卒園式に行って来ました。

涙が落ちるほどは泣かなかったですね。

すっかりお兄ちゃんになっていて、すごく逞しく思えました。


教師のさがでしょうか、どうしても式典の運営に目がいってしまいます。

(我が子の卒園式くらい・・・って思うのですが)

と言っても、今日は運営には、首を傾げることはなく、むしろ保育士さんの苦労が伺え、頭の下がる思いで、見ていました。


改善を求めるのは、“お客さんのお祝いのことば”かな?

余りにも形式的で、誰に向けた言葉なのかが分からない言葉遣いと内容が多かったような。

首長代読の文章ももっと考えるべきだと思うし、代読する者ももっと感情が入っていてもいいのではないかと(文章棒読みでした)。

こういう式典では、聴いてもらいたい相手のレベルより、やや上の言葉を使ったり、内容にしている場合が多い。

だけど、聴かせたい、伝えたいならば、やはり確実に相手が理解できる話でなくてはならないと思う。

保護者会長も大人が聴くといいことを言っているんだけれども、子供たちには怪しいと思う。

「愛を大切にしましょう」って言われても分からないような。

その点で言えば、お客さんの中でも、さすがに小学校の先生の話は、園児に届いたかなあ、分かりやすかったなあと思う。


「人の振り見て我が振り直せ」です。

私も改めなければならない点に、新たに気が付きました。

とにもかくにも。

新生児仮死で生まれた長男が、早くも保育園を卒園し、小学校に上がるなんて、感慨深いものがあります。

記念品でもらったアルバムを見ながら、子供はどんどん、親の目から、親の所から離れて行くようで、寂しい思いをしました。

保育園で、親の知らない色々な体験をしているんですね。

いつまでもその体験に寄り添っていたい、その時間や場所を共有していたいと思うのですが、離れてあげなければならないんでしょうねえ。

もちろん、心の基地であり続けることには変わりはありませんが。

今日は、喜びの反面、寂しい想いもしました。

今日は、でしょうか?今日も、でしょうか?

酔っぱらいです。


酔うと多弁になったり、感情が豊かになったりします。(酔狂することは今のところ無いと思っていますが)

そして色々と考えます。

今日も代行運転の方との待ち合わせ場所へ行くまで、雑踏の中、自問自答していました。

「しっかりやっているか?」

「お前、大丈夫か?」

「周りの者を幸せにしているか?」

「どこ向いて行っているのか?」

なんて感じです。

今日の宴席で、そんなことを問われたわけではありませんが、一人歩きながら考えていました。


もちろん、自問したところで、答えが明確になるわけでは、ありません。

(一人そんなことを考えている自分に酔っているだけかも知れませんが)


家では、そんなことを考える余裕もないので、そんな時間を過ごすのもいいかな、とも思ってしまいます。


また今日は、雑踏の中を歩きながら、人を観察しながら歩きました。

歓送迎会シーズン、金曜日ということもあって、酔っぱらいが多かったわけですが、

それを見ながら、

「楽しそうに見えるけど、みんな色々な大きな荷物を背負って生きているんだろうなあ」とか、

今、この時間に一生懸命働いていると思われる卒業生のことに思いをはせ、

「頑張っているんだろうなあ」

なんて、考えたりしました。


そう、みんな必死で生きています。

私も大きな荷物を背負って歩いています。

それはそれで認めた上で、「私はもっともっと頑張ろうっ」って、漠然と思いました。


何が言いたかったかと言うと、

今日は酔って、夜の雑踏を感傷に浸りながら歩いたってことかな。

明日は長男の保育園の卒園式。

泣くかな?

