今日は学校での日課2日目。

しっかりこなしてきた。

ただ雑巾掛けをするのではなく、家から「ニューヨークの街を綺麗にした、どんな汚れも落とす」というふれこみの洗剤を持っていって。

壁が汚れていたので、それを利用したのだが、ふれこみのような効果は無かった。がっくし。


しかし、行動に移せて気分は良かった。

途中、普段はこの時間に登校しない同僚が登場して来るというハプニングもあったが

(私の約束事に、「ピカピカになって、人に気付かれるまで、人知れず掃除する」というのがあったので)

それをいかに、クリアしたかって?

トイレに逃げ込んだだけ。


やってみると、なかなか汚れって落ちないことを実感させられる。

長年にわたって蓄積された汚れのパワーを思い知った。

それを落とすためには、汚してきた年月がかかるんだろうなあ。

しかし、それにめげてはいけない。

自分に今できることを精一杯やっていくしかないだろうと思う。

この分だと、この日課も続きそうな予感。


それと今日は嬉しい出来事があった。

長男(小学1年生)が、マラソンの練習で18位(50人中)になったとのこと。

先週の練習では、39位(その前は37位)だったのが、この順位である。


実は、長男がどんな走りをしているのか見たくて、週末に練習をしたのだ。

そこで私がしたことは、走っている最中は、休もうとする(歩こうとする)と、ただひたすら「頑張れ、頑張れ!ゆっくりでいいから走れ!」っていうゲキやら励ましを繰り返し、走り終えた後は、「すごいじゃん!あれだけ走れるとは思わなかった。嬉しかった~。本番では20番台になれるぞ!」って励ましてあげた。

その結果が、今日の18位である。

報告を受けて、涙が出るくらい嬉しかった。


そこまで順位を上げたっていうことは、本人はものすごく頑張ったであろう。

それぞれの子供には個性、特性、得意分野があることなので、順位にはこだわりは無かったが、その順位の上がりようから、本人がどれほど一生懸命頑張ったかが、想像できて嬉しかった。

これまでの接し方がまずかったのかも知れないが、長男は自尊感情が低いように感じるし、しんどいことから逃げ出そうとする性格だと思っていた。

それだけに嬉しかったのだ。


夕食時、ますます自信を付けさせるために、「1位になれると思うぞ!」とか「マラソン選手になれるんじゃないか?」って、目標を大きく持たせ、「ようし!マラソン大会、見に行こう」って約束した。

本人もその気になって、「ようし1位になってやる!」って言うようになったし。

マラソンの小出監督は、Qちゃんを指導する際に、褒めちぎって「世界一になれる!」って指導したそうだし。

私自身、高校時代、「君なら、早稲田大学に行けるかも!」って言われ、「ありえな~い!」って思ったものの、それは無理だとしても、「こんな俺でも大学へ行けるのか?」って思い、勉強を結構頑張ったものだ。

目標を大きく設定してあげるのも場合によっては、とても有効!


もうここまできたら結果はどうでもいい。

長男は、練習でも本番でも精一杯の走りを見せてくれるだろう。

努力すれば報われることや目標を持って頑張ることが経験できれば言うこと無し。

後は、親の接し方次第。

周りの大人(特に親)が子供に与える影響って大きいなあって再確認させられる出来事であった。

今日は、先週土曜日の学園祭の代休なので、家でのんびり過ごしている。

やりたいことがたくさんあって、何から手を付けようかと思案している。


我が家の玄関の靴揃えは、すっかり当たり前の日課になった。

(子供たちが真似をし始める段階には至っていないが・・・)

