Vol.237-2/4に続けてご覧ください。
<四国八十八か所讃岐巡りシリーズ>
06:《神恵院》
第六十八番 琴弾山(ことひきざん) 神恵院(じんねいん)
本尊:阿弥陀如来 開基:日証上人 宗派:真言宗大覚寺派
真言:おん、あみりた、ていせい、からうん
御詠歌:笛の音も松吹く風も琴弾くも歌ふも舞ふものりのこゑごゑ
所在地:〒768-0061 香川県観音寺市八幡町1-1-7
<歴史・由来>
六十八番・神恵院も六十九番・観音寺も琴弾公園内の琴弾山の中腹にあるが、2つの札所が同じ境内に存在する、とても珍しい霊場だ。
開基したのは法相宗の高僧・日証上人といわれている。大宝3年(703)この地で修行中、宇佐八幡宮のお告げを受け、かなたの海上で神船と琴を発見。琴弾山に引き上げ、「琴弾八幡宮」を建立した。このとき、神宮寺として建てられた寺が起源とされている。大同2年(807)弘法大師が琴弾八幡宮の本地仏である阿弥陀如来を描いて本尊として祀り、寺の名を「神恵院」にとし、六十八番霊場とした。その後、明治初年の神仏分離令で八幡宮は琴弾神社と神恵院に分離され、神恵院は麓の観音寺境内に移転。同時に八幡宮に安置されていた阿弥陀如来像も西金堂(さいこんどう)に移された。以降、「神恵院」は西金堂(2002年に新築)を本堂に、阿弥陀如来像を本尊として今に至っている。
<略縁起>
大宝3年(703)琴弾(ことひき)山で修行していた、法相(ほうそう)宗の日証(にっしょう)上人が舟に乗った翁が琴を弾いており、翁は宇佐八幡大明神であった。日証上人は驚いて、舟と琴を山頂に引き上げお祀りしたのが琴弾八幡宮である。神恵院は琴弾八幡宮の別当寺として創建された。
大同2年(807)弘法大師がこの地を訪れ、阿弥陀如来を画き安置し第六十八番札所として定められた。
明治の廃仏毀釈で本尊聖観世音菩薩像は観音寺(第六十九番)金堂に移された。八十八ヶ所中、ここだけが同じ境内に2つの札所があることになる。
<境内>
山門の仁王門は第六十八番神恵院と第六十九番観音寺とを兼ねている。
納経所も同じ場所にあり、山門をくぐり石段を上がったところが第六十九番観音寺で、さらに石段を上がったところが神恵院である。
神恵院の境内からさらに上がると琴弾公園の展望台だ。
展望台からは松林の砂浜に周囲350mの寛永通宝の銭形が展望できるが、寛永10年(1633)藩主生駒公を歓迎するために一夜にして作られたと言れている。
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