生まれた頃を思い出して、「あの子がこんなに大きくなった」って嬉し泣きするだろうなあ。

人事異動の発表から数日が経ち、所属校(どこの学校でもそうでしょうが)では、来年度に向けての組織作りが本格化しているようだ。

異動発表があって、教頭から希望調査用紙が回ってきていた。

主任・副主任の希望は?部活動の希望は?公務分掌は?などについて回答するものだが、特に希望は無い。

もちろん、研修の成果を活かせる部署が望ましいかな?と思っていたりもする。

しかし、キャリア教育やキャリアカウンセリングは、どこの部署にいてもやらなければならないことで、敢えて「良きに計らって下さい」と回答した。


クラス主任などは、やりたい人が少ないので、特に希望しなければ、だいたい主任が回ってくる。

本来なら、「1年生から担当してみたい」っていう気持ちはあるが、学校組織のために空いたところを担当したい。(って書くと格好いいけど、主体性が無くてダメだなあ、なんて思ったりもする)

一昨年、昨年と生徒に接してきた教師の思惑もあるだろうし、あえて希望は申しませんってスタンスでしょうか。


あと、何科に属するのか?っていうことも心配材料としてある。

私の所属する農業高校には、園芸・畜産・林業・土木・食品・生活の各科があるが、これさえも現在宙ぶらりん状態。

園芸科意外は厳しいなあと思いつつも、農業科で採用されたので、どの科になっても文句は言えない。

だから何科になるのか、ややドキドキしている現在。


最近かな?

同僚たちから、

「どこを希望した?」とか

「俺の予想では、akinboは○○科に入って、○部を持って・・・・」とか

「○部を担当してくれ!」とか。電話がかかってくる。


「好きにして!」って回答しているから、ホントわからない。

だから、「勝手な推測なんかするなー」って思ったりもする。


今回私は、主体性の無い、いい加減?な回答をしたわけだが、組織作りって大切。

これが、失敗すると生徒に被害を及ぼすことになってしまう。

それだけは、避けなければならない。


管理職は全職員に対して、人事面接を行っているので、その成果を組織作りに生かして欲しいと思う。

そして全ての教師が、高いパフォーマンスを発揮できるような適性配置を望む。


あと1週間くらいで、体制ができあがるのかな?楽しみ。

前にも書いたが、どの部に所属しようが、やらなければならないことは決まっている。

軸がぶれないように意識していたいと思う。
昨夜は研修場所での歓送迎会でした。

そんなにたくさん飲んだ記憶はないのですが、夕方まで気持ちが悪かったです。

肝臓が弱っているためか?

ブログを書くために、寝るのが遅くなって、体力が落ちているためか?

なんて考えたりしてしまう。

まっ、そんなことを心配する前に、午前1:00まで飲むなんてことをしなければ、いいだけかもしれない。

二日酔いになるたんびに反省しますが、未だにその反省が生かされる事って少ないですね。

結婚する前から比べれば、増しな飲み方をしてるから、良しとしなければならないかも。

学校現場に帰ると、飲み会の回数も多くなりそうなので、ますます自己管理が求められそうだ。

今日は盛りだくさんの1日でした。

まず、午前中、タケノコ掘り。

2時間で約30個。

これだけ掘ると、さすがに疲れました。

この時期になると、大分成長していて、見つけやすくなります(と言ってもまだ顔を出していたわけではありませんが)。

土の盛り上がり方が違っています。

ですので、「ここだ!」って思って掘ること、 2回に1回の割合で掘り当てることができます。

その土の盛り上がり方を見ていて思ったのですが、植物の生命力ってすごい!って。

ホント、周囲10cmぐらいの硬い土を押し上げて、頭を出しているんです。

その姿がすごくけなげでもあり、逞しい。(ありきたりの言葉ですが)

人間の生き方としても見習うべき姿だと感じました。


また、本来なら竹になるべく懸命に芽を出している命なわけです。

人間の生命維持のためにお裾分けしていただいているものなのです。

今、小学校か中学校かは分かりませんが、給食時に「いただきます」を言うべき、言う必要なし、で議論した、なんてことが取り上げられていましたが、本当に悲しい話です。(すいません。私も言わないときもあるし、食べ物を残すことがあります)

