ものすごく久しぶりの更新。

なぜ、更新できたのか?

答えは簡単。

コーチングセミナーに参加し、勉強できたこと。

そしてセミナー終了後、セミナーに参加していた他校の先生と、やる気のある教師同士の会合を持とう!と言う具体的な話ができたから。(この話は、また後ほど)

前向きな話をすると、気分が良くなるし、もっと頑張ろう!っていう気になる。


まっ、更新できたのは、夜遅く帰宅し、子供を寝かしつけることがなかったことが最大の理由かな。


学校が始まって約3週間、学校現場に復帰して色々なことがあったし、思うところもある。

確かに研修生での生活から比べると、忙しいし、大変。(仕事の仕方を忘れているせいもある)

しかし、なぜだか分からないが、あまり苦痛に感じない。

むしろ楽しんでいるくらい。

だけど、この精神がいつまで続くのかと考えると、不安になったりもする。

そのうちに、多くの教師が発するように、「疲れた~」とか「やってられ~ん」とか言うのではないかと。

そんな日が来ないようにと、コーチングセミナーに参加したり、頑張っている教師とのコミュニケーションを多くしたりはしている。

これは続けていこうと思っている。


話は変わって。

3月に企業訪問した大手企業のグループ会社の別の人事の方が、先日本校を訪問してくれた。

そして、2名の求人をいただくことができた。

例え、都会は好景気とは言え、そのような企業様から、求人をいただけるとは訪問したおかげである。

「足を運ぶことって大事だなあ」って痛感した。

すごく嬉しかった事なので、報告。


あと、

本校の生徒は本当に素晴らしいってつくづく思う。

何が素晴らしいかって、

生き生きと元気で、気持ちのいい挨拶ができるのである。

たったのそれだけかと、思うことなかれ。

これだけあれば、世の中歩いていけると思う。

私が感じたように、一般の大人も「かわいいい奴」とか「憎めない奴」などと思うことだろう。

この性質があれば、周囲の者を気持ちよくさせることができる。

研修生活から学校現場に帰ることで、毎日たくさんの「おはよう!」や「さようなら」を言う。

生徒の挨拶には、随分と気分良くさせてもらっているし、疲れている時には癒されている。

この有り難さや気持ちよさは、挨拶がまだできていない生徒たちにも分けてあげたい。

そのためにも挨拶は、欠かさずしていこうと思う。


それに対して、大人(教師)からは、気持ちのいい「おはよう!」が返ってくることが少ない。

中には、返ってくることさえない。

暗い気分になるし、自分の心に棘でも刺さったかのような気分にさえなり、次からは、その教師には挨拶をしたくなくなったりもする。

だから、報連相なんかできなくなるし、コミュニケーションも希薄かつ粗雑なものになってしまう。

ここのあたりから変えていくべきかな?とも思う。

誰かが言っていたように、「教師が変われば、学校が変わる!」んだろうな。(私は「校長が変われば、学校が変わる」っていうのを思い知らされているけど)

本県も近いうちに能力給が導入されるようだが、大げさな話、「人を気持ちよくさせる挨拶ができる」っていう、査定ポイントだけでも良いようにも思えてくる。


さて、明日は6時間授業が詰まっている。

早く寝なければ!


本年度の私の役割がほぼ確定です。

週20時間の授業の持ち時間に、進路指導部の就職担当(各種データ入力等)、農場長(各科の取りまとめと言えば聞こえは良いが、要は雑用係)、女子バレーボール部顧問、1年1組の副担任です。

おまけに科内の人間関係の悪さ、協力体制不足、コミュニケーション不足が追加されます。

頼まれるうちが華と、引き受けてきたものの、研修明けの身体には、結構きついものがあります。


頼まれて、全てを引き受けてしまうってのもどうかと考える時もあります。

十分にできなくて、迷惑かけるようだと引き受けてはならないと思うし、ましてや生徒に被害を与えるようでは、引き受けてはなりません。

しかし、「できません」は言いたくはありません。

「できない訳を考えるより、できる方法を考えろ!」(オリオリさんの記事から拝借しました)の精神が働くわけです。

(実際はその方法や知恵が出てこないために、苦労しています)


