昨日は、就職試験開始を前にしての台風襲来に、進路指導室はてんてこまい。

この連休中に試験が行われる企業様に電話して、受験の日程の確認、交通網が乱れた場合の対応などについて伺ったり、そのことを生徒に連絡したりと。

生徒に連絡できるようになったのが放課前だったので、ますます気持ちが焦ったようだ。(私は、授業が6時間入っていたので、ほぼノータッチだった)

「へっ~、なるほどねえ。」って思ったのが、鉄道会社の対応。

“入社試験は延期”だとのこと。

そりゃあ、そうか。台風襲来時に入社試験どころではないだろう。


また、県外の大手企業様も「ほ~」と思わせた。

“移動日に来られなさそうって思ったら、さらに前日に来てください。宿泊していただく寮の方には伝えておきます”とのこと。

手厚い対応でありがたい。

それを聞いて、生徒にも同じように伝えたようで、生徒自身の判断に委ねたそうだ。

大丈夫だろうか?

この対応方法もすでに試験に入っているような気がした。

どんなことがあっても、「決められた時間にきちんと行く」っていう。

実社会では当たり前の話。


「前日に行っておきなさい」っていう指導が必要だったのではないだろうか?


この台風、今後どのような動きを見せるのやら。

農場のことも心配。

今日は、顧問をしている女子バレーボール部の夏季大会へ行ってきた。

残念ながら、初戦敗退。

我が部は、強豪ではない。もとい、可能性を秘めたチームである。

というのは、みんなバレーボールが大好きだからだ。

強くなる可能性は十分ある。


しかし、顧問(私)は素人。

技術的なことは教えられないし、毎日練習は見に来ない。

副顧問は教えることはできるし、情熱もあるが、職務上毎日練習を見ることができない。

ゆえに、練習は生徒のみでという日がほとんどである。

土日は副顧問と話し合ってどちらかが1日練習を見ることにはしているが。


やる気のある部員に言われたことがある、「先生は怒って!」という言葉。

生徒が求めるならば、それに応えたいと思い、『よ~し、怒ってやる!』って思ったりもするが、実際にその場面になると、怒れなかったりする。

素人だからっていう負い目か、タイミングを計っているのか?

性善説を信じているためか?

生徒からの怒って欲しいっていうニーズがあるだけに結構難しいのである。


怒るのであれば、感情的には怒りたくないし、納得させられる怒り方をしたいし。

などと躊躇している自分の内心を振り返ってみると、「俺は本気でこの生徒達のことを思っているのか?」などと考えてしまう自分もいる。

確かに部員たちのことを思っているはずだ。

バレー部の生徒は、他の生徒達よりもすごくかわいいと思えるし、何か力になりたいと思っている。

しかし、現実には毎日練習に行けていないし、家族との時間も大切にしたいとも思っている。

両立は困難。

これがトレードオフ(どちらか一方を選択すれば、もう一方は叶えられない)ってことか?

人生には、たくさんトレードオフがあるなあ。

その時々、場面において、自分が妥協できるっていうか、ベターな方法を考えるしか無いのだと思う。


話はやや飛んだが、今日も部員達は懸命にボールを追いかけた。

その姿はとても健気だった。

試合後、褒めてやりたかったが、生徒達はそれを望んでいないようだったので、それは封印した。

また今後、練習の中やそれ以外の時間に伝えようと思う。


長男の通う小学校では、2学期からは集団登校が解除されるとのこと。

1学期は新入生もいるので、「地域で集団登校の班をつくって、それで通いなさい」という指導だったのだが、2学期からは、縛りを入れるのではなく、「誰とでも自由に登校しなさい」ということなのだ。

我が家の近隣には、小学5年生の女の子がいて、その子にお願いしたいのだが、その子には一緒に通いたい子がいるそうで、お願いしにくい状況にある。

私はこの学校の指導にやや疑問を感じている。

異年齢による集団での学校への登校には、意義深いものがあると思うのである。

キャリア教育が言われ始めたのも子供たちの異年齢集団との交流の希薄さもあげられていたと思う。

1学期は4年生の男の子も一緒だったこともあって、その子の遊び集団にも入れて貰えたりして、いい感じだなあって思っていたところなのに・・。

また、我が子が上級生になった時にも、下級生に配慮するなどといった、役割の意識付けをさせるので必要だとも思う。

私が小学生の頃は、集団登校は当たり前で、そこで色々と無意識のうちに学ぶことができていたと思う。


なので、昨日は参観日があったので、午後休暇をとり、話を聞いてきた。

学校の回答は予想したとおり、「色々な家庭があり、親の車で送っていきたい家庭もあれば、不仲な子と敢えて通わしたくないと言う家庭もありで、それらを結びつけるのは1学期間が限度かな?ということでそうしています。」とういうことであった。

