Vol.189-3/5に続けてご覧ください。
<聖徳院じょうとくいん>
讃岐33観音霊場第29番札所で、日本三大薬師の1つ眼の神さんの分霊所となっている。
太師堂には、聖徳太子二歳立像(県重要文化財、国宝級)が祀られている。向かって立像の右には十六歳孝養像、左には政治を司った時の摂政像があり、聖徳太子が三体備わっているのは類を見ない貴重なものである。聖徳院は、聖徳太子・菅公ゆかりの多くの奇跡を現わし成就せしめた現世利益を授く寺といわれている。
▼山門、大師堂
本尊である聖徳太子の二歳立像は日本三大太子の一つで鎌倉時代の最高の代表作といえる。
また太子夢つげ子安観音(町有形文化財)ある日、僧空讃上人が辻説法托鉢修行の帰り道、正直者で信仰心厚き、弥平・お住夫婦の家の前に村人達の人だかりがあった。何事かと尋ねれば、美しい女人が難産で苦しんでいるとのこと。そこで祈念祈祷したところ、観音の化身(聖徳太子)が現れ、苦しみがうそのように晴れたそうである。以来、太子の夢つげ子安観音としてお祀りしている。
▼聖徳太子二歳立像の文化財標示板、子安観音堂
仁和年中(885~888年)には菅原道真公が讃岐の国司として立ち寄り、記念に松をお手植えになり、地名をとって「鵜足ノ松」と名づけられ、火災で焼失するまでは千有余年の風雪に耐え、明治25年には国の天然記念物に指定されていた。
▼鵜足ノ松跡、やくよけばし
<南隆寺なんりゅうじ>
室町時代創建の曹洞宗の寺である。当寺は、本山から認可された企業、公務員等各種団体、新人宿泊研修の参禅道場である。個人的には早朝坐禅会、年一回の合同摂心会と気軽に参加できる。
現在の山門は新しく、第二次世界大戦で供出し、無くなっていた梵鐘再鋳に合わせ、昭和41年鐘楼門として建立、特徴ある竜宮門である。
▼山門、山門の梵鐘
本堂は、1805年(文化2年)、五世中興諦應禅了和尚の代に建立と伝えられ、200年を越える方丈形式の建物である。
坐禅堂は、その名のとおり坐禅をする建物で、昭和51年建立、31の単(坐る場所)があり、正面には僧形文殊菩薩が祀られている。また羅漢堂を兼ねているため、坐禅をするときは、奥におられる大勢の羅漢さまに見守られているような気分になる。
▼本堂、坐禅堂
<多聞寺たもんじ>
室町時代創建の真言宗の寺で、隣接する円通寺と共に細川頼之公の居館跡と伝えられている。
境内には、頼之公お手植えと伝えられる槇柏(しんぱく)がある。
細川頼之公は、南北朝時代の武将で足利尊氏に従って武功があった。四国はいうまでもなく、中国地方も勢力下に置き、宇多津に居館を設け現在の香南町岡にも本拠を置いていた。風流文雅の人としても知られ、歌集にも名を連ねている。境内地には、細川頼之公お手植えとされる槇柏(別名ミヤマビャクシン)の木があり、町指定天然記念物(昭和51年3月31日指定)に指定されている。
樹齢は約680年、幹周りは4.6m、高さは18mもある。
▼山門、山門右側の史跡・讃岐守護所跡表示板
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