先日の科長会で、「できないものはできん。できる方法を管理職が考えてくれ!」という発言が2人から発せられました。

すごく嫌な気分になり、その気分は翌日まで持ち越されました。

というのも、発言にも嫌悪感を抱いたのですが、それに対して何も言わなかった自分にも腹が立ったからです。

ただ、その翌日、その会に出席していた別の教師から、私と同じような感覚を抱いたという話を聞き、救われたようにも思いました。

共感者がいるって心強いです。

次からは、思ったことは発言しようと思います。


生徒を見ていると、問題は教師かな?って思うことがしばしばです。

本校の生徒などは、ホントにいい子が多いと思います。

挨拶はできるし、コミュニケーションもとれるし、明るいし。(全てではありませんが、多いと感じる)

我々教師は、何とかしてこの生徒達が自己実現を果たせるようになるためのキャリア形成の支援をしなくてはいけません。

教師にその視点が欠けているように思います。

どうしても出口(卒業時の進路)に目がいってしまっているのです。


さあ、akinbo! どうしようか?・・・・・・・・・・・考え中。


とりあえず、溜まっている雑用をやっつけなくては!

それをやりながら、考えが浮かぶだろうし、情報が向こうからやってくるだろう。

そう!「きっとうまくいく」から。

そう信じている。

幾日ぶりかの更新です。

身体が学校生活に全く慣れていません。

まず、朝が1時間早くなったこと、学校内では休息の時間が無いこと、帰りが1時間遅くなったこと、通勤が往復2時間になったということで、夜は子供と一緒に布団に入ったら、朝までノンストップです。

研修生活とは、全く違った生活にやや疲れ気味かもしれません。


明日からは、本格的に生徒に触れ合いますが、久しぶりの生徒との触れ合いだけにやや緊張しています。

それは、教師の言動によって、生徒を生かしもするし、殺しもするということが分かったからかも知れません。

コーチングのコミュニケーションを念頭に置き、時にはカウンセリングマインドを発揮しつつも、ティーチングも組み合わせなければならないと思っています。

それだけに、どんな言葉を発しようかと考えたりしてしまいます。

あまり考えすぎて、萎縮してしまってもいけませんので、「情熱は伝わる」でいきたいと思います。


話は変わって、

先日のある部会で、若手の素晴らしい意見に感心させられました。

「これまでのように、やりっ放しではいけないと思います。繋げていくような取り組みにしないといけないと思います。それから新しい取り組みを考えていきましょう。」と。

その中では、最年少のT先生です。

その部会は、比較的校内では前向きな教師が集まっている部会なので、彼の意見には一同、「うん、うん」と。

聞いているこっちが、胸のすくような気持ちになれましたし、とても嬉しかったです。

本来なら、私のような者が発しなければならない意見ですが、若手が言うことで、よりみんなが“やらなければ”という意識になったと思います。

また、私自身としては、めげた時には、彼からプラスのパワーをもらおうと思いました。


部活動では、女子バレーボール部を担当することになりました。

全くの素人ですが、専門家がいない現状では、専門を持たない私などは、やむを得ないことでしょう。

技術指導はできなくても、生徒をやる気にさせることは、できると思います。

ホーム主任を持たなかったので、深く生徒に係わる機会がないなあ、って思っていたところなので、これもよしとしなければと思っています。


前回更新から、しばらく日が経つので、たくさん書くことがあったのですが、忘れてしまいました。

思い出したら、また書きます。

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現場に帰り、5日経ちます。やっていることは大したことはないのですが、家に帰り食事して風呂に入ると、眠くて眠くて。子供と一緒に爆睡です。PCに向かう力が残っていません。情けない。できるだけ近い内に、今の想いを書きたいと思います。写真は本校で飼育しているダチョウです。体に似合わず愛くるしい顔しています。

涙の訳が解りました。

研修場所から帰りながらもその訳を探していたのですが、これと言ったものには行き当たらず、家に帰り、記事を書いても、これっていうものを見つけることができませんでした。

しかし寝る前に読んだメンターから借りている「大丈夫! うまくいくから」浅見帆帆子著にありました。

丁度読みかけていた“感謝する”ってところです。(こんなところでも、私は運がいい!)

