今報の雑学 離縁状のことをなぜ「三下り半」というか
明治44年2月11日は、我が国初の速達郵便が東京~横浜間で始まった。
離縁状のことは「去り状」「縁切り状」とも云われ、俗にこれを「三下り半」と呼ぶことはご存じのとお
り。なぜ、そう呼ばれるかと云えば、理由は簡単。離縁状を書く場合、だいたい三行半ぐらいの長さ
に書いたからである。離婚の理由は明らかにせず、「心にかなわなかったので」とか、「縁がなかった
から」といった言葉を用いた。昔の人は文盲が多かったが、字を書けない人はどうしたのか。
そんな人は文字の解る人に代筆を頼んだ。中には文字の代わりに絵を掻いた者もいた。
例えば、ある男などは鎌と味噌汁の椀の絵を描いて女房に渡した。
どこへ行こうが「カマワン」というわけである。
<Flower arrangement>
自分は今の仕事に適しているか、現在の仕事を自分の生涯の仕事となし得ているか
安岡 正篤氏の「人生の大則」第5回は「自分は今の仕事に適しているか、現在の仕事を自分の生涯の仕事となし得ているか」です。
自分は今の仕事に適しているか
第八、自分は仕事にどれだけ有能であるか。自分は仕事に適するか。こういうことをたえず自ら実験してみることである。ところが案外自分は有能である、有能でないという判断が当てにならぬ。
しばしばとんだ錯覚や浮気があって、自分の柄にもないものを、いわゆる「下手のよこ好き」でいい気になるものである。興味があるということと、能力があるということとは違うのに、よくそれを錯覚する。えてして自分本来の能力を意識しないで、自分の本来の能力でもない、自分にとっては枝葉・横道の方へそれやすい。だから本当に自分はこの仕事に適しておるかどうかということも、案外冷静に克明に吟味しても、容易に断定することのできぬ問題である。
まず自分を虚心・無欲にせねば判断できない。
現在の仕事を自分の生涯の仕事となし得ているか
第九、現在の仕事は自分の生涯の仕事とするに足りるかどうかということ。もし生涯の仕事とするに足りぬと思われれば、できるだけそれを生涯の仕事にするに足りるよう研究するか、何かそこにまた落ち着いた正しい工夫と努力とを要する。
我々の心構えと努力のいかんによっては、どんな小さなことでも、生涯の仕事とするに足りるものである。
いかなる小事も深くはいってゆけば、大和(だいわ)の理によって無限に世界が開けるからである。
新居宮池とWalking & Potteringの風景
親水公園の遊具を通して見る宮池。
高松の街角から遠望する丸亀町商店街ドーム。
A seasonal flower
ウォーキングコースに咲く蝋梅(ろうばい)
開花時期は正月頃から咲き出し、翌3月中旬頃までの花の少ない季節に咲く、うれしい花でとてもよい香りである。中国原産で、日本には17世紀頃に渡来した。「”蝋細工”のような、梅に似た花」から「蝋梅」の名になったらしい。花言葉は「先導、先見」(蝋梅)。
<Akijii展、作品-79>
今報はシェイプアートの「椿と雪景色」です。
引き続き、Vol.239-2/3をご覧ください。