Vol.240-4/4 退屈していないか…。<四国八十八か所讃岐巡りシリーズ09:一宮寺> | akijii(あきジイ)Walking & Potteringフォト日記

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「凡に中なる、これ非凡なり」(論語)、「何事も自分に始まり、自分に終わる。自分を救う道は自分以外ない」(夏目漱石の言葉)を座右の銘に、我流(感性だけ)の写真を添えて日記を綴る。

Vol.240-2/3に続けてご覧ください。


四国八十八か所讃岐巡りシリーズ

09:一宮寺

第八十三番 神毫山(しんごうざん)一宮寺(いちのみやじ)大宝院(たいほういん)

本尊:聖観世音菩薩 開基:義淵僧正 宗派:真言宗御室派
真言:おん、あろりきゃ、そわか
御詠歌:さぬき一の宮のみ前にあふぎ来て神の心を誰かしらゆふ
所在地:761-8084 香川県高松市一宮町607


<歴史・由来>

創建は、わが国に仏教が伝来して約160年後という歴史を誇る。

開基は、奈良仏教の興隆の礎を築いた義淵僧正で、当時は大宝院と呼ばれ、南都仏教の一つ法相宗の普及をはじめ、行基菩薩、良弁僧正らを輩出。和同年間、諸国に一宮寺が建立の際、行基菩薩が堂宇を修復し、神毫山一宮寺に改名された。

また大同年間、弘法大師が訪れ約106cm"聖観音" 聖観世音菩薩を彫造し、伽藍の再興にあたり、この時に真言宗に改宗された。

この寺も同じく、天正の兵火により灰燼に帰したが、中興の祖とされる宥勢大徳によって再興された。また江戸時代に高松藩主により田村神社の別当を解かれた。神仏分離の200年も前の出来事である。

この寺の本堂左手には薬師如来が祀られる小さな祠があり、これは「地獄の釜」と呼ばれ、祠に頭を入れると境地が開けるという言い伝えがある。一方、悪いことをしていると頭が抜けなくなると言われる。

昔、近所で暮らす意地の悪いおタネばあさんは、「そんなことはない、試してみよう」を頭に入れると、扉が閉まり、ゴーという地獄の釜の音が聞こえ頭は抜けなくなった。怖くなったおタネさんは、今までの悪事を謝った。すると頭はすっと抜けた。それからおタネさんは心を入れ替え、親切になったそうだ。


<略縁起>
大宝年間(701704)義淵(ぎえん)僧正により法相宗の大宝院として開基されました。その後、勅命により諸国に一宮が建てられたとき、行基菩薩が讃岐一宮の田村神社を創建し、その別当寺となって神毫山・一宮寺に改号しました。大同年間(806810)弘法大師がこの地を訪れ、聖観世音菩薩像を刻み本尊とし、堂塔を修復して真言宗に改め、第八十三番札所として定められました。 天正年間(15731592)長曽我部軍の兵火に遭い堂宇を焼失、後に宥勢大徳により再興しました。
延宝7(1679)には高松藩主・松平公により田村神社より独立しました。

本堂は元禄14(1701)本堂が建立されています。


<境内>
一宮神社と向かいあって仁王門がある。門をくぐると正面に本堂が、右手に大師堂がある。本堂手前には薬師如来を祀った小さな石室があり、地獄に通じる穴があり頭を入れると地獄の釜の音が聞こえるといわれている。又、本堂左手には宝治元年(1247)に造られた3基の石塔があり、孝霊天皇(在位前290~前215)、百襲姫(ももそひめ)、五十狭芹彦命(いそさせりひこ)3神をお祀りしていると云われている。


▼仁王門

本堂、大師堂

本堂は、立派な楠木に守られ、元禄14(1701)、十方施主により再建された。

護摩堂前の創作石燈籠と一宮御陵

護摩堂前の創作石灯籠は、京工芸の最高峰の西村金造氏の作である。

西村金造氏は昭和13年生まれで、19歳より石工の修業に入り、彫刻家イサム・ノグチの石造作品にも携わる。昭和57年、伝統工芸士に認定され、古代型石燈籠など石造美術品の復元をはじめ、創作物も数多く制作。作品は全国の名所に収められている。

一宮御陵は、本堂左手前にある三基の宝塔で、江戸時代の神仏分離の際に田村神社から移築された。

菩薩堂、鐘楼

手水舎、山門

薬師如来

薬師如来の伝説の釜(地獄の釜)は、弘法大師が戒めのために作られたと伝えられている。


--今報了--