Vol.240-3/4 退屈していないか…。<四国八十八か所讃岐巡りシリーズ09:一宮寺> | akijii(あきジイ)Walking & Potteringフォト日記

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「凡に中なる、これ非凡なり」(論語)、「何事も自分に始まり、自分に終わる。自分を救う道は自分以外ない」(夏目漱石の言葉)を座右の銘に、我流(感性だけ)の写真を添えて日記を綴る。

Vol.240-2/4に続けてご覧ください。


雨ニモマケズ---(雨にもまけず、)
風ニモマケズ---(風にもまけず、
)
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ---(雪にも夏の暑さにもまけぬ、
)
丈夫ナカラダヲモチ---(じょうぶなからだをもち、
)


賢治が最初にいうのは、自分の体へのこだわりだ。賢治は少年期から青年期にかけて死にそこなうような病気にたびたびかかった。それがもとで看病していた父親までが病気にかかった、体が弱いということは、ただ単に自分の生き方を制約するにとどまらず、他者まで巻き沿いにすることがある。ましてそれが愛する肉親だったら、こんなにもつらいことはない。

賢治の自分の病身へのこだわりは、他の作品にも随所にこだましている。

「ポラーノの広場」の中で、仲間たちがキューストにもユートピア作りへ加わるように進めたとき、キューストは体が弱いことを理由に、この楽しい試みを断念せざるを得なかった。

つまり「丈夫ナカラダ」をもつことは、この世に生きることにとって、なによりも優先すべき大切なことがらなのだ。

慾ハナク---(欲はなく、)

決シテ瞋ラズ---(けっして怒らず、)

イツモシヅカニワラッテヰル---(いつもしずかに笑っている。)

丈夫な体を持った上で、次に大切なことは、穏やかに生きるということだ。

欲を持ってはいけない、欲をもつことは他人を道具に使うことにつながる、そして決して怒らず、いつも静かに笑っていられるような、心の平静さをもたなければならない。

一日ニ玄米四合ト---(一日に玄米三合と、)
ト少シノ野菜ヲタベ---(みそと少しの野菜をたべ、)
アラユルコトヲ---(あらゆることを、
)
ジブンヲカンジョウニ入レズニ---(じぶんをかんじょうに入れずに、
)
ヨクミキキシワカリ---(よくみききしわかり、
)
ソシテワスレズ---(そしてわすれず、)


粗食によく耐え、無欲でいることが大事なことを、賢治は重ねて言う。

一日四合とは、米が主食であり続けた日本の食文化において、長い間成人ひとりが一日に食べる米の量の標準だった。

今日の感覚から言えばずいぶん多いように思えるが、それは現代人が多くの副食を取っているからだ。賢治の時代にあっては、多くの人々は米のほかに粗末なおかずを、それも少量とっていたに過ぎなかった。腹を満たしてくれるのは、基本的には米であったのだ。

野原ノ松ノ林ノ蔭ノ---(野原の松の林の陰の、)
小サナ
ブキノ小屋ニヰテ---(小さなかやぶきの小屋にいて、)
東ニ病
ノコドモアレバ---(東に病氣のこどもあれば、)
行ッテ看病シテヤリ---(行って看病してやり、
)
西ニツカレタ母アレバ---(西につかれた母あれば、
)
行ッテソノ
ヲ負ヒ---(行ってその稻のたばを負い、)
南ニ死ニサウナ人アレバ---(南に死にそうな人あれば、
)
行ッテコハガラナクテモイ
トイヒ---(行ってこわがらなくてもいいと言い、)
北ニケンクヮヤソショウガアレバ---(北にけんかやそしょうがあれば、)

ツマラナイカラヤメロトイヒ---(つまらないからやめろと言い、)

そんな賢治の住まいは、野原の中の粗末な小屋でよい。そこでなら死んだ妹の遺影を眺めながら、仏の教えに耳を傾け、過不足なく暮らしていける。そして東西南北四方に何か困っているひとがあれば、助けにいくことも出来る。

人を助けに行くというのは、見返りを期待するものではない。それは自分自身の生き方そのものなのだ。見返りを期待するとき、人の行為は純粋な性格を失う、ただ単にありがとうと感謝の言葉を述べられるだけであっても、それは一種の見返りの性格を帯びる。与えることに与えられる効果が響きあうと、それは純粋な贈与ではなく、交換というものに堕落する。だから純粋な贈与を心がけるならば、見返りを期待してはならない。これが賢治の理想とするありかただ。

ここからこの文章の真髄ともいうべきものが導き出されてくる。

ヒデリノトキハナミダヲナガシ---(ひでりのときはなみだを流し、)
サムサノナツハオロオロアルキ---(寒さの夏はおろおろあるき、
)
ミンナニデクノボ
トヨバレ---(みんなにでくのぼうとよばれ、)
ホメラレモセズ---(ほめられもせず、
)
クニモサレズ---(くにもされず、
)


賢治が理想とするのは、みんなに「デクノボー」と呼ばれるような存在になることなのだ。

「デクノボー」は決して自分の行った行為を感謝されることがない。彼のする行為は、当たり前で気に留める価値もない些細なことなのだ。だが純粋な贈与とはこんな性質のものなのだ。

自分はだからデクノボーとして、言い換えれば空気のようなものとして生き続けたい、

サウイフモノニ---(そういうものに、)
ワタシハ---(わたしは、)

ナリタイ---(なりたい。)

そうだ、そういう空気のような存在に、賢治はなりたかったのだ。

空気として、あるいは「すきとほった風」として、この世を吹きぬける。風が吹き抜けた跡にひとは何者をも感じてくれないかもしれないが、さわやかな風を糧にして生きる力を感じるかもしれない。それでいいのだ。

南無無行菩薩     
南無上行菩薩
南無多

南無妙法蓮華
南無迦牟尼
南無行菩薩
南無安立行菩薩


賢治という風が吹き抜けた後には、風の去った方角から、あるいは思いがけないところから、あるいは天上の世界から、法華経の尊い言葉がこだましてくるだろう。

Vol.240-3/4に続けてご覧ください。