食料の生産現場や収穫現場を見て、体験してもらいたいと思います。(「言う必要なし」なんて言う人は感じないかも知れませんが)


それから、3箇所のお墓参りに行って来ました。

先祖に向けて、手を合わせる行為って素晴らしいです。

毎日の生活の中でのドロッとしたものを洗い流してくれるような、忘れさせてくれるように思いました。


午後から、長男が地域の子供会に入会するので、その歓迎会に付き添って来ました。

子供会の世話役さんの取り組みには、頭が下がりました。


それから、家族で近くのスーパーへ行って、買い出し。

貧乏人の性でしょうか?値段を見て買う、買わないを判断しなければなりません。

うちの子、試食コーナーが大好きで、今日なんか3箇所で食べていました。

これってどうなんでしょう?買うわけでないので、あるいはみっともないから、させるべきでないのか。

私は個人的には、大げさな話、「お茶碗を持って、試食コーナーへ行く!」ってくらいの気概が欲しいって思ったりもしますけど。

妻は、「恥ずかしいから」って言いますが、私は恥ずかしい、恥ずかしくない、というのは、子供たちがこれから成長していく過程で感じていったらいいと思っています。(売り子さん側に立つとさせるべきではないのでしょうけど)

だけど、何かしらの教えは必要だと思っています。


それからそれから。

水田の準備をしました。

田圃の周囲の土を上げる作業です。

なぜするのか?

はじっこは、トラクタで耕すことができないので、その部分を掘り上げて、耕せる部分に寄せてやるため。

水を入れたときに、早く水を田圃に走らせるため。

なんてことがあります。


今日は肉体労働をしたので、明日は筋肉痛です。

あと10日で、現場復帰です。

2年ぶりの現場は、「どんなんだろう?」ってドキドキします。

気分はすっかり浦島太郎状態。

2年も離れると、教員は半分くらい入れ替わっていますし、生徒も初対面になります。

まさしく、「この春の人事異動で、こちらでお世話になることになりましたakinboと言います。よろしくお願いします。」状態です。

しかも2年間も授業をしていなくて、授業できるだろうかも心配。

授業は、教師の命。

これができなくては、教師でいてはならない。


一昨年、昨年と研修された先生は、本年度現場に帰り、「最初の数ヶ月間は、頭と身体がついていかず、しんどい」というアドバイスをくれました。

それってものすごく大変そう。

頭と身体がついて行かないって、実際どんな感じなんだろう?


例えば、体育祭のリレーにかり出されて、走っている時に感じるあれみたいなものだろうか?

頭は、今走っている地点の5m先を走っているが、足がついていってない感じだろうか?

頭では5m先、身体は現地点。

何か違うような気がする。

これは、身体が付いていかない状態ですね。


ところが、頭も身体も付いていかない状態なんですね。

怖ろしや。

これまで、記事の中で、現場に帰ったら、これもやりたい、あれもやりたい、こうありたい、なんてことを書いてきましたが、いっぺんに全てというのではなく、”徐々に”という姿勢も忘れてはならないと思いました。

まっ、どのような肉体的・精神的状態になるかは分かりませんが、それはそれで受け入れるしかなくて、その時々の自分をありのまま受け入れてあげようと思います。


高校1年の時に、キュウリを自分で栽培して50万円を稼いだ。という話である。


中学3年の受験時、父がアキレス腱を切って、入院するという事態が起きた。

当時、我が家ではキュウリ栽培の最盛期(収穫のピーク)で、とてもではないが、母一人での収穫は不可能。

私は両親の薦めで、兄の通う進学校と位置付けられる高校受験に向けて、勉強していた。

(私自身は、勉強が嫌いで、この学校へ行くのは嫌だった)


で、私は

「俺が勉強を辞めて手伝う」って、宣言した。

(格好良い宣言だが、私としてはしてやったり)


これには、両親も何も言えず、私が手伝うことに。

朝は、母がキュウリの収穫にビニールハウスに行ってるためにいないので、兄と自分の弁当を作った。(兄は調理が不得手、私は「中学卒業後は、高校に行かず、板前になりたい」って言ってたほど。)