記事でも、「感謝の気持ちかな?」とは思ってはいたものの確信に変わりました。

研修期間中、メンターをはじめ随分と人たちにお世話になり、いいものをたくさんもらいました。

私はそれを表面的にも有り難いと思っていたのですが、もっと心の奥深い、自分の感覚にもないところにも、その有り難い想いが蓄積されていたのです。

それが、思いもよらぬ涙になったものと思われます。

今でも、あの時の感覚を思い起こすと、涙します。

しかし、これからは、できるだけ後ろを振り返らずに、前向いて頑張っていきたいと思います。


昨日(土)、新年度の組織を決めるための職員会があり、初出勤しました。


学校長が良いことを言いました。

「昨年に引き続きとか、右に倣えとかの方法は捨て、生徒のためなら何でもやるという精神で取り組んで欲しい」という言葉がありました。

「いいこと言うじゃん」。そういう気持ちで、全教職員が取り組んだらいいなあと思いました。


でも、気のせいかも分かりませんが、留任した先生からは、いい“気”を感じることができませんでした。

先入観もあるかも知れませんが、「また始まるのか~・・・」という重い“気”が漂っているようでした。

これからここで、高いモチベーション維持できるかな?って少し心配になりました。

(まっ 飲み二ヶーションを重ねたり、日頃の取り組みを見て、見直すこともあるでしょう。先入観があったと思います)


あと、

配属された科の人間関係がうまくいっていないようで、これまた心配。

聞いていると、表現悪いですが、

「お前ら、子供か?」って言いたくなる。

しかし、そんなこと言っても解決にはならないので、聞くに徹した。

コーチングの成果を発揮してやる~って思いながら聞いたが、それには至らなかった。

というよりも、そこへ持っていく糸口が見つけられなかった。

まあ徐々に。

それから、人を何とか変えてやるってのも、奢りすぎかもしれないし。

とにかく自分が、変わっていかなければ、話になりません。


それに対して、異動して来られた先生は、いい気(オーラとでも言いましょうか)を発散していて、こちらまでいい影響を受けそうで、楽しみに感じました。

そのいい“気”を出し続けてもらい、お互いにいい“気”を浴びせあえられるといいなあって思いました。

いい“気”を出していると言えば、部活動で登校していた生徒は、いい気を出していました。

元気な、気持ちのいい声での「おはようございます」は、こちらにまで、いい影響を与えてくれました。

ささいなことかも知れませんが、私はこの挨拶だけで、いい気をもらえた気分になります。

こちらもそんなものを与える存在でいたいです。

毎日をワクワク、ウキウキと過ごせられるような学校になれたらいいですねえ。

明日は、他県との人事交流でやってくる先生の引っ越しを手伝いに行きます。

まだ会ってはいないのですが、非常に楽しみです。

配属された科では、同じ作物を担当することになり、農場運営・管理では2人3脚でやっていかなければなりません。

その先生の県の農業高校事情や農業のこと、果ては文化までをも知ることができると思います。

今からワクワクです。

ちなみに明日は、土曜日の代休です。



やはり、現場に帰るとブログの毎日更新は難しそうです。

昨日は、爆睡してしまいました。


言い訳か!?

と、喝をいれてみたけど・・・

今日、2年間の研修生活にピリオドが打たれた。

「さあ、現場だぞ!」って意気込みもあるが、

全身全霊で研修に取り組んだというわけでもないのに、なぜか寂しかったりする。


その気持ちを増幅させるかのように、私のためにメンターをはじめ、研修場所の皆さんがお昼に食事会を催してくれ、ご馳走になった。

それだけでも十分におセンチな気分になっていたのだが、帰り間際にセレモニーをしてもらい、もう限界。

目に溜まった涙は溢れ出してしまった。

泣くほどのことをしたんか?っていわれると、ホントにしてない。

指導教官であるメンターから厳しい指導を受けたのか?って、そうでも全くない。

むしろ、メンターの言うことの楽な方を選んできたくらいだ。


泣いてしまう理由を考えながら、帰宅したわけだが、心当たりがない。

むしろ、考えれば考えるほど、泣けてくる。


もちろん、研修場所で出会った人達には大変お世話になった。

みんないい人達であり、愛をたくさんもらった。

だけど、いつまでも研修をしていたいとか、離れたくないとは思っていない。(寂しい気持ちはたくさんあるが)


ただひたすら感謝の気持ちの涙かな?とも思ったりする。

そんなふうに思えるようになったのも研修のおかげかな?

