Vol.366-2/3 非難する前に…<ふるさと健康のみち-03:丸亀城内散策コース(丸亀市)> | akijii(あきジイ)Walking & Potteringフォト日記

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「凡に中なる、これ非凡なり」(論語)、「何事も自分に始まり、自分に終わる。自分を救う道は自分以外ない」(夏目漱石の言葉)を座右の銘に、我流(感性だけ)の写真を添えて日記を綴る。

Vol.366-1/3に続けてご覧ください。

<かがわふるさと健康のみちシリ
ズ>
03:丸亀城内散策コース(丸亀市)
<みちの特
桜をはじめ樹木が多く、また歴史を感じる風景や記念碑等も数多くみられる。また、自動車の心配もいっさいなく、道も広いので安全である。海抜66mの天守閣へ登れば眺めも最高だ。

<コ
距離所要時間>
JR丸亀駅→大手門天守閣一周搦手口→大手門JR丸亀駅

大手門から城一周で大手門への標準コースは約2.0KM(1.0H)との事であったが、城の下を、石垣を巡って歩き、また搦手から一般道へ出て、城の西側を北上して大手門前へ出て、JR丸亀駅を往復したので、距離は7.5km、所要時間は3時間を要した。

JR
で丸亀駅まで行き、スタートした。

▼推薦コースmap、実行コース図
  
JR丸亀駅を出発、県道33号を東進後-右折
  
▼丸亀市民会館(左側)前を、丸亀市役所(右側)前を通過
  

築城400年を誇る丸亀のシンボル「丸亀城」は、全国に現存する「木造天守十二城」の一つで、内堀から天守にかけて積み重ねられた石垣は、”扇の勾配”と呼ばれる特長的で見事な曲線を描く。この白亜の二重三層の独立式木造天守は重要文化財に指定されている。高さ日本一の石垣に鎮座して、大手門から見上げる天守は威厳に満ち、夕暮れの天守は優しさをまとって、「石垣の高さ、美しさ」から、()日本城郭協会が選定した「日本の100名城」にも選ばれ、花見や散歩など市民の憩いの場として親しまれている。

▼前方に丸亀城天守が見えて来た、丸亀城跡の前に到着
  

江戸時代の初めに建てられた、丸亀城の表門で高麗門
(こうらいもん)とも言われる。大手とはお城の正面のことを指し、追手とも書く。大手二の門は丸亀城の顔にふさわしく、石垣に使用されている石は大きく、ノミの跡も美しく仕上げられている。大手一の門の東側には、出陣に際し武者を一堂に集めた桝(ます)形がある。丸亀城の桝形は、他には見られないほど大きなもので、非常に特徴的である。

▼大手二の門、大手枡形
  
▼大手枡形の切り込みハギ、打ち込みハギ
切り込みハギは、城の大事な所に築き、見せる石垣として用いられている。
丸亀城石垣の大部分が、この打ち込みハギ(布積み)の積み方である。
  
▼大手一の門、見返り坂を振り返る
大手一の門は、ひとかかえもある大きな柱や梁(はり)で組まれ、大手の正門らしい威厳と風格を備えている。
  
大手門から山上に向かう山道は傾斜が急で、時々立ち止まって振り返りたくなる事から、いつしか見返り坂と呼ばれている。頭上に覆いかぶさる木々が、四季折々の美しさを覗かせる。

▼高浜虚子の句碑、丸亀城の石垣-1
65歳の高浜虚子は、丸亀城を訪れ、三の丸の高台からの眺めを「稲むしろあり 飯の山あり 昔今」と詠んだ。俳人の目にとまった美しい風景が、城下に広がる。
  
▼丸亀城の石垣-2
  
▼丸亀城の石垣-3
三の丸北側の石垣は、丸亀城で最も高く、20m以上の城壁が続く。隅角部の石垣は算木積み(さんきづみ)された曲線美で「扇の勾配」と呼ばれている。
  
▼丸亀城の石垣-4(帯曲輪の表示)、丸亀城の石垣-5
帯曲輪(おびぐるわ)は、三の丸下段を帯状に巡る曲輪である。
  
▼丸亀城の石垣-6(三の丸石垣の表示)、丸亀城の石垣-7
  
▼丸亀城の石垣-8
  

二の丸、本丸を鉢巻き状に取り巻く、帯曲輪の石垣群は三の丸を一周している。別名腰曲輪と呼ばれるこの石垣群に沿って歩くと、吉井勇の歌碑や搦手門跡、三の丸井戸などの興味深い史跡が数多く見られる。
三の丸井戸は山崎時代の絵図にあり、深さ31間と書かれていて、城外への抜け穴伝説がある井戸で、現在は空井戸となっている。

三の丸を進む、三の丸井戸
  
▼三の丸隅櫓跡、丸亀城の石垣-9
  
▼石垣修復時の残石のようだ、吉井勇の歌碑
約千三百年前、万葉の歌人柿本人麻呂が坂出沖の沙弥島の海岸で作った歌が万葉集にある。吉井勇はお城から沙弥島を眺め、人麻呂の歌を偲んで「人麿の 歌かしこしと おもひつつ 海のかなたの 沙弥島を見る」の歌を作った。
  
▼戌亥櫓(いぬいやぐら)跡、丸亀城の石垣と天守-1
戌亥櫓跡は、明治2年の藩邸火災の時に焼失したが、その焼跡が今も石垣に残っている。
  
▼三の丸跡、丸亀城の石と天守-2
三の丸は、本丸・二の丸を巡る平場で、3カ所に隅櫓(すみやぐら)があった。
  
▼丸亀城の石垣-10、丸亀城の石と天守-3
  
▼丸亀城の石垣-11、三の丸の展望所
  
▼三の丸の展望所から瀬戸大橋の方向、丸亀市内の方向
  

三の丸広場の南東の隅に、わずかに残る礎石があるが、月見櫓の跡である。ここからの眺望は素晴らしく、ゆるやかに流れる土器川と飯野山の姿が美しく見える。しかし、その風流な名とは裏腹に、ここは物見のための櫓であったと推察されている。

▼月見櫓跡--向こうは飯野山、丸亀城の石垣-12
  
▼丸亀城の石垣-13、二の丸跡
二の丸は、山上で2番目に高い平場(曲輪)で、本丸と同様に石垣上に隅櫓や渡櫓(わたりやぐら)があった。
  
▼二の丸の井戸、二の丸櫓跡
二の丸の井戸は、丸亀城で最高所にある井戸で、現在も水を湛(たた)え、城絵図によると深さは36(65m)あり、築城に関わる悲しい伝説がある井戸である。
  
▼二の丸櫓跡から見る飯野山と石垣、二の丸搦手と天守
  

引き続き、Vol.366-3/3をご覧ください。