<Flower arrangement>
私たちはどうも、生意気にも持て余し、贅沢にも持ち腐れにして、宝との認識が薄いことがある。
例えば「豊かさ」がそうで、何百年もかけて貧からの脱出を願っていながら、たかだか四半世紀少々、経済状態がよくなると、もう「豊かさが人間を蝕んだ」などと言っている。
手に入れた宝を、宝と思わずに冒瀆しているものが随分とある。
大きなものでは「平和」もそうだろうし、「自由」なども絶対の宝である。毎日、感謝の言葉をかけても良いほどのものだが、どこにでもある、誰もが手に出来るものだと考えているように見え、バチあたりにも持て余し、持ち腐れにしているところさえ窺える。
特に「自由」はそんな感じがする。私たちは自由を獲得したという感覚が少ない。私の世代ですら、自由を「与えられた」と思っているから、もっと若い世代だと、「絶対の権利」として持って生れてきたと思っているかも知れない。だから「自由」がかけがえのない宝だとは思っていない。大切に扱わないと壊れるとも、いいかげんに使うと没収されるとも考えていないのだろう。
こちらが自由だと言えば、自由として永久に通じると、どこかで思っているのである。
「自由」とか「平和」とかというものは、只で貰ってはいけないのかも知れない。戦って獲得するか、自分の一番大切な精神と等価交換するか、のどちらかだと位置づけすれば、粗末にしないだろう。
まして、悪役にするなどもっての外だと思うんだ。
<新居宮池とWalk風景から聞こえるのは>
<This flower>ウォーキングコースに咲くアメリカ朝鮮朝顔
アメリカ、メキシコ北部地方原産で、一般的な呼び名は「アメリカ朝鮮朝顔」。他にも単なる「朝鮮朝顔」ど、いろんな名前がついている。
似た種類に、「毛(け)朝鮮朝顔」というのもあるらしい。
「ダチュラ」「ダツラ」の名の花はこの花を指すことが多いようだ。
木ではなく「草」で、夏、大きいラッパ型の白花を上向きに咲かせ、強い芳香がある。実は、柿の実にとげがついたような形で、とげの部分は柔らかくなんか不思議な形だ。
<香川のみどり百選シリーズ2-⑧:由良山>
山名<ゆらやま>・市街地に近いみどり<17>・里山の番号<54>
所在地<高松市由良町>
・標高<120>M ---≫山歩き出会い<17>人・登山記帳<済>
再登山へ勝手な想い度<★★★☆☆>
高松市街地が南に広がっている。平地にボコッと盛り上がり、新緑の中に石を切り出した跡がくっきりと見えるのが由良山だ。
山と呼ぶには小さいけれど、れっきとした山である。
それもかつては石材産業をはぐくみ、麓の人々に大きな繁栄をもたらした、かけがえのない山なのだ。由良山の石は雲母安山岩で淡い青色や赤色(褐色)をしていて、熱に強く加工しやすいのが特徴だとか。
歩いたときのソフトな感触が評価され、皇居東庭の敷石として採用されたほどである。
山頂からはほぼ360度の見晴らしを楽しむことができ、山の周辺は地元団体が設定した史跡巡りコースで、由良角力土俵跡、石切場の跡、防空壕跡、洞窟などを巡ることができる。
JR高松駅経由、コトデン仏生山駅で下車し、マイチャリンコで麓まで行ったが、自宅を出発して約2時間を要し、山歩き時間は約1時間であった。
登山口にある清水神社では毎年8月第一土曜日に、雨乞いと五穀豊穣を祈願して「お火あげ」神事が催され、松明を持って氏子達が山頂で神事を執り行う。この神事は高松市の有形民族文化財になっている。
▼登山口の清水神社と登山口
清水神社前から左側に延びる作業道を進んで行くと、左手上に鎌倉時代に作られた土俵跡があり、今は石垣だけが残っていてその面影を偲ばれる。
▼導入路と由良相撲跡
舗装された道を折り返して高度を稼いで行く。
▼西登山口800mと600m標識
右手に大きく削られた採石場跡に入って行くと、その跡に水が溜まって出来た池に着く。高く切り立った断崖の壁の下に青い水を湛えた異様な光景に不気味さを感じる。
▼水が溜った採石場跡とakijii
▼採石場跡と睡蓮の池
「ようこそ、アートの丘、由良山へ」に出迎えられる。
▼アートの丘と投句コーナー
▼川柳さざんかと川柳の発表掲示板
▼墨彩画
漸く西登山口300mまで辿り着いた。
引き続き、vol.136-2/2をご覧ください。