学校から帰ると、母のいるビニールハウスへ行き、辺りが見えなくなるまで、キュウリの収穫。

そういう生活を1ヶ月くらい続けた。


で、私は農業高校へ進学した。

父は退院後、申し訳ないと思ったらしく、

「何か欲しいものは無いか?」と。

私は、迷わず「ステレオ」。

父:「いくらする?」

私:「30万円」

父:「ひえ~。まじか?そらぁ、厳しいな。」

  「わかった。お前、キュウリを自分で作れ。ただし全面的に手伝うし、費用は出す」と。


ということで、父と2人3脚で、キュウリ栽培に取り組むことに。

土地は、150㎡のビニールハウス。

種まきから始めて、6月には収穫し始めていた。

暑い我が地方で、この時期にキュウリ栽培すると、1日の成長がすごく早く、朝・夕の2回収穫しないといけない。

だから、学校へ行く前に、父より早く起きて、収穫しに行き、学校から帰ると、また収穫。

その後は、家に収穫物を持ち帰り、箱への荷造り、市場への出荷、という生活を1ヶ月強送った。


幸いその年は当たり年で、5kg2000円(1本あたり40円)もして、父は「この値段はめったにない」と、共に喜んだ。

およそ、1日平均1~2万円になった。

1日の売上げが、1万円以下になるまでを目指した。

というよりも、7月20日を目途にしていた。

なぜか?

学校給食が終わるから。

学校給食では、品質の悪い(見た目だけ)ものを使う→全体の底値が上がる→全体の値段が押し上げられるため。


キュウリは夏の作物だから、日本全国どこでも栽培できる→全国で栽培する→全国でのキュウリの流通量が増える→価格は当然下がるのだが、この年は何が原因だったか分からないが、高値を維持した。(そんな年があるのだ)


生産者(受け取り)価格で、1本40円だから笑いが止まらない。

これが、店頭に並ぶと、50円~80円になったりする。

高いでしょ?

今、キュウリの相場ってだいたい3本100円くらいではないか?


最終的に合計約50万円をゲットすることができ、ステレオを購入することができた。

今当時を振り返ると、父の配慮に感謝することが多々ある。

父は、完全に私を社長(経営者)にしてくれていたのである。

日中(私が学校へ行ってる間)の作業は、朝相談してくれたし、学校から帰れば、その報告をすることから始まり、何かあると、父裁量で事を始めるのではなく、私に決定権を持たせてくれたのである。

やる気の出る操縦術だったと思う。

偉大な父である。


今の農業高校でも、こんな教育ができればと思ったりもしている。


「農業という産業」の記事の中で、農業に対する私の意識の変化について少し触れたが、それについてもう少し。

(農家子弟の気持ちを著すためにと、私の場合、職業観・勤労観がどうやって身に付いたかを整理したいため)


まず保育園の頃。

同級生が14人いて、ほとんどが農家の子弟で、正直「親の職業は農業が普通」って思っていた。

私の住んでいる地域が農業の盛んな地域なので、そういう現象が起きる。

実際、地域では15:50にサイレンが鳴る。

どうしてでしょう?


保育園は基本的には16:00まで。

16:0010分前ですよ~。お迎えに来てください。」の合図なわけ。

先に書いたように、農業の盛んな地域で、ほとんどが農家子弟。

ビニールハウス内や田圃には時計が無い&作業に集中していると時の経つのを忘れてしまう。

ということから、鳴らすらしい。

我が家なんか、貧しかったので1分1秒でも仕事をしていたいためか、いつも迎えは最終だった(そうだ)。

母は、「迎えに行ったら飛びついて来る。寂しい思いをさせて可哀想だった。」って、感慨深く当時を振り返ったりする。

(話が飛んでしまった)