公私でこれを実践しなければと思っており、先日やっと手を付け始めた。

それは、掃除担当区域のふき掃除。

毎日の掃除で、掃いてはいるものの、長年の汚れがある。

それを、雑巾で拭きあげ、いつの間にかピカピカにする計画なのだ。

私の約束。

1, 毎日必ず5分行うこと。

2, しかも学校へ行ってすぐ行うこと。

以上2点。

すごく簡単なことであるが、これがなかなかできなかった。

その理由も簡単。

学校へ行くと、PCを立ち上げ、メールチェック。

そして、雑用。

その後は農場へ行き、作物の生育状況を確認、今後の作業計画を考える、ということをしていたのだが、それらを理由にやり始めなかったのである。


これが続けられるのか、私の真価が問われるところである。

っていうか、自分の意志の強さが問われるところである。

今までの自分だったら、色々な言い訳をしてきたところであるが、簡単な日課であり、続けなければならないと思っている。


カリスマ体育教師、原田先生の本の影響で、3週間くらい続けている日課がある。

それは、我が家の玄関の「靴揃え」。


日課をこなすことで、本に書いてあったような効果っていうのは現れていないが、今はそんなに意識しなくても、ほぼ自然にできるようになっている。

今はまだ言語化することはできないが、自分の内面にもいい影響を与えていると思う。

言語化できなくても、玄関の靴が毎日揃えられていると気分がいいし(風水的にもいいみたいだし)、朝、出かける時に自分の靴が履きやすくっていい。

さらに今後、子供たちが私のその姿や並んでいる靴を見て、自分からやろうとしてくれたりしたら、すごく素敵。

また新たな日課を考えているのだが、そうやって今まで「やったらいいこと」「やればできること」をやっていなかったことを無意識のうちにやれるようになるのではないかと思っている。


次の日課ねえ...

「ありがとう」「ごめん」を言う。かな?

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農業クラブ全国大会(農業高校版の甲子園かな?)へ生徒とともに、大会運営スタッフとして来ています。お仕事は今日でおしまい。生徒も私もよく頑張りました。私はクタクタです。精神的に物凄く疲れました。ゆっくり休めそうです。

昨夜、二男とのトラブルで泣きやまない長男をひどく叱ってしまった。

と言うよりも虐待に近かったのではないかと思う。

頬と頭、お尻を1回ずつ平手で叩いてしまった。


最初はあやすように、「ほら~、もう泣きやめなさい」なんて言っていたのだが、調子に乗って泣くものだから、叩いてしまった。

ものすごく反省している。

叩かれた時の長男はどんな気持ちだったのだろう?

心に傷を負わしたのではないか。

いい加減、長男の自尊感情は低いと言うのに。


その後、謝ったのだが、心に傷が付いていたなら、取り返しがつかない。

今日、仕事から帰ってきて、お風呂でも謝った。

「パパのほっぺ、叩いていいよ」って言っても、長男は「僕が悪かったんやろ」って叩こうとしない。

手を持ってあげて、叩かそうとしても、力を入れて叩こうとしない。

「なんて優しい子供なんだろう?」って思ったりもしたが、そうではなくて、それさえもできない子供なのかなあ?って思ってしまった。


キャリア教育が大事!

そのためにも幼少期の家庭での過ごし方が大事!

なんて思っているのに、口先だけになっている。


明日から2泊3日の出張。

こんな時(フォローしたい)に、家を空けるのは忍びないが、帰ってきたら、しっかり甘えさせてあげたい。



そう言えば今日、生徒に褒められた。

朝の2時間目の授業、導入に余計な話をしていたら、「先生、どうしてそんなにテンション高いの~?」って言われた。

これって私にとって、褒め言葉。

さらにテンション上げて、授業を行った。

すると、「へ~、そうなんだ~。面白いねえ。」なんてまたもや嬉しい言葉。


結構良い出来だったのでは?

これも、そんな褒め言葉のおかげだ。

人は褒められると、調子にのる。

頭の回転が良くなる。

私などは、単細胞なので、嬉しくて色々な話題が湧いて来たりする。

授業に関係するそういう話が、生徒は結構好きだ。

これも生徒による教師のためのコーチング。


私も積極的に生徒を褒めようとするが、生徒も褒めてくれたりしている。

それを感じるか、感じないかはその人に感性によるかも知れないが、生徒とのこういう関係っていいなあって思った。


昨日は、子供を叩いてしまい、自己嫌悪に陥っていたが、今日、生徒たちの力で蘇った。

単純な私。

今日は隣県に出張だった。(車で2時間)

明日は、車で2時間半の県西部へ出張。

明後日は、学校の農産物販売市。

その次は、県境の学校まで出張。


ん~、頑張っているじゃん。

頑張っているか、どうかはその内容にもよるけど...。


ちょっと追われているかな?という気もするが、結構精神的に充実しているので、あまり苦しくない。

あれれ・・・?そうは言っても、今日の会議の後、重責から嘔吐感があったぞー。

それは愛嬌として、充実はしているかな?


なんか、自分がこの世の主人公みたいな気分でいたりもする。(大きな勘違いだけど)

だけど、みんな人それぞれ自分が主人公で、自分の人生という名のステージで、それぞれの役を精一杯演じている。

その役を楽しむか?ただ演じるのか?演じさせられているのか?

演じもするし、楽しみもする。

時々、ステージをほっぽり出したくなる時もあるが、自分のステージじゃん!!

主役の座はしっかり守らなきゃ!


忙しいことや期待されることは有り難いこと。

私より忙しい人は五万といる。(もっと多いはず!)

こなせないのは、能力が無いから!

