Vol.241-2/3 たえず追求すべき…。<四国八十八か所讃岐巡りシリーズ10:八栗寺> | akijii(あきジイ)Walking & Potteringフォト日記

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「凡に中なる、これ非凡なり」(論語)、「何事も自分に始まり、自分に終わる。自分を救う道は自分以外ない」(夏目漱石の言葉)を座右の銘に、我流(感性だけ)の写真を添えて日記を綴る。

Vol.241-1/3に続けてご覧ください。


四国八十八か所讃岐巡りシリーズ

10:八栗寺

第八十五番 五剣山(ごけんざん)八栗寺(やくりじ)観自在院(かんじざいいん)


本尊:聖観世音菩薩 開基:弘法大師 宗派:真言宗大覚寺派

真言:おん、あろりきゃ、そわか

御詠歌:煩悩を胸の智火にて八栗をば修行者ならでたれか知るべき

所在地:761-0121 香川県高松市牟礼町

<歴史・由来>

屋島の東、源平の古戦場を挟み標高375mの五剣山がある。

地上から剣を突き上げたような神秘的な山で、八栗山はその8合目にあり、多くの遍路さんはケーブルカーで登れる。天長6年、大師がこの山に登り求聞寺法を修めた時に、五振りの剣が天振り注ぎ、山の鎮守蔵王権現が現れた。そして「この山は仏教相応の霊地なり」と告げられたので、大師はそれらの剣を山中に埋め鎮護とし五剣山と名づけらた。


五剣山の頂上からは、讃岐、阿波、備前など四方八国が見渡すことができたので、もともと八国寺という寺名でした。

延暦年中、大師は唐へ留学する前に、再度この山に登った。そして仏教を学ぶ念願が叶うかどうかを試すために8個の焼き栗を植えられた。

無事帰国し、再び訪れると、芽の出るはずない焼き栗が芽吹いていた。これが八国寺を八栗寺へ改名した由来である。

この寺も長宗我部元親による八栗攻略の兵火により全焼した。

しかし、江戸時代に無辺上人が本堂(三間四面)、さらに高松藩主松平頼重が現在の本堂を再興、弘法大師作の聖観自在菩薩を本尊として安置し、観自在院と称するようになった。

五剣山は、宝永3(1706)に、大地震を遭い、昔は五つの嶺のうち、東の一嶺が中腹より崩壊し、現在の姿になった。

<略縁起>

天長6(827)弘法大師がこの山に登り求聞持法(ぐもんじのほう)を修しているとき、五柄の剣が降ってきました。
その時、金剛蔵王が現れ山の鎮護を告げられた。大師はこの五剣を山に埋め、観世音菩薩を刻み堂宇を建立して五剣山と号し、山頂から八カ国が見渡せることから八国寺と号した。

その後唐から帰国した大師は、唐に渡る前に8個の焼き栗を埋めたのが、帰国後立派に育っていたので八栗寺と号し、第八十五番札所として定められた。その後、天正年間(15731592)長曽我部軍の兵火に遭い焼失、文禄年間(15921596)になって無辺上人が復興し、寛永19(1642)藩主松平公が本堂を再建した。

<境内>

屋島から壇ノ浦を隔てて見えるのが五剣山である。

5つの峰があったが江戸時代の地震で崩れ今は4峰になっている。

仁王門をくぐると正面に本堂、左手前に聖天堂があり歓喜天(かんきてん)が祀られている。歓喜天は延宝5(1677)木喰上人が東福門院(後水尾天皇妃)から賜った弘法大師作で商売繁盛、家内安全など御利益あり秘仏となっている。大師堂は本堂右手にある。

引き続き、Vol.241-3/3をご覧ください。