Vol.75 苦しみを越えて…。<香川県の史跡・名所シリーズ③:善通寺> | akijii(あきジイ)Walking & Potteringフォト日記

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「凡に中なる、これ非凡なり」(論語)、「何事も自分に始まり、自分に終わる。自分を救う道は自分以外ない」(夏目漱石の言葉)を座右の銘に、我流(感性だけ)の写真を添えて日記を綴る。

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3B2S、この一球>苦しみを越えて…。


人は重い病気に罹ったり、経済的にどん底に落ちたり、災害で愛する身内を失ったりして絶望的になった時、タイミングよく親しい友人や宗教家が支えてくれるときには、闇の中に光が射して、落ち込んでいる人が再起することができる機会が与えられる。

次の詩は、アメリカ南北戦争の頃、南軍の兵士が戦争で大きな怪我を負ってニューヨーク州立大学病院に入院していたときに、病室に残した詩だそうだ。 


大きな事を成し遂げるために力を与えてほしいと神に求めたのに、謙虚を学ぶように弱い者とされた。より偉大な事が出来るように健康を求めたのに、より良い事ができるようにと病気を戴いた。

幸せになろうとして富を求めたのに、賢明であるようにと貧しさを授かった。

世の中の人々の称賛を得ようとして成功を求めたのに、神を求め続けるようにと弱さを授かった。

人生を享楽しようとあらゆるものを求めたのに、あらゆる事を喜べるようにと命を授かった。


求めたものは一つとして与えられなかったが、願いはすべて聞き届けられた。

神の意に添わぬものであるにも拘わらず、心の中の言い表せない祈りはすべて叶えられた。

私はあらゆる人の中で最も豊かに祝福されたのだ。


ご感想は如何ですか…。


<今朝の新居宮池と、Walk百景>

朝日が昇り始めた宮池と、今朝のウォーキング山越えから降りた風景です。

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<今報の花>小生の庭に咲く紫式部
紫色の実の清楚な美しさを、平安美女の「紫式部」(西暦1000年頃の人)にたとえた。
また、紫色の実をびっしりつけることから「紫重実、 紫敷き実(むらさきしきみ)」と呼ばれていたものが、いつのころからか源氏物語の作者・紫式部を連想させて「紫式部」となっていったとの説がある。
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<香川県の史跡・名所シリーズ③:善通寺>

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善通寺
(ぜんつうじ)は、善通寺市にある寺院で、真言宗善通寺派総本山である。  


屏風浦五岳山誕生院と号する。本尊は薬師如来。四国八十八箇所霊場の第七十五番、真言宗十八本山一番の札所である。平安時代初頭の807年に真言宗開祖空海の父である佐伯善通を開基として創建された。伽藍は創建地である東院と、空海生誕地とされる西院(御誕生院)に分かれている。


▼金堂(本堂)、五重塔

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空海(弘法大師)は讃岐国、現在の善通寺市の出身である。『多度郡屏風浦善通寺之記』(江戸時代中期の成立)によれば、善通寺は空海の父で地元の豪族であった佐伯直田公(さえきのあたいたぎみ、法名善通)から土地の寄進を受け、大同2(807)に建立し始め、弘仁4(813)に落成したという。空海の入唐中の師であった恵果が住していた長安の青龍寺を模して建立したといわれ、創建当初は、金堂・大塔・講堂など15の堂宇であったという。寺号の善通寺は、父の名前である佐伯善通から採られ、山号の五岳山は、香色山(こうじきざん)・筆山(ひつざん)・我拝師山(がはいしざん)・中山(ちゅうざん)・火上山(かじょうざん)5つの山の麓(ふもと)にあることから命名された。

▼鐘楼、南大門

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東寺百合文書(とうじひゃくごうもんじょ)の延久4(1072)の「讃岐国善通寺所司等解」(さぬきのくにぜんつうじしょしらのげ)という文書に、善通寺の由来について「弘法大師御先祖建立道場」とあり、空海の先祖による創建だとする伝えが古くから存在したことがわかる。境内からは奈良時代にさかのぼる古瓦が出土しており、善通寺は実際には佐伯一族の氏寺として創建されたのではないかと推定されている。中世には足利氏、近世には高松松平家や丸亀京極家の庇護を受けて大いに栄えた。また、明治に入ると付近に陸軍基地が置かれ、軍都として発展した。現在も陸上自衛隊善通寺駐屯地がある。

▼中門、五社明神


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▼仁王堂、仁王堂と回廊

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▼回廊、御影堂(大師堂)

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▼御影堂(大師堂)、護摩堂

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▼遍照閣、正覚門

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