実際には、精神的にやっぱりしんどい部分もあったのかな?

通い慣れた道の風景を見ながら、「この景色もこれが最後かあ」、「よく通ったなあ」、と感慨深いものもあった。


学校現場とは、全く違った時間の流れ方をする研修生活。

じっと椅子に座ったまま長時間、文献を読む、PCに向かうなんて生活は苦しかったかもしれない。

だから感慨深いのかな?


研修での2年間は長いようにも思われるが、惰性で過ごしてきた現場生活を見直すには丁度の期間だったと思う。

1年目を終えた時、研修から現場に帰る先生が羨ましかったが、今は2年で良かったと思える。

それだけ、2年目にたくさんの財産を得ることができたからだ。

キャリアカウンセラーの資格取得にチャレンジできたことや多くの異業種の方と知り合いになれたことなどなど、無形の財産ができた。

こうした財産を得ることができたのも、メンターのおかげだ。

メンターが情報を与えてくれなかったり、示唆をくれなかったり、誘ってくれなかったら、これらの財産は1つも得られなかっただろう。

私は、メンターの言うことやアドバイスの楽な方を選んできたが、それでもかなりの充実感である。


私は、現場にいるときから、メンターの存在は知っていて、その活躍ぶりは風評で知ってはいた。

しかし、これほどの人とは知らなかった。

もちろん、机を並べていたわけではないので、その全てを知ったわけではないが、話すことややっていることの一部を見聞きするだけだったが、十分だった。

一緒に仕事なんかしたら、自分の無能さに苦しむことだったろう。

そういう面では、研修生という立場で出会えて良かったかな。(ラッキー!)

私には追い風が吹いているようだ。

私は幸せな人間です。

そんなことを感じる研修生活だった。


研修生という立場に甘えて、メンターにはすっかり頼ってきたが、これからは自立しないといけないと思う。

36歳。

いい加減に自立しなければならない年齢だが、研修に出ることがなく、現場で過ごしていたら、そういう意識も湧いてこなかったと思う。

セーフ!  遅いかな?

現場に帰って、壁にぶつかった時、メンターならどうするか?って考え、解決の道を探ろうと思う。


これまで、「教師とは?」、「教育とは?」、「学校とは?」などと考え、ああでもない、こうでもないと定まらずに教師生活を過ごしてきたが、なんとなく「こうだろう!」っていうものが、私の中に確立できつつある。

それをここで表せって言われると、まだ書きづらいが、学校生活の中で答えが出せるだろうと思う。


メンターからの影響として他にも、自分の感情を正直に表に出せるようになったことがある。

なんかねえ、メンターって自分に正直。

もちろん私らの前では、作った姿もあるようだが、十分すぎるくらい正直。

これからはもっと自分に正直に生きたいです。

泣きたいときには、泣いたらいいじゃんって感じ。

生徒の前でも泣きそうだ。

そんな生身の人間でいたい。

今日流した涙は、きっとこれからの学校現場で取り組む姿勢に活かされるだろう。

この気持ちや涙を裏切らないようにしたい。

明日は土曜日で、休業日だが、組織作りのための職員会。

新たな気持ちで臨む。

メンター、また研修場所の皆さん、本当にありがとう!

今日、所属校の教頭から、私の4月からの役割(配属)が決定したとの電話があった。

どこの部署へ行っても、研修の成果は発揮できるし、どこででも発揮しなければならないものなので、「希望は特になし」としていたのだが、農場長で、進路指導部所属とのことである。

農場長というのは、農業各科をとりまとめ、農業科を代表する役割であり、正直私には荷が重いと思う。

ただ前例に従って当たり障りのないことをやるだけなら可能だとは思うが、どうせやるなら変えたい、変えなければならないと思っているので、そう考えた時に重荷に感じるのだ。


打診はあり、「もう一度再考していただいて、適任がいなければお受けします」と回答していたが、その上での結果だけにやるしかない。

所属校には実質2年間しか勤務していないが(その後研修に出たので)、変えなければとは、ずっと思っていた。

その矢先の拝命ではあるが、こんなに大きなポストからとは思ってもいなかっただけに、結構とまどっている。

どこから手を付けたらいいのか?何ができるのか?何から話せばいいのか?何に重きを置くのか?

