<Flower arrangement>
自分の「正」と「負」。
地球上のあらゆる国々にそれぞれ異なる法律があるように、この地球自身にも他の星と違った法律があり、どうにもこうにも動かし難い厳然たる法則に基づいたもので、「陰と陽」、「-と+」、「負と正」等々という、相反する二つのもので成り立っている、と美輪明宏氏が著書で語られているが、良いこと〈正(せい)〉の次に悪いこと〈負(ふ)〉が起こり、またその反作用で良いこと〈正〉が起こる。
それを繰り返すので人生は±0になるとしている。
小生は、これまでの体験で自分を含め周りの人々を見て来て、人間の誰にも〈正〉と〈負〉は必ずあると思っている。まず健康であるとか、健常者として普通の生活ができる、それがなによりの〈正〉だが、それを当たり前だと思って〈正〉だと思わない人が多い現実があるが、病気になった時に分かる事となる。また、自分は病気で〈負〉ばかりだという人、自分には何も〈正〉がないと思っている人がいる。だけど〈負〉ばかりだと思っている人が、愛情に恵まれている、物質的に困らないでいられるという〈正〉を持っている場合もあるのだ。
何もかも全部ダメ、という人はまず珍しい。
〈正〉のない人や〈負〉のない人はいないのであるから、自分自身を厳密に計算する必要がある。
そして、どちらの比重が多いか少ないかを知って、それを削ったり増やしたりする努力を必要とする。
教養が少なくても、器量が悪くても、一生懸命に働いて正直な人は信用があるから、誰かが助けてくれるので、どん底まで落ちることがない。
そして、人並みに働いている人は、やはり人並みの生活だが、人並み以上、頭一つ出している人は、他の人たちの二倍三倍も、頭脳と肉体労働の両方で働いているのである。
つまり、「出し惜しみをしない」、苦労の出し惜しみをしない人は、それだけ恵まれているのだ。それだけのものを得ているということは、それだけの努力をしている。
自分の好きなことばかりをしていては、よくなるはずがなく、貧乏で当たり前となるのだ。
努力しない人も平等になどというバカなことはない。「すべて平等は、不平等」である。
人生は、「何かを得れば何かを失う。何かを失えば何かを得られる」のだ。
その法則に基づいて、身の周りに起きた、立身出世から、金銭問題、恋愛、健康、病気、現在の境遇等々を、よく考え思い巡らし計算してみると、どんな些細なことでも、吉凶の犠牲があってこそ成立しているのだということが分かると思う。そうすれば「人生の理不尽」と思われる事もすべて納得がいくはずだ。「なるほど、こんな不幸が来たのは、あんな吉事があったからなのだ」「こんな良いことがあるのは、あれほど悪いことがあったからなのだ」「何かを失えば何かを得られるというのは、このことか」と、自ずと明快な答えが出て来ると思うのである。
小生自身の「±0になる」位置へは、あと少しの〈正〉を増やす努力が必要と計算している。
誰もが、迷いのないスッキリとした人生へ向けて、舵を取ることを信じて…。
<新居宮池とWalk風景から聞こえるのは>
<This flower>ウォーキングコースに咲く鶏頭(けいとう)
開花時期は8月上旬~12月上旬頃で、熱帯アジアなどの原産。日本には万葉時代にはすでに渡来していた”古株”である。花が鶏の鶏冠(とさか)状に見えるのでこの名前になった。英語でも「cocks-comb」(鶏のとさか)なのでこの花に対するイメージは世界共通なのかも知れない。
花が丸くなって咲くものや、槍のようにとがるものなど、いろいろある。色は赤いものがほとんどだが、だいだい色のものもある。
昔は草染めの原料として利用された。
花言葉は「おしゃれ」(鶏冠鶏頭)「個性」(槍鶏頭)。
「秋風の 吹きのこしてや 鶏頭花」与謝蕪村
<香川のみどり百選シリーズ2-⑦:翼山>
所在地<引田町>・標高<125>M
---≫山歩き出会い<0>人・登山記帳<無>
再登山へ勝手な想い度<★★★☆☆>
鳥が翼を広げ、いままさに大空に向けて飛び立とうとする姿からこの山は、翼山と名付けられた。
小学生も中学生も日々、この山を仰ぎ見て、将来の夢や希望をはぐくんだに違いない。中学校の校章や校旗は、翼を抽象化したデザインだ。山の標高はたった125mだが、この山に登り始めると、誰もが随所に鎮座する八十八体の石仏(ミニ88カ所)に驚かされるだろう。これらは比較的新しく、地元の郷土史研究家によると「昭和5年から9年に掛けて入池覚真(いりちかくしん)という修業者が頂上にお聖天(おしょうてん)さんを建立。そこを住まいにして信仰を広めたのが始まり」だという。
引田の城山からの帰りに、「里山に遊ぶ さぬきの里山88話」の30番に載っている翼山に登った。
この山は引田の街並みのすぐ西側に位置し、山頂からの眺望が素晴らしいが、当日は天候が優れずボヤで覆われた。国道からも大きな祠の有る岩場を冠した南峰を見る事ができる。
県道123号線の川沿いの岩崎橋のすぐ左に、アンパンマンの絵とバスのりば「つばさえき」と描かれた待合所が有り、そのすぐ左側が登山口だ。
▼石地蔵の横の岩場には梯子とロープが設けられていた。
そこを上がって行く。
▼随所に安置されたミニ四国八十八ケ所の石地蔵に導かれての尾根歩きとなる。
最初は樹林の中の登りだが、高度が上がって眼下に引田中学校が見えてくると、露岩の多い道となって見晴らしがよい。
間もなく尾根の最高点に建つNHKの中継塔の側を過ぎる。
▼道は下りとなって小さなコルの分岐に着く。
分岐を下って行けば尾根を巻いて登山口に降り立つ。
分岐から再び稜線を進んで岩尾根の小さなピークを越えて行く。
▼石仏は途中随所に有って道標となる。
岩尾根から下り再び鞍部を経由して、急な岩場の登りの取りつきにはロープが架けられている。
▼尾根道を振り返る、登山道のakijii
南峰と北峰の鞍部に着いた。
引き続き、vol.135-2/2をご覧ください。