よっしゃー!頑張るべ。


久しぶりの更新。


昨日は、県内のキャリアカウンセラー有資格者の勉強会に参加してきた。

主催は別協会の方たちだが、好意によって入らせてもらっている。

昨日は、次回受験する方の実技対策として、ロープレを行った。

基本的にオブザーバーとして参加したのだが、きちんとしたキャリアカウンセリングに触れるのは、自分の受験の時以来で緊張した。

カウンセラー役とクライアント役の真剣なやり取りを見ながら、自分ならどう聞くか、なんて考えながら観察していたので緊張したのである。

また、カウンセラー役の方に、多くをフィードバックしたかったので真剣になった。


ん?

じゃあ、私は普段学校で、生徒の話を聴いていないのか?

それとも生徒とは緊張感を持って真剣にやっていないのか?

と言われそうだが、両方間違い。

勉強会では、初対面のクライアントに対して最初の5分間という設定で行うため、関係構築に焦点がおかれており、ここがものすごく重要だからであるためだ。

ところが、学校の生徒では相談に来るのは、ある程度関係が構築されている生徒で、関係を壊さないようにとの神経は使うが、初対面という設定とは違う。

しかし、今回こういう緊張感を味わうことで、学校での相談活動ももっと緊張感をもって行わなければならないと、反省した。


信頼関係を壊すのは簡単だが、関係を構築し、それを維持し続けるのは大変なことで、不慣れな私などは神経を使うのだ。

相談中、電話が鳴り、それをとる、腕時計を見るなどなど、些細なことで、関係は崩壊するのである。


それに対して学校での相談のシーン。

放送や電話は鳴るし、気が散乱することは間違いない状態。

大職員室で、熱心に相談にのっている、話を神妙にしている・聴いている場面を見るが、効果あるのかな?生徒に響くのかな?本当の気持ちを聴き出すことができるのかな?って思ってしまう。

もちろん、時と場合によって使い分けているだろうが、ちょっと気になった。


キャリアカウンセリングに触れて、「時間を作って学校でも積極的にやらなくちゃあ」って思った。

「量は質に転換する」

今日は二男・長女の保育園の運動会に行って来た。

家では見られない顔が見られて良かった。

目を細めて見てしまった。


保育園の運動会も長男の時から数えると5年目になるのかな?

長男の初めての運動会のように感動というか、我が子の成長にウルッとくるところが少なかったような気がする。(長男の初めての運動会では、自分の元から離れたわが子の振る舞いに成長を感じ、感慨深いものがあった)


感動力が落ちてきたのかな?という気もするが、年長組の陰に隠れてしまう、年中組(二男)のためか、出番が少なかった(長女)ためとも考えられる。(先週、長男の小学校の運動会を見たせいかもしれないし)


実際、昨年は年長組だった長男のすっかり逞しくなった姿に感動したし、先週の小学校の運動会でもしっかり感動したので、感動力の衰えではないのでは?と自己分析。



運動会や保育園を見ながら思ったことがある。

(やっぱり、どうしてもキャリア教育の観点からになってしまうのだが)


当然のことながら保育園や幼稚園は、小学校・中学校のように義務ではない。

親には行かせる義務はない。

家で”親にべったり”という生活をし、必要とされる分だけしっかりと甘えさせ、その後の成長を推進させるという考え方もあるだろう。

しかし、保育園で経験する生活(行事なども含めて)によって得られるものはとても大きい。

子供の成長にとって必要な経験であると思うし、保育園に入れてきたことによる成果は計り知れないということは経験済み。


保育園に入っていたが、親の経済的な理由により、退園した幼児がいたこともあって、こんなことを考えてみたわけだが。

私は、3歳まではしっかり家庭で甘えさせ(甘やかせるとは違う)、その後の3年間は保育園へ通わせながら、「家庭でもたっぷり愛情を注ぐ」っていうのが理想ではないかと思う。


とは言っても、家庭の事情もあるので、その通りにはいかないだろうが、親はその事情に応じて足りないところを、しっかり補う必要があると思う。

実際、難しい部分もあると思うが、理想は理想として持っておくべきだし、求めなければならない。


”可能性、未来のある子供たちの成長を願って、親や大人は精一杯の努力をする必要がある”って思った。

保育園の3年間も義務にすれば?とも思った。

2年間の研究生生活をとおして、県内には熱い思いを持って教育に取り組んでいる若い先生方が結構たくさんいることがわかった。

(というより教えてもらった、紹介してもらったという方が正しい)

