Vol.274-1/3 長の一念…。<四国のみち(国交省)13:展望休憩所--高松西IC> | akijii(あきジイ)Walking & Potteringフォト日記

akijii(あきジイ)Walking & Potteringフォト日記

「凡に中なる、これ非凡なり」(論語)、「何事も自分に始まり、自分に終わる。自分を救う道は自分以外ない」(夏目漱石の言葉)を座右の銘に、我流(感性だけ)の写真を添えて日記を綴る。

今報の雑学 わずかな銭(ぜに)のことをなぜ「ビタ一文」という

和銅元年(708)810日、銅銭・和銅開珎が初めて使用された。

「あんなやつにはビタ一文もやるものか」とか「ビタ一文持っていない」などといった言い方をする。

この「ビタ一文」のビタは「めた」()がなまったものだといわれ、どうしょうもないという意味。

(もん)は昔のお金の単位。すなわち「ビタ一文」とは、すり減った形がくずれたりしている粗悪な

金のこと。室町時代になると商業が盛んになり、銭貨の使用が大幅に増えたため、中国の銭が使

われるようになった。その中のひとつ、明の永楽通宝は立派な銅銭で、精銭などと呼ばれ大いに

重宝がられたが、勿論この銭だけでは足りないので、質の悪い私鋳銭や渡来銭、つまりビタ銭も用いら

れた。ところが良貨と悪貨では当然良貨が好まれ、同じ一文でも、ビタ銭は4枚で永楽通宝の1枚の価

しかなかった。こうしたことからビタ一文といえば役に立たない金→わずかな金額というような

になっていった。


Flower arrangement


<どう捉え、どう考えるべきか>

長の一念…。

国であれ会社であれ家庭であれ、あらゆる組織はそこにいる長がどういう一念(一筋の思い)を持っているかで決まる。それが全てと言ってもいい。



ある賢者は、すぐれた長には二つの共通条件があると云い、その一つが「修身」で、二つ目が「場を高める」、この二点に意を注がない長は長たる資格がないと断言する。

一つ目の「修身」は、気まま、わがまま、ムラッ気を取り去り、さらに公平無私、自己犠牲、先義後利を率先垂範することだが、長が私意をほしいままにして、組織が健全に成長するわけがない。

次の「場を高める」だが、長たる者は自分のいる場に理想を掲げ、そこに集うすべての人をその理想に向け、モチベート(興味を起こさせる、やる気を起させる)していく人でなければならない

松下幸之助氏の言葉、まさに至言である。

「適切な目標を示さず、社員に希望をえない経営者は失格である」

また、長の一念について安岡正篤(まさひろ)師が次のように明示している。

「偉くなることは必ずしも富士山のように仰(あお)がれるためになるのではない。なるほど富士山は立派だけれど、それよりも立派なものは大地である。山を載せて一向に重しとしない。限りなき谷やら川やらを載せて敢()えて厭(いと)わない。常に坦(たんたん)としておる。この大地こそである。われわれもこの大地のようなを持たねばならぬ」

最近(2014/1)逝去された船井幸雄(経営コンサル)さんの言葉を付記する。

40余年経営コンサルタントをやってきて分かったことがある。

どうしたら経営がうまくいくか。それはそこにいる人が命を懸けている。それが第一件。いるところに命を懸ける。これが大事」

長として欠かせない姿勢であり、一念である。

新居宮池とWalking & Potteringの風景

東家から宮池の遊歩道を見る。

京極大橋と太助灯籠。




A seasonal flower
JR高松駅広場にかせているチュラカ

Portulaca(ポーチュラカ)はラテン語の「porta(入口)」の縮小形の「portula」が語源で”小さな扉”の意味、熟した実が裂け開く様子からとのこと。開花時期は7月上旬~10月下旬で、長い間咲き続ける。

ブラジル原産で全世界の温帯、熱帯にある。

暑ければ暑いほどよく繁る。強健な草花で、強い日照りにも耐えて次々と一日花を咲かせる。アロエやサボテンなどと同じ貯水能力と、気孔が夜開くという特殊な光合成能力がある。

ポーチュラカ」の別名は「花滑り莧(はなすべりひゆ)」。

滑り莧、の改良種で、花がきれいなところから。
色がさまざまあって美しい。





Akijii展、再展示

今報は切り絵です。






引き続き、Vol.274-2/3をご覧ください。