クラス懇談会の中で質問したので、他の保護者から、「危険なところを通り過ぎるまで、送っていってあげたら?」とか、「無理してお願いしたら?」などの意見が出てきた。

結局は、近隣の女の子にお願いすることにしたのだが・・・。


我が子には、嫌いな人、ウマのあわない人、どんな人とでも、排除するのではなく、衝突もしながら、うまくつきあえる人間になってもらいたいと思っている。

子供にとってそうした経験が大事ではないのか?

幼少期からのそうした経験が希薄なばかりに、人間関係を構築するのが、下手な人間が多くなるのではないか?


そんなふうに考えていると、やっぱり親がいけないのかなあ?ってところに行き着いた。

子供同士の仲は親同士の人間関係が希薄だったり、極端な場合は明らかに嫌っていたりするのだ。

そうした姿勢が、子供にも影響しているのだと思う。


子供たちの今だけを見るのではなく、もっと遠い将来を見据えた上での制度というか、約束事を決めなければならないと強く思った。


参観日に出席したことで、先の話を補うような取り組みも見ることができて良かった。

掃除が縦割りなのだ。

我が子は1年生なのに、5年生の教室へ行き、1~6年生の児童達で、そこを掃除するのだ。

掃除終了後には、上級生の班長がみんなを集め、一人一人に掃除の出来具合の感想を聞いていくという反省会を行っていた。

私の頃には無かった取り組みで、良い取り組みだな~って感心した。


今回、参観日に参加してホントに良かった。

子供には、「仕事で行けないよ!」って言ってあったのだが、授業中、後ろを何度も振り向き、親の姿を探していた。(私は気付かれないところでその様子を見ていた)

目が合ったときの嬉しそうな顔と言ったらありゃしない。

もし行ってなかったらのことを考えると、子供が可哀想だったと思う。


あの嬉しそうな顔、不安げに後ろを振り向く顔を見たからには、私は多分よっぽどのことが無い限り、参観日には行くだろう。

妻との「参観日参加権」の争奪戦になりそうだ。(「2人で行けよ!」っていう話だが)


「先生、今日は元気無いねえ~。疲れてるねえ~。僕は先生の元気な顔が好き!」と言ってくれる生徒がいる。


“うぎゃっ!! しまった!!”

学校、とりわけ生徒の前では、元気な姿でいたいと思っているし、そうしているつもりでいる私は、「はっ」とさせられる。

だけど、そんなふうに声をかけられる事ってありがたいことだとしみじみと思ったりもする。


指摘されると、「いかん、いかん。うっしゃ-。頑張るべ。」と気持ちを立て直すことができるのである。


よく考えてみれば、これって生徒によるコーチングか?カウンセリングやコーチングを習い、生徒を支援しようって思っていた私が、すっかり生徒にコーチされている。

だけど、以前の私なら、そういう声掛けに対して、「疲れてるんだよ-」って返すのがオチだったのが、上記のような反応になっている。

私も進歩したなあ、と思う。



生徒にコーチされるばかりでもないことを、書いておかなければ。

明日から9月。

生徒は、就職試験に向けて、志望の動機や面接での応答内容を考えている。

悩む生徒の相談にのるが、キャリアカウンセリングやらコーチングやらが混ざった相談活動になっている。

生徒の発する言葉により添った質問を返していくだけなのに、「お~、何かやる気が湧いてきた」なんて嬉しい感想を返してくれる。

「えっ?どうして?」って聞きたくなるが、野暮なことは聴かないでおいておく。

また、生徒の長所に焦点を当て、そこから話を膨らませて話を進めていくと、とてもいい表情になっていく。

ということは、今までこれらの生徒は、こういう話を教師や親としたことがないのか?と思えてくる。

そうだとすれば、生徒にとってはもちろんのこと、社会にとっても大変な損失では無いだろうか?


