Vol.189-4/5に続けてご覧ください。
<円通寺えんつうじ>
讃岐33観音霊場第30番札所である。
境内は室町時代の足利三代将軍義満の官領細川頼之公の居館跡と伝えられている。
観音霊場(第三十番)の石標が立つ当寺参道口から「青松山」の篇額が掲げられた山門までは、右手に枝ぶりの良い黒松の並木が赤土の参道に珊瑚のような影を落としている。
山門は、江戸中葉の造修になる和様四脚門、四本の控柱に付された転びは、礎石上で緩やかに反り返り、威風の山門に優雅さを添えている。
▼黒松の参道、山門
山門をくぐると、境内正面左に本堂、右側に太子堂が並び、さらに書院、庫裡が連なり、茶室五席を擁している。
▼細川頼之公館跡碑、本堂
本堂左前にある五輪塔(町指定文化財)は、南北朝時代のもので細川家の供養塔であり、境内中央には頼之公お手植えの松と言い伝えられていた黒松(県指定天然記念物)が前庭を覆い尽くし、日本一の黒松として優勢を誇っていた。しかし、平成13年夏頃から松くい虫の被害を受け、翌年の4月関係者に惜しまれながら伐採され、今は幹や枝が標本として保存されている。
▼松跡と五輪塔、太子堂・書院・庫裡
<西光寺さいこうじ>
川辺に立つ寺院で、その姿が水面に写り大変美しい。境内には、江戸時代末期に多度津藩で建造した船屋形を床や襖建具など当時のままで茶室として用いている。船屋形の形を残している数少ない船の遺物である。
本堂は、天保4年に再建されたもので、真宗寺院の典型的な様式を踏襲している。建物内は仏法を聞く場として、畳敷きの大広間となっており、梁や欄間などは精巧な彫刻がなされている。そこに座ってみるだけでも気分転換になる。
▼門、本堂
船屋形茶室 江戸時代末期に建造された旧多度津藩主の御座船とされている。廃藩置県後、西光寺境内に移し一部改造が加えられたが、昭和57年の移築解体修理によって創建当初の姿に復元された。
年に数回法要等で開けられている。
▼案内板、船屋形茶室1
▼船屋形茶室2、3
<聖通寺しょうつうじ>
讃岐33観音霊場第31番札所で、聖武天皇の天平年間に行基菩薩によって創建された。木造千手観音立像(重要文化財)や薬師如来像など多くの文化財を有している。現在の本堂は、江戸時代の万治4年(1661年)水戸光圀公の実兄、高松藩初代藩主松平頼重公により建立された。頼重公が病に苦しみ、薬師如来に平癒を祈願したところ、たちまちに回復したことからそのご利益に感謝の意を表し、本堂を建立した。本堂には自筆の棟札が残っており、第三代藩主頼豊公より松平家の御紋を当寺の紋に使用することが許されている。
▼入口、本堂と薬師如来像
▼木造千手観音像、迦如来坐像
<三つ岩>
青の山トンネルの北側を少し下った住宅地のはずれにこの岩石があると云う事で、立ち寄ってみた。サイコロ状の一辺2~2.5mの巨大な岩石3個が重なっているが、積み重ねたとしか表現の仕方が無い立ち姿だ。いったい誰がどんな方法で一個4~50tほどの岩石を…。宇夫階神社には300tを越えるという「御膳岩」があったが、磐座(いわくら)が点在している青の山周辺には古墳時代の遺跡もあり、その関連性は如何に。御膳岩と共に人為的な雰囲気を漂わせる岩石だ。
▼指導標、三つ岩
--今報了--