農場長という立場から研修したキャリア教育を推進することが先か、同僚の意識を変えることが先か、なども考える。


後輩同僚から電話があり、「先輩、母校(彼は所属校のOBで、今は別の学校にいる)を変えてください。停滞しきっています。」と激励された。

そんな学校である。


すぐに結果は出ないと思うが、空気は変えたいと思う。

そのために、学んだキャリアカウンセリングをいかして、同僚(特に若い教師)の話を聴きたい。

非難される教師であっても、何らかの想いがあるはずで、それに期待し、巻き込みたい。


やはり教員の意識が変わらないと、学校って変わらないと思う。

まずは、私が変わった姿を見せなければならない。

どんな姿を見せようか、色々考えたりもする。

私の模索はしばらく続くだろう。

でも、楽しみ。

世間一般の人は、農業高校というと、農家の後継者が通っているというイメージを抱くようだが、

現在私の所属校では、家が農家というのは、1/3いたら良い方でしょう。(学科にもよりますが)


入学後に志望の動機を問うと、「行ける高校がなかったから」、「中学校の先生に、ここしか行けないって言われたから」、なんて答える生徒も意外に多い。

そんな生徒は、農業科目の学習に対しても、なかなか興味関心をいだいてくれない。

いかに興味関心を持たせるかが、農業科教員の腕の見せ所である。


しかし、私は思う。

農業高校で農業を学んだ生徒には、“生きる力が付く”って。

授業でも言うことだが、ハクサイの種(ものすごく小さい。直径1mmくらいかな?)を見せ、

「みんなは、この種を渡されると、ハクサイの種っていうことがわかる。しかも種のまき方や育て方も知っている。しかし、進学校と言われる学校に通う生徒は何の種だかさえも分からない。君たちってすごくない?」って。

高校生にとって、あまりやる気を起こさせる言葉でも無かったようですが、将来感じてくれたら嬉しいです。


あと、普通校に通う生徒たちと一緒に、インターハイの準備をすることがあったのだが、その働きぶりには、歴然とした差があります。

農業高校の生徒は腰が軽く、さっさとやってくれる」(決してひいき目ではなくて)

なぜなら、彼らは日頃実習をやっているから。

毎週、2時間実習をやっている。

夏休みなどは、終日行うこともある。

だから、インターハイでの準備なんか、楽勝。

労を惜しまないようになる。


そんな素晴らしい教育を行っているにもかかわらず、全国的に農業高校、農業科が減ってきている。

なぜか?

人気が無いから。

中学3年生のニーズに応えていないから。


これは我々農業教員の力不足だと反省する。

「農業高校は人間教育を行っている!」、「その良さに気付かない周りが悪い!」って、その自負だけに頼り、時代の流れをキャッチし、自らの変革を嫌ってきたのである。


現在、農業の良さとか、大切さとかは、注目され始めてはいると思う。

しかし、それで農業高校や農業教育が見直され、注目されるわけではない。

環境の変化に対応できなければ、農業教育が日本から無くなるかもしれない。


農業後継者養成といった役割はすでに終わったのかも知れないが、それ以外の面での役割はたくさんあると思う。

それを全教職員で模索し、農業高校の柱にしなければならないと思う。

昨日は、畜産科の取り組みについて、代表的なものを紹介しましたが、今日は一般的な農業科の取り組みについて。

入学したての1年次の4月に、稲(もち米)の種籾を渡され、1人につき苗箱2箱に、1粒ずつ蒔きます。

成苗になると、それを手植えします。

田植えの際には、近隣の小学生を案内し、一緒に手植えを行います。

そこでは、小学生を指導しなければなりません。

指導する前には、もちろん教員が生徒を指導します。

非農家出身という生徒も多く、「初めて!」という生徒も多いですが、意外に指導なんかしてしまいます。

中には、教師が言ったことと違うぞ!っていうことをしていたり、教えている生徒もいますが、そこは稲。

結構、きちんと育ちます。


稲が成長し、収穫期になると、また小学生登場です。

今度も一緒に収穫します。

もちろん手刈りで。

鎌を使うので、非常に危なっかしいのですが、小学生は楽しくやってくれます。

高校生は、怖くてあまり小学生には近寄りませんが。

鎌を使わせると、毎年ケガをする生徒、児童がいます。

この作業の前には鎌の取り扱いには、十分注意するように言いますが、ある年のある生徒は、しれ~と私に近寄ってきて、何かと思ったら、またもやしれ~っと、「先生、切れた」。