キャリアカウンセリングやコーチングのマインドやスキル(まだスキルと呼ぶ域には達していないが。)は本当に大切だと思う。

学校現場に復帰してからというもの、更新が数回しかない。

ブログを書き続けるってことに、仕事を続ける上で大きな意義を感じているにもかかわらず、このざま。

と、反省というか、自分自身に後ろめたさを感じてはいるが、暑さも加わって眠りも浅く、疲れが取れず、更新を怠ってしまう


先日のこと。

そんなこんなで、たまってきた仕事に追われ、家庭不和も手伝い、イライラしたりして、よくない精神状態にあった。

結構、膨大な仕事の期限が迫り、「他の人でもできるじゃん」とか、「どうして、手伝ってくれないのか?」なんていう、ささくれた気持ちと泣き出したいような気持ちでその仕事をやっつけていた。

リミット1時間前に、ようやく終わらせることができ、「はあ~」としたところへ、他の仕事を終えてきた先生が、

「お疲れさま。先生にコーヒー入れたの。飲んで。」って。


私は参った。

泣き出しそうになるような気持ちになった。

確かにその仕事は、私に与えられた仕事。

しかしその時の私は、色々な事が重なって、先のような感情で、その仕事をこなしていたのだ。

そこに一杯のコーヒー。

私は、愚痴を言いたかったわけでもなかったし、特に誰かに何かをしてもらいたい、何かを言ってもらいたいというようなニーズは私にはなかった。

でも、その一杯のコーヒーがどれほど、イライラした気持ちやささくれた心を癒してくれたか。

邪悪な感情の全てを洗い流してくれるようなものだったのだ。


あるカウンセラーさんの本に書かれていた内容を思い出した。

「カウンセリングをしていても、時には、“どんな言葉や聴き方よりも、クライアントの状態によって、一杯のお茶が有効な時がある”」っていうことを。

まさしく、これかと。

この先生が、私の心の内を見透かしたのかどうかは分からないが、その先生はさらっと、そういうことができる先生なのだ。

こんなことができる教師というか、人間になりたいと思った。

究極のカウンセリングではないかと。


以前に、この先生の生徒への対応を見て、「先生は生徒の話をよく聴いてますね~」って声をかけたことがある。

やっぱりこの先生はすごい!って今回の件で確信した。

その声をかけた時に、カウンセリングを学んだことがあるかどうかも聞いたが、無いとのことだった。

それゆえに、カウンセリング力も感性が大事だなあ、なんて思ってしまう。

感性に乏しい私は、もっと磨きをかけなければ。

ちょっと最近、「胸がすく」ような気持ちになりたくて、手にした本。

以前話題になった、島田洋七さんの『佐賀のがばいばあちゃん』。

初版は5年前だったんですね。


感想。

期待どうりに胸がすいた。(正しい表現かなあ?)

面白く、文章が読み易かったので、一夜で読み切ることができた。


ばあちゃんの「楽しく生きる方法語録」の中で、私が最も好きなのは、「貧乏には二通りある。暗い貧乏と明るい貧乏。うちは明るい貧乏だからよか。それも、最近貧乏になったのと違うから、心配線でもよか。自信を持ちなさい。うちは先祖代々貧乏だから。」