まっ、そんな地域なので、「親の職業は農業が普通」って思っていた。


ところが、小学校に入り、違う地域の友達の家に行ったりすると、「おしゃれじゃん。垢抜けてるよ。」って思った。

そして、「農業って汚い」「どこにも連れて行ってもらえない」「貧しい」なんてコンプレックスになった。

あと、軽トラックも恥ずかしかったなあ。


なので、その頃(小学高学年)は、比較的往来の多い道の近くの田圃で手伝いをするのが嫌だった。

(汚れてもいいぼろい服を着て手伝いをしているから)


中学校に入ると、ますますその感情は増幅されていった。

でもうちの両親は、マイペース。

野球部に属していたが、試合観戦なんか、ノラ着のまま軽トラックで乗り付けて、後ろの荷台で、藁を編みながら観戦したりと。

あれには参った。

でも、中学3年くらいには、開き直りの気持ちも生まれていたような。


で、農業高校に入ってからは、我が家の農家自慢。

クラスの半分くらいは、農家子弟。

だから全く平気。

手伝いも全く平気。

汚い、ボロ服なんか、自慢になっていたりもしていた。

「俺は百姓じゃい!文句あるか!」って。

トラクタなんか、公道で乗るときなども、「いいだろうが!お前に運転できるか?」って。

でも高1の時に、実習着に地下足袋を渡された時は、「マジかよ?」って思った。

これは、どの農家子弟も同じだったようだ。


あと、高校では、農業版青年の主張に出場し、全国大会まで行くことができた。

主張は、「将来農業後継者となり、地域のリーダーになりたい」って。

ホラ吹いてしまったけど。

あと、プチ農業経営をして、50万円儲かったことも。

(内容は後に書きたい)


で、大学は農学部。

農業科教員。

何か、農業の申し子のよう。


今でも、休日には農作業をするが、気分転換にもなり、すごくいいし、楽しい。

農業が廃れても我が家では、農業を続けたい。


こんな考えをもって育ってきただけに、思春期の子供が手伝いしていると、「すごいなあ」って感心してしまう。


3泊4日の出張から帰ってきた。

わずか4日というのに、1歳の娘は何か成長したような。(気のせいだろうけど)


出張では、かなり大手の企業訪問なんかもしたわけだが、色々と学びがあった。

その中でも、私的に大きかったのは、名刺交換で緊張しなくなったこと。

恥ずかしい話だが、正直今まで、どういう交換が正しいマナーなのか、ということが分かっていなかった。

しかし高校生のビジネスマナー講座に参加したりすることで、方法がわかり、今回の企業訪問では経験を積むことができた。


交換する相手は、大企業の人事部のお偉方。(室長なんて方が対応してくれた)

怖じ気づき、訪問なんか恐れ多い、って思っていたのが今まで私。

しかし、実際行ってみると、好意的に受け入れてくださる。

おかげで、すっかり名刺交換にも精神的余裕が生まれたし、企業訪問に対する精神的な壁が取り払われたような気がする。


どんな壁かっていうのは、言葉で表すのは難しいが、一言で言うと恐怖かな。

きちんとした礼儀作法で応対できなのでは?とか、嫌がられたらどうしよう?とか、求人依頼しておいて、出願生徒がいなかったらどうしようとか、さまざまな恐怖である。

その企業を希望する生徒がいなかったら・・なんてことは、事前に生徒の声をしっかり聞いておけば良いし、それでも最終的にいなかったら、精神誠意謝罪すればいい。

それだけのことである。

それほど大きな壁(恐怖)ではないことに気付くことができた。


今回は、メンターも一緒だったということもあり、精神的には楽であった。

一緒に行動しながら、私だったらどうするかっていうような視点で同行したので、ノウハウも得たと思う。

次に一人で行くときには、そこそこの対応ができるのではないかと、自信を得ることができた。

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またもや酔っぱらいでしゅ。美味しいものをたべました。出張はしんどい部分はあるけど、収穫がたくさんありますね。学校現場に活かさねば。