よく見ると、指を押さえている。(数針縫いました)

「もっと慌てろよ~」と思いつつも、さぞや言いにくかっただろうな、と同情しました。

ちなみに私も、実家の稲刈りの際に、切って縫ったことがあります。(骨まで到達していたらしい)

生徒の前でなくて良かったあ。

ホントに、どういう動作をして、どうやって切ったのかわかりません。(父の死後、数日後だったので、ぼっーとしていたんだと思いますが)

機械でやると、ケガもなく、しかも早く終わるので、そちらの方がいいのですが、この取り組みを欠かしてはいけません。

この後、コンバイン(収穫する機械)で収穫しますが、その有り難さが分かりますし、昔の人の苦労がしのばれます。


で、12月くらいかな、またもや小学生を招き、餅つき大会。

これも指導させ、一緒に頬張ります。


すごくいい取り組みであり、一見、「これぞ、キャリア教育!」って感じなのですが、キャリア教育には至ってはいません。


なぜか?

やりっ放しだったのです。(私だけかもしれませんが)

事前の指導、事後の指導が十分ではありませんでしたし、生徒の取り組む姿勢を十分承認(評価)していなかったからです。

なので、生徒の中には、“やらされ感”の方が強く残ったと思います。


また、

これらの作業の中には、実社会での職業の特性も含まれています。

人に教えること、人とせっすること、コツコツと作業をしていくこと、研究すること、などなど。

生徒によっては、「この作業が好き」、「この作業なら、何時間でも耐えられる」などの感情が生まれると思うのですが、それらの感情をくみ取り、長所(個人特性)として認めてあげることができていませんでした。

4月から、現場に帰ります。

農業高校では素晴らしいキャリア教育となり得る取り組みが展開されていますので、不十分なところを改善したいと思っています。

農業教育のすごい教育(実習)内容について。

私は、農業高校に所属していますが、そこには1週間に2時間(2単位)の総合実習の時間があります。


私の所属校の畜産科では、1年の4月にヒナ鳥を1人につき1羽ずつ与えられ、世話をします。

成鶏になると、これがすごい。

その鶏の息を止め、解体し、食べる、ということを課します。


特に女子生徒なんかは、母性本能をくすぐるのでしょう。

ものすごくかわいがり、こまめに世話をし、大切に育てます。

にもかかわらず、最後はそんな辛い別れをしなければなりません。


その最後の実習の場は、指導者の方も大変だそうです。

そこは当然、修羅場となりますから、当然です。

それまでの過程がなくても、生きものに刃を入れるなんてできそうもありません。

しかし、確実にそれを課するそうです。

(畜産科の先生の指導力にも頭が下がる)

しかし、これを経ると、確実に人間が変わるそうです。


この例で言えば、

多くの人間は、鶏肉食べます。(私は大好きです)

しかし、どういう過程を経て、食卓に上ってきているかまで、思いを馳せることはあまりありません。

実際には、食卓に鶏肉があるということは、育てた人がいて、殺し、捌いた人がいます。(もちろんその後を担う人もいる)

それをあまりにも遠くの他人に依存し過ぎていて、また遠くに置きすぎて(心的距離を含めて)、我々はそういう現実を知らなさすぎていると思います。

もっと自分の食べ物に興味・関心を持ってもらいたいと思います。


畜産科では、他に出産に立ち会わせたりとかの実習もあったりと、まさしく「生きた教育」を行っています。


で、私の極論。

全ての高校に(中学校でもいいが)、農業教育を取り入れるべきだ!です。

小学校では、野菜や花を育てる、ウサギやニワトリを飼育するなんてやっていますが。