なんとも痛快。


「ボロは着てても心は錦」のような人間でありたいと思う。

今の時代は、本当に物質的には恵まれていると思う。

その分、心が無くなってきたような。

物質的に恵まれなくても、心的に満たされた状態でありたいと、最近特に強く思うようになった。



しか~し。

我が家に目を転じるとどうか。

身の丈に応じないブランドものの服、必要以上の絵本、有り余る遊具におもちゃ。

食事のたびに出される残飯。


ん~。

間違っている。

「教育、特に心の教育は家庭から」がモットーの私にとっては、我が子たちの将来が心配。

頭では分かっているのだが・・・

「教師の」、っていうわけでもないだろうが、口癖というか、よく聞かれる言葉として、「何か、良いこと無~い?」っていうのを耳にするし、会話の最初として、聞かれる。

関西人の「もうかってまっか?」(ホントかどうかはわかりませんが・・・。)と同じような挨拶代わりみたいなものかも知れないが、私はこの

フレーズ?が妙に好きになれないし、自分はあまり使いたくないと思う。

「良いこと無~い?」っていうのが、「今、私はいい状態ではありません。むしろ不幸せで、辛いです。」って言っているように聞こえてしょうがないのだ。


だから聞かれると、こう返すことにしている。

「あなたにとって、良いことって、何がどんな状態になれば、良いことになる?」って。

すると、必ず、「えっ?!。う~ん???」となってしまう。

で、会話が無くなってしまうのである。


時には、気の毒になり、

「こうやって、健康に過すことができて、可愛い生徒がいて、毎日仕事ができて、良いことじゃん!」って。

ちょっと冗談交じりに言う。

照れくさいので、冗談交じりには言うが、結構これって今の本心だったりする。


確かに忙しくもあり、生徒が授業に反応してくれないときもあり、辛いこともある。

だけど、忙しいのは自分の仕事の仕方が悪いのであり、生徒が授業に乗ってくれないのも自分の授業が面白くないからである。

これらを他の教師や生徒の責任にして考えてしまうと、しんどいだろうなと思う。

そうは感じない今、私は結構充実している。


なので、「何か良いこと無~い?」が虚しく、可哀想に思えてきたりする。

そんな時にふと思ったのだが、「人間、もっと謙虚に、かつ日々のあらゆることに感謝しながら生きなきゃ」って。


今度中学校へ『高校説明会』に行くのだが、そのための原稿を考えていた時にもそんなことを考えた。

農業高校の魅力を話そうと思うのだが、農業高校を卒業すると、何だかどこか素敵な人間になるように思う。

それは、自然の偉大さを直接的に触れ、生き物(植物や動物)の栽培飼育をとおして、そのありがたさを体験し、敬うことができるようになるのではないかと。

人間としての根っこの部分ができてくるんじゃないかと。


ん~、まだ農業科教員としては失格。

ここのあたりをうまく伝えることができない。

もっと研鑽します。


このように毎日を充実して過ごすことができるのも、2年間の研修のおかげ。

これまでとは違った目で生徒や学校、仕事を捉えることができている。

研修では、“進路指導に関する研究”なんて銘打っていたが、今その成果を現場で発揮しているかというと、全くと言って良いほど発揮していない。

やっていることも研修前とでは、あまり代わり映えはしない。

でも、同僚に言われたこと。

「変わったね!」

何が?

「何だかね。気持ち?姿勢?心?」


よく分からないが、表面的には変わっていないつもりだったが、変わっているようだ。

こんな言葉、結構嬉しかったりする。


今の状態が続けばいいのにって思う今日この頃。

(でも、続くかどうかの不安も結構ある。以前と同じようなことをしているときもあるし・・・)

毎日の生活の中で、自分の中にある感情の「嬉しい」、「あまり嬉しくない」に注意を払いながら、生活してみている。

私がよく話をしているのは、私を褒めてくれたり、認めてくれたりする同僚が多い。

これって誰もが同じだろう。

だから私も、他人を見る時、良い面に焦点を当てるようにし、良いところがあると、口に出すようにしている。

それを実行していると、本校の生徒などは特に敏感で、言われて嬉しいっていうことが、顔や言葉にすぐに表れる。

私は、純粋に生徒の言動に「偉い!すごい!」と思ったから、それを伝えているだけなのだが、言われた生徒はすぐに「ありがとう!」って返ってきたり、嬉しそうにする。

生徒に、「ありがとう!」って言われると、

私も嬉しくなって、「いや、そう思ったから、そう言っただけのことだけど、『ありがとう』って言われるとすごく嬉しい。気分がいいです。」なんて会話になったりする。

こういう「嬉しい感情」の分け合いというか、そういう人間関係って涙が出るほど嬉しかったりする。



学校からの帰り道、車を運転しながら色々と考える。(道中50分)

「今の気分」に焦点を当ててみたりするのだが、ハイであったり、ローであったりする。

ローである理由を考えていくと、授業にあったりすることが多い。

授業がすべったとか、生徒の反応が悪かったとかで、思うような会心の授業ができていなかったりすると、ローな気分が多い。

逆に、結構生徒の食いつき(表現が悪いですね)が良かった時などは、ハイだったりして、1日を振り返った時に饒舌だったりしたことを思い出す。

本年度、初めての科目が多く、教材研究に時間がかかるのだが、その時間が少なかったり、自信が無かったり、不得意な部分だったりするとうまくいかない場合が多い。

克服方法は簡単。

不得意名部分であっても、自信が持てるほど、しっかり教材研究しておけばいいだけのことだ。


気分を左右させられるほど授業のできって教師にとって大事なことであるのだと、自分の現状の精神レベルにも焦点を当てることで気が付いた。(遅いっちゅうの!)

 

今日は2時間目から、田植え実習を行った。

ただの田植え実習ではなく、近所の小学生と高校生が一緒に行う手植えの田植えである。

高校生側は1年生、小学生側は1・2・5年生で実施した。

一緒にと言っても、水田の中に入れば、高校生の間に小学生が入り、植え方などを教えてあげなければならないし、苗取りをしてあげなければならない。

高校生は、以前に乗用田植機による田植えは経験済みだが、手植えは初めてのことで、うまくできるかな?と心配したのだが、さすが高校生。

少しの簡単な説明で、結構うまく指導しているではないか!