そんな若いやる気のある先生と集まって、

1 自分自身の教師力を高めたい

2 仲間を増やし、学校の持つ課題を解決したい

3 良い情報を交換したい

というような想いから、勉強会をしませんか?と声をかけたところ、「やりましょう」ってことになり、勉強会を実施している。


昨日は、3回目であった。

1回目は、それぞれが抱えている学校や教育上の課題について出し合い話的に話し合い、2回目は1回目の続きを行い、みんなで講演を聴きに行った。

それぞれ、後は飲み会。


昨日は飲み会は無かったのだが、やはり良かった。

元気になり、しかも心が綺麗になって帰宅することができた。


この勉強会(やる気組と名づけている)の詳しい内容については改めて書くが、それよりもまず参加者が素晴らしいってことを言いたい。

学校も教科も違う(参加の動機も若干違うかもしれない)が、みんな私より若く、やる気はあるし、スキルは高いし、みんながみんな何かしらの見習いたい面を持っている。

自分が発言しなくても聞いているだけで、明るい気分になるし、ウィークデイの疲れを癒してくれ、次の新しい週に入る気持ちを高ぶらせてくれる。


ずっと前から、こういう会があったらいいなあとは思っていたものの、これほどまでに実施の意義を見出せなかったと思う。

意義を見出せるようになったのも私の中でパラダイムシフトが起こったためだと考えられる。

それはメンターの影響も大きいが、自分自身で足を踏み出し、行動に起こしたことが一番の要因であると思う。

キャリアカウンセラー資格の勉強のために大阪に通い、とても前向きな素敵な仲間と知り合うことができ、刺激を受けたことが大きい。

それまでの自分では考えられなかった行動だ。(ん?この行動をとらせたのはメンターの影響。じゃあメンターの影響が一番になるなあ)


次回は、子供の運動会のために欠席するが、置いて行かれるようで残念。

しっかり事後報告してもらおうっと。


この会が今後、どのような活動をしていくかは、まだ確定されていなく、不安定なものだが、もっと仲間を増やし、素敵な教師による素敵な教師のための「やる気組」になればと思う。

まだ一度も参加していなくて、参加したいという意向の方もいるようだ。

今、参加している教師たちのような気持ちを持った教師が、多数潜在しているのだ。

このネットワークが広がれば、本県の教育も少しは変わってくるように思うのだが。


先日、近隣の小学校で出前授業を行ってきた。

総合の学習の時間を利用してのものである。

1時間目は5年生。

2時間目は6年生で、それぞれ「秋冬野菜の栽培方法」というテーマで行った。

それぞれ児童のみんなはよく聞いてくれた。

それだけにもっと懇切丁寧な授業をすべきだったと反省する。

小学生に申し訳ないという気持ちが残ってしまった。

ただ、1時間(45分間)という短い時間で、この大きなテーマで伝えること自体が難しいのだが...。


他にも今後、我が校から3講座くらい出前授業に行く。

今回、初めて自分が実施してみて、小学校の先生の意識に課題があるように感じた。

4月に依頼された時にも感じたことだが、どうも“やっつけ仕事”って言うか、“誰か代わりに授業やってくれない?あっ!農業高校にお願いしたら?”って感じなのである。

例えば、「こういう狙いを持って、こうした体系でやっています。で、この部分が我々教員ではうまく説明できませんから」とか、「時々は違う先生に来てもらって話をしていただいた方が児童に吸収されやすいから」などという狙いがあればいいのだが、そういうのが無いのである。

もちろん、こちらとしてはスキルアップにもなるし、日本の農業の良き理解者や応援団をつくることになるだろうから依頼されれば出向くが、小学校教員の意識も高めてもらいたいと思った。


この小学校とは、以前の記事にも書いたように、一緒に田植えをしたり、これからは稲刈りもするし、餅つきもする。

この地域は食農教育、食育活動が盛んなので、私が感じたようなことは考えすぎかもしれない。


ただ私が思うに、それならそれで、“やっつけ的”でなく、小・高がもっとしっかりスクラムを組んで、一緒に考えていきたいものだ。

可能であれば、教員である私が授業をするのではなく、高校生にやってもらいたかった。

そうすれば、お互いの子供たちに利益があると思う。


こういう活動も依頼されるだけでなく、むしろこちら側からの提案で始めるものにしていければいいなあって思う。

校種を問わず、地域の子供たちは、地域の財産(資源)によって教育すべきである。


今回、この授業を実施するにあたって、授業案を練っていると、「外部へ出て行って煩うより、足元(自校)の教育が先ではないか」というような同僚もいた。

確かにそれも一理あると思う。

ただ、壁を作って“自校のことだけでいい”とかいう発想が、益々学校を閉鎖させるのではないか?

そうした閉鎖にプラス面は全く無いと思うし、宝の持ち腐れにしてしまうだけだ。

小学校、中学校、高校などと言わず、子供たちは全ての大人が育てるという視点が必要な時代である。