓や三味線のお囃子(はやし)で対抗した。両者の対立が深刻になり過ぎて当初の駅予定地は撤回され、600mも西に離れた現在地になった。そんな因縁の対決だから余計盛り上がる。
古刹(こさつ)長尾寺は秘蔵の宝物展、宇佐八幡では競馬大会。そこへ知事や国会議員らがやって来て、花火が何度も上がるから、盆と正月どころか1年分のお祭りをコップに入れてかき交ぜたくらいの騒ぎだった。それから100年超、出征兵士や復員軍人、お遍路に花見客、通勤通学者など沢山の人がこの駅前を通り過ぎた。
▼所在地図
▼駅名標とホームと電車
▼ホームと電車/白山とホームへ向かう電車
<周辺施設・地域メモ>
さぬき市立長尾小学校、長尾中学校や大川自動車本社、極楽寺などがある。
▼さぬき市立長尾小学校
▼長尾中学校
▼香川県立香川東部養護学校
▼大川自動車本社
▼宝蔵院・極楽寺(ほうぞういんごくらくじ)
真言宗大覚寺派、さぬき三十三観音霊場八番霊場で、草創の地はさぬき市石田東で、7世紀後半に創建されたと推定されている。その後、鴨部談議所へ移転、更に長尾東に移転した。現在地の長尾東で既に660年強になる。大門の仁王像は江戸時代初期に当時の住職が設置した石造のもので、非常に珍しく貴重な存在である。
▽大門
▽大門の仁王像
▽本尊(薬師如来立像)、本堂
▽阿弥陀堂など、鐘楼
▽三地蔵、桂洞法印の墓
<名所・旧跡(遺跡)>-- 四国霊場87番札所「長尾寺」
天台宗で開基は聖徳太子、行基菩薩とも伝えられ、本尊は聖観音である。
何度も戦火に遭いながらそのたびに再建した。伝説の長さ4mの大わらじが架かる山門前には鎌倉期の「経幢」2基(国重要文化財)ほか、静御前とその母の剃髪塚などがある。
正月恒例の三味線餅つき(2日)、大会陽と福奪(ふくばい)、力餅運搬競技(以上7日)など有名行事も多い。
▼山門・大わらじ
▼本堂、大師堂
▼経幢
▼静御前とその母の剃髪塚
<見もの・聞きもの>
◇結願亭
旧百十四銀行長尾支店の建物を店舗にした店構えが目を引く。うどんの通販が主力だが、東部森林組合とタイアップした「ヒノキボール」の枕と座布団、ツボ押し枕など地元の素材を使った開発商品が期待を担う。この場所と建物を生かす商品で町を活性化したい…と元気だ。
◇長尾駅前の「かっしゃ焼き」
長尾駅前は讃岐B級グルメグランプリの「かっしゃ焼き」発祥の地である。
昭和の終わりに駅前でたこ焼き屋を営んだ「原田のおばちゃん」が具のタコをカレー味の鶏肉に替えて売り出し繁昌した。のれんは「かしわ焼き」だったが、子供達はスピード感を加えて「かっしゃ焼き」と発音した。
◇幻の駅舎予定地
現在の長尾駅は、さぬき市長尾地区でもかなり西に位置している。長尾東町地区が県道志度山川線との交点付近であるマルナカ長尾店南方の付近に、長尾西町地区は長尾寺の付近にそれぞれ誘致運動を起こし、駅の争奪合戦が繰り広げられたが、高松電気軌道は、抜き打ち的にこの二地点以外である現在地に決定した。
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