なおかつ、小学生に対して、「うまい!うまい!そう!そう!」なんて、コーチしている生徒もいる。

我々よりも教え方、のせ方の上手な生徒もいたりで、感心した。

同時に、忘れかけていた指導法?のようなものを思い出させてもらった。

ついつい私も、「うまいな~。そうやって言われると、言われた方はやる気でるよね~」って返したが。

このようないい場面に遭遇すると、こちらまでいい気分になる。

生徒達には、がっかりさせられることもあるが、いい気分にさせられることの方が多い。


で、

この一緒に植えたイネ(もち米)は、秋にまた一緒に稲刈りを行う。

そして、12月には一緒に餅つきを行う。

結構いい行事だと思うが、生徒たちの心に残るものがあったのかが気にかかる。

ただ漠然とこなした1つの行事で終わるのではなく、何かしらの感情や思い出に残る行事にしなければならないと思う。

そのためには、もっと事前・事後に時間を割かなければならないと思った。

せっかく良い取り組みをしているのだから。


あと、気になったこと。

高校生は、実習服だからいいが、小学生は、結構服を汚してしまったのである。

学校からは、「汚れてもいい服装を!」と連絡を入れていたそうだが、こんなに汚すか?っていうくらい泥だらけになっていたし、中には転んで腰から下が泥だらけという小学生もいた。

小学生の保護者は、怒らないかなあ?と心配したのである。

今、そういうようなことで、苦情を言ってくる保護者が多くなってきたという話も聞くので。

苦情があったとしても、学校の強い姿勢で跳ね返してもらいたい。

(幸いにも、食農教育に力を入れている市なので、大丈夫だとは思うが)


むしろ、高校生や小学生の田植えの姿を見ていて、「どろんこ大会」なんか開催しても面白そうだと思った。

実際に水田の中に入ると、気持ちよさそうだし、口では「うわ~、気持ち悪~い」なんて言っているが、その顔は、開放感に浸っていて、実にいい顔をしている。

今の子供たちは、こういう経験をすることがないのである。

安全面、健康面等々言っていると難しいのかな?

私は、絶対必要なことというか、経験させたいことだと思うが。

またもや、ものすごく久しぶりの更新。

もっと短い間隔で更新するつもりだったが、翌日の仕事のことを考えると、ついつい寝てしまう。

初志貫徹はできていなく、悔しいところだが、そういうのも含めて今の状態を私の中では肯定している。


なのでかどうかは分からないが、忙しい中でも、心ははつらつとしている。

気分良く教師生活を送っているし、充実している。

これだけは自慢かな?


2年間も現場を離れていただけあって、色々と抜け落ちていて、迷惑をかけてもいるが、周りに助けられながら大過なく進んでいる。有り難いことだ。「ありがとう」も連発している。

この調子で行ければと思う。


これも全て、研修の2年間で、パラダイムシフト(意識改革)できたおかげである。

出会った(紹介された)人たちや(紹介された)本のおかげなのだ。

ある本によると、「本人にそれらに出会う準備ができていたので、出会ったまでのことだ」のようなことが書かれていたりもする。その理論も分からないではないが、果たして私に、それが備わっていたかどうかは、疑問である。

他人であれば、そういうことに気付くこともあるが。


で、今はとにかく「前向きに!」、そして「私は運がいい」、「幸せ!」って思うようにし、ネガティブワールドに陥らないようにしている。


先日、生徒達が育てた農産物の直売市を開催した。

報道依頼をしていたせいか、テレビ、新聞、ラジオの各会社が取材に来てくれた。

取材に追われた(精神的に)が、いいPRになったかな?

ただ私としては、もっともっと生徒を全面に出したいし、この市自体ももっと発展させなければならないと思う。

そしてもっと事前指導に力を入れないといけないと思っている。

これからの課題である。

また、私にいつもいい意見をくれる他校のある先生に案内をしていたら、来校してくれ、アドバイスもいただいた。


なんだかね~、

私に追い風が吹いているようで、今後に期待することがたくさんある。

強い追い風に前のめりになって倒れないように!


おっと、

心配事をしてはいけない。(実際はなるようになるさ~なんて思っていたりもするが

心配は、前進を止める!ようだ。


久しぶりの更新はいけないね。

毎日書きたいことがあって、ぽっかり書こうとするとまとめきれないや。