Vol.406-1/2に続けてご覧ください。
<さぬき/てつたび:ことでん駅周辺シリーズ>
11:《[志度線] S11 八栗新道駅》
明治から昭和の高度成長期にかけて役戸周辺は多くの窯場が集まり土管、コンロ、火鉢、植木鉢、レンガ、瓦を次々に出荷し、戦後復興期には土管だけで年産4万トンを記録した。
その後、樹脂製品や外国産に押されて役戸の窯業は年々衰退し、煙突の煙が役戸の空を覆う日はもう今はない。その役戸の今を中心に取材した。
<駅メモ、所在地、駅名標と駅舎&ホーム>
単式ホーム1面1線を有する無人駅で、駅舎は無い。
国道11号を挟んだ真向かいにJR四国の讃岐牟礼駅がある。陶駅は、志度線でJR駅に最も接近している。
▼所在地図
▼駅名標とホーム&電車
<周辺施設・地域メモ>
役戸二ツ池親水公園や八栗寺の裏参道、役戸の窯業盛衰の物語などを見ることができる。
▼天満天神社-1
▼天満天神社-2
▼香川県住宅供給公社「牟礼団地」
▼役戸橋の道標、役戸二ツ池親水公園-1
二ツ池親水公園のせせらぎ水路は地域に良好な水環境を創出し、多くの人に親しまれ、子供たちの環境教育の場となっている。下水道の事業効果や水の循環利用の大切さについて理解を深めることに役立っている。
▼役戸二ツ池親水公園-2
▼役戸二ツ池親水公園-3
駅から源氏橋を通ってまっすぐ東へ向かう道が85番札所八栗寺の裏参道。1903(明治36)年に開通し東からの参拝客はこの道を通った。道は狭い箇所もあるが、すべて舗装され、寺近くまで車で10分、徒歩で1時間あまり。途中、義経が平家軍を偵察したという源氏ケ峰を通る。
近くに義経の座った「腰掛石」があったが盗難にあって今はない。
▼八栗寺の裏参道-1
▼八栗寺の裏参道-2
▼役戸神社
県道36号高松牟礼線の志度湾と牟礼湾の境に祀られている。境内地は道路より高くなっていて間知ブロックで補強され、階段はレンガブロックで、境内には本殿の他には、建物や石造物はない。
香川県神社誌には,この神社の記載は無く祭神や由緒など等は不明である。
▼大陶神社
<見もの・聞きもの>
◇100年を超える役戸盛衰の物語
ここは窯業の盛んな土地だった。明治から昭和の高度成長期にかけて役戸周辺には多くの窯場が集まり、土管、コンロ、火鉢、植木鉢、レンガ、瓦を次々に出荷した。戦後復興期には土管だけで年産4万トン、出荷額4億円を記録した。町中の煙突が煙を吐き、洗濯もできないと苦情が渦巻いた。
その後、樹脂製品や外国産に押されて役戸の窯業は年々衰退し、かつて60軒近くあった窯元は現在、極々僅かで、煙突の煙が役戸の空を覆う日はもう今はない。ひっきりなしに港に出入りした運搬船も既にない。
窯業の衰退と引き換えに役戸に青い空と海が戻ってきた。
▼DOKANYA(ドカンヤ)-1
▼DOKANYA(ドカンヤ)-2
▼第一セラミック興業
四国で唯一のレンガ製造のメーカーで、用途に合わせた様々な上質のレンガを製造販売している。
▼中山工業
▼谷本コンクリート
織田さんは二十数年にわたって研さんを積み、日本陶芸展で受賞を重ねる気鋭の作家になった。
白磁と赤い辰砂(しんしゃ)、青い呉須(ごす)が彼の真骨頂だ。1964(昭和39)年生まれで、祖父の代から窯業に取り組み、2代目は土管からレンガに主力を移し、3代目はアーティストになった。
100年を超える役戸盛衰の物語はアートとなって語り継がれることだろう。
▼織田達也(陶芸家)のアトリエ(牟礼港)
◇JR高徳線讃岐牟礼駅
ことでん八栗新道駅とJR高徳線讃岐牟礼駅は、国道11号を挟んでほぼ同じ場所にある。
最短距離は約15mで、もし乗り換えなら1分でOKだ。志度線はこうした高徳線との路線重複が仇となり、第二次大戦中の1945(昭和20)年1月に八栗~志度間が廃止され、レールは戦時供出された。
昭和24年に復活するまで線路は通勤者の専用道になった。
◇うどん商人つづみ屋
駅から東へ徒歩3分で、創業35年の「うどん商人つづみ屋」はある。セルフ全盛の中、古典的うどん屋スタイルを守り続ける。2代目店主は「麺とだしのバランスがすべて」と、その日の天候に合わせた最高のうどんを目指す。売り物はセルフ店にはできないメニューたちだ。
▶▶▶▶▶▶ 今報了◀◀◀◀◀◀