新居宮池の風景
宮池の水鳥たち。
Walking & Potteringの風景
笠田遊歩道-大津池の遠くに五岳山が顔を出している、柞原寺へ向かうみち。
<どう捉え、どう考えるべきか>
良寛-12/15:不平や不満、グチは、あなたを不幸せにするばかり
昨日はよいとした事を、今日になってよくないとする。そこで今日よいとした事を、どうして昨日よくないとした事に気がつこうか。このように人の気持ちは変わりやすい。だから、よいわるいには定まった価値基準はなく、得ることと失うことは前もって予期できない。物事にうとい者は、琴事(ことじ)を膠(にかわ)づけにして融通がきかずあくせくし、物事にさとい者は、その根源を知りぬいたとしてそれをよしとし、行ったり来たり、むだな時間を過ごしている。このようにうとい者とさとい者との二つのやり方を捨て、とらわれることのない者を、はじめて悟った人というのである。
(草堂集-89)
人の価値判断は、まことに移ろいやすいことを述べている。良いことの基準にも確固としたものはなく、悪いということもあやふやで変わり易い。しかも、同じ人間が昨日と今日とで違う判断をしていることさえ自覚がないという。現実には、そこに時間の感覚が加わるから、これほど露骨ではないにしても、おおよそはこんなところである、と良寛さんはまとめたのだ。しかも鈍感な人は、いつまでも同じように頑固で融通がきかないから右往左往するのに比べ、敏感な人は融通が効き過ぎて空周りする、と。
良寛さんは両者のやり方を捨てよ、とらわれてはいけないと言っているが、実はそこからがそう簡単にはいかないところだ。ここまで気づいた良寛さんだって同じだろう。これについて考えられることは、いつも不平や不満を漏らし、グチを言ってはばからない人の話のネタはいつも新しいが、その理由の根拠も同じではない。ただこの人にかかると、必ず不平の糸口をさがしあて、不満をあれこれと述べた後、グチで終わるというスタイルになっているのは変わらない。何事も不平や不満のタネにならない話題はないのだ。不平や不満を述べることで、自分が高尚な精神の持ち主であることをアピールしているつもりのようだが、そうではない。不平や不満として語り立てることによって、好ましいことも悪く見え、立ち上がりかけた話も萎えてしまう。そうしている貴方をますます不幸にすることだけは、どうやら確かなようなのだ。
<Flower arrangement>
A seasonal flower
◇ウォーキングコースに咲いていたアメジストセージ
ハーブの一つで、青紫色で綿につつまれたような花が秋に咲く。
「アメジスト」とは「紫水晶」のことで、装身具に用いられる宝石。「アメシスト」ともいう。大きく分類するとサルビアの一種。「サルビア・レウカンサ」「メキシカンブッシュセージ」の名でも呼ばれる。
◇みろく自然公園に咲いていた石蕗(つわぶき)
開花時期は10月中旬~11月末頃で、葉は蕗(ふき)に似ている。
名前は「つや」のある葉から「つやぶき」それが変化して「つわぶき」になった。きれいな黄色の花で、冬から春にかけて、若葉をつみとって塩ゆでにするとおいしいらしい。葉を火であぶったものは腫れ物や湿疹に薬効がある。花言葉は「困難に傷つけられない」である。
今に息づく その時 あの言葉 その時 歴史が動いた
私が野心家だったというのか? 確かに私は野心を抱いていただがそれは、かつてないほど 偉大で気高い野心だったのである ナポレオン
1804年12月2日 ナポレオン 皇帝の戴冠式
自由と平等を求めたフランス革命の理念に共鳴したナポレオンは、共和国軍の砲兵士官として外国軍や反乱軍を次々と撃退。さらにクーデターを決行し、政治権力の中枢に立つ。徹底した弾圧で反対派を排除しながら、個人の財産を保障するナポレオン法典の公布など国民に配慮した政策で支持を集め、革命後のフランスに平和をもたらした。そして、ついに皇帝にのぼりつめる。戴冠式に臨んだナポレオンは、冠を自らの頭上に掲げ、妻・ジョゼフィーヌの上に差し出した。それは、人に冠を授ける絶対的な権力者となったことを示す瞬間だった。革命の申し子は、全欧の支配者となる野心を抱くこととなる。
<Akijii展、想い出の風景-Ⅰ(四国のみち編:15)>
今報の想い出の写真は「満濃池とカリンのみち」です。
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引き続き、Vol.365-3/3をご覧ください。