<Today's word>人は誰でも心の中にモヤを抱えて生きているのだ。
人は皆、心の中にモヤを持っていて、それを晴らそうと、日々、施行錯誤しているものだ。
もし、心のモヤがすべて無くなってしまったら…、生きる道しるべを失ってしまうかもしれない。
<Flower arrangement>
<どう捉え、どう考えるべきか>
目覚めの一杯の水と…。
朝、起きたら、真っ先に一杯の水を飲もう。この、たった一杯の水が、寝ている間に失われた水分を補うとともに、身体を起こしてくれて一日の活動のスイッチ・オンだ。人間の身体の七十パーセントは、水からできているので、自分の思考や行動は、言い換えれば水の活動なのだ。
だから、身体全体に新鮮な水が行きわたる事をイメージしながら、ゴクリ、ゴクリと真剣に飲もう。
そうすると、脳が動き出す。
目覚めの一杯が大事なのだ。
重要な面談の日に、雨が降ってしまった。誰でもいやな気分になるものである。
こんな時は、まず「雨が降るのは地球の水分補給、大事なことだ」と、自分の気持ちを整理しよう。雨が降っていやなのは、面談の相手も同じである。相手がよりうっとうしい気分にならないように、工夫することが大事だ。
傘は立派なものがよい。ちょっと見にもわかる、立派なもので、誰でも差してみたいと思うぐらいのものにしたい。自分の気持ちを高揚させ、見る人の心を明るくする。雨の日を楽しくするための道具なのだ。
こんなちょっとした気遣いが、相手を感心させ、自分の気分も快適にする鍵になったりするものなのだ。
一日は、新鮮な一杯の水から始め、少しでも気分を快適にする演出を工夫しよう。
<新居宮池とWalking & Potteringの風景>
<This flower>ウォーキングコースに咲くオキザリス
Oxalis(オキザリス)は、ギリシャ語の「oxys(酸っぱい)」が語源で、葉や茎に蓚酸(しゅうさん)を含み酸味があることからである。品種はいっぱいあり、開花するのは昼間だけで夜は閉じるが、ほぼ1年中どこかで見かける。
花言葉は「喜び、母親の優しさ」だ。
名称<ぶっしょうざんこうえん、へいけ>・市街地に近いみどり<15>
所在地<高松市仏生山町>
・再観光へ勝手な想い度<★☆☆☆☆>
仏生山公園と平池は、
みどりと水が一体になったうるおいある風景をかもし出している。
仏生山公園は春から初夏にかけて、サクラやツツジの名所として知られており、公園の北側には古くから地域の信仰を集めてきた法然寺がある。平池からは東側に美しい日山が眺望でき、池の堤防が散策コースとして地域の人々に親しまれている。市民の健康のために公園機能とスポーツ機能をプラスした新しい時代の要請に応える総合公園として昭和62年度から総面積12haの整備に着手、全年齢層(特に中・高年齢層)に対応した健康運動公園づくりを目指している。
また、平池のほとりには「いわざらこざら伝説」を伝える一人の少女の像がたたずんでいる。香川県にはため池が数多く存在しているが、昔は堤防の決壊との闘いであった。平池も堤防の決壊に悩まされていた。平池の堤の改修中に現れた乙女を人柱とすることになり、それ以来、堤防から流れ出る水の音が「いわざらこざら(言わなければよかった、来なければよかった)」といっているように聞こえたそうだ。
平池
▼石灯篭の由諸、平池の説明板
いわざらこざら伝説は、平池改修工事ががうまく進まないとき、明日の早朝に「チキリ」(機織りの道具)を持った娘が通るのでその娘を人柱にすれば工事はうまくいくとのお告げがあった。
翌朝、一人の娘が工事現場を通りかかった。人々が娘に持っているものを訊ねると、「チキリ」と答えたので、その娘を人柱にしたという。その後、水の流れる音が、「いわざらこざら」と聞こえた。これは「いわざらまし、こざらまし」ということで、「(ちきりを持っていると)言わなければ良かった、(ここへ)来なければよかった」という意味である。そこで人々は「ちきり大明神」として、その女性をお祭りし、今でも近くに「ちきり神社」がある。というのが物語だが、この像の横の説明では少し違っている。
チキリを持った女性が工事現場に来て「人柱を立てなさい」と告げたそうだ。人々は誰を人柱にするか決めかねて、そのチキリの女性を人柱にすることに決めたそうだ。こちらでは、「いわざらこざら」はここにきて、(人柱のことを)言わなければ良かったという意味になる。
伝説だからどれが正しいということでもないが、いずれにしても、昔の土木工事の厳しさとそのために人柱となる悲哀を感じる物語である。
引き続き、Vol.161-2/2をご覧ください。