昨日書こうと思っていた子供のことですが、1日たったら嬉しかったことが半減しています。

私っていう人間はこんなもんかと反省。(いや、今日の私は昨日の私ではない、ということか?)


以前に「長男が保育園でのことを話してくれなかったけど、話してくれた。嬉しかった。」という内容のことを書きましたが、昨日はもっと話してくれました。

実は保育園で嫌がらせにあっていて、楽しくないということを話してくれたのです。

やはり、年長組といえどもいじめられた(いじわるされた)ことは、プライドが邪魔して話してくれないのだなあと思わされました。(話さない、話せない原因は他にもあるとも思うのですが)


話しにくい、話したくなかったことを話してくれるようになったのには、伏線があります(推測ですが)。

これまでにカウンセリングマインド、コーチングスキルで接していたことにプラスの出来事があったのです。

硬筆教室にも行ってまして、先週まで9級までだったのが7級に昇級していて、本人も嬉しかったでしょうが、妻それから帰宅した私にすごく褒められて、心が満たされていたということがあります。


そんな状態のところに、保育園のことに話題を振ったので、うち明けてくれたのでしょう。

「今日は言ってくれて、ありがとう。そんなん言われたら嫌やねえ。またそんなことがあったら言ってね。お父さんはRYUの味方だよ。」って返しています。

すごくすっきりしたのか、顔も喜んでいました。


子供からたくさんのことを学んでいます。

褒めること、認めること、待つこと、本人の気持ちになって聴くこと、などなど。

学校現場で生徒に接していないので、学んだカウンセリングやコーチングのスキルを忘れそうなんですが、子供を実験にいい学習ができています。

(子供は辛いでしょうが、それも子供自身で解決するだろう、できるだろうと、見守るつもりです。注意は払います。)


保育園児も高校生も大人も本質的には同じなんだと思っています。

褒められること、認められること、焦らされないこと、共感してもらえることなど。

どれをとっても嬉しいですし、心が満たされます。

すると次の段階へ進むことができそうです。


私はこの研修で、高校教員として当然のことでありながら、なかなか実行することができないマインド、スキルを身に付けさせてもらっています。

学んだことを実践しているので、他(同僚など)にシェアできそうです。

それだけに早く、高校生に実践したいです。


ある方のブログに書かれていました。

量は質に転換するって!

よくお邪魔もするし、コメントをいただくオリオリさんから、バトン(バンドではありません)をいただきました。

他の方のブログを拝見していると、見かけたりして、何か一体感があっていいなあなんて、指くわえて見てたのですが、いただくと嬉しいですねえ。


ちょっと今、はにかんでいます。

だけど・・・質問がきつ~い。

答えづら~い。

1.10年前に愛していた人を今でも一番愛していますか?

結婚して7年。ですから10年前は清い?交際してました。

今でも?微妙?愛している時もあるけど、そうでない時も多々あるって感じでしょうかね。

よく一目惚れはします。何も進展ありません。ちなみに浮気もありません。(えっへん!)

   

2・10年前に頑張っていた仕事を今も続けていますか?

  

続けています。でも10年前とは随分意識が変わってきたと思います。

10年前はただこなすという感じでしたし、どうあるべきかということが全くと言っていいほどわかっていませんでした。

今はもう少し意識を持った仕事ができるんじゃないかと思っています。

あと、自分のキャリアというものも意識するようになりました。

(他業界でも雇用してくれるような能力を身に付けたいと思ったりしてます)

   

3・10年前いつも一緒だった友達は今も一番の親友ですか?

離してしまった友達がいます。後悔しています。非は私にあります。

   

4・10年前ないた映画で、今でもなけますか?

10年前を問わず、かつて泣いた作品は今でも泣けます。

ハバナ、マイフレンド・フォーエバー、マイライフなどなど。

特に何かを成し遂げた時になぜか、泣き物を見たくなる性質があります。

   

5・10年前楽しみだった誕生日は今も楽しいものですか?

10年前は当時彼女だった嫁さんが祝ってくれて、この上なく幸せで楽しかったです。

今は子供たちに囲まれ、ハッピーバースデーを歌ってもらい、ろうそくを消す役を奪い合う兄弟を見ながら、嬉しくて半泣きになっています。

  

6・10年前に星を数えた夜空を時には見上げていますか?

見上げます。

俺ってちっぽけだなあって思ったり、この夜空からおやじが見守ってくれているんだろうなって思いながら見るときがあります。

その時には、「親父、俺は大丈夫か?」とか、「ごめんな、孝行できなくって」とか言ってます。

とにかく、星がきれいに見えるところに住んでいることに感謝します。

  

7・10年前にしていた恋のように今もときめくことはありますか?

あります!でも一瞬です。恋多きおじさんです。

 

8・10年前になりたかった自分に今なっていますか?

 

   10年前、「なりたい自分」というものを持っていませんでした。

   今はなりたい自分になるのではないかという予感があります。

   でも障害もいっぱいあります。

  

9・10年前に探していた自分の居場所はみつけられましたか?

   

   10年前に居場所を探すなんて発想がありませんでした。

   今、居場所を探しています。

   理想の居場所は見えてきつつあります。

    

10・10年前の正義感や情熱を今も持ち続けていますか?

もってます!というか年々微増しています。

むしろ正義感、情熱を失うのが怖いです。

  

11・この10年間、精一杯生きましたか?

生きました!って言えますが、客観的にみると、そうでもなかったかなと思えることもあります。「今ここ」を大事にし、棺桶の中に足を入れる際には「良き人生じゃった!」って言って蓋をしたいです。


以上です。

結構面白いもんですね。

これか?キャリア・カウンセリングをした生徒が、終えた後「楽しかった」って言った気持ちは。

過去を振り返りることによって、将来が描けるものなんですね。

将来が明るくなると、楽しいですし、前向きになれますもんね。

バトン誰に渡したらいいのやら?誰か受け取ってくれる方はいませんか?

ご連絡下さい。


今日は子供のことで嬉しいことがあったので、書きたいと思っていましたが、それは明日、子供を寝かした後、起きることができたら書きます。

(この週末は寝てしまい、起きることができませんでした)

今日は保育園の参加日でした。

二男は、体調不良のため休んでいましたので、長男だけの参観となりました。

長男最後の保育園の参観日でしたので、感慨深く長男と園庭を眺めていまいた。

入園当初は泣きじゃくっていていたそうですが、今では門前で、「中まで送っていかなくていい」と一緒に園の中まで一緒に入るのを嫌います。

寂しくもありますが、少しずつ離れていく傾向が見えて嬉しかったりもします。


さて、保育園での長男の姿。

私に似ずに、驚くほどお利口さんです。

保育士さんの言うことを、じーっと真剣な顔で聴いています。

また、言われたことはきちんと守って行動しています。

鬼のお面を作っていたのですが、集中して一生懸命に作っています。


ん?おかしくない?

少し心配しています。

まず、友達との会話、交わりの姿をあまり見ませんでした。

6才の子供なのに、そんなんでいいのかな?

園庭でのリズム遊びの際にも、工作の際にも、もう少し我があって、脱線したり友達と喋りながらでもいいと思うのですが。

今のうちに我を出しておくことって大事なことだと思います。


あと、気の付いたこととして、

オリオリさんも書かれていたように保護者の参観態度です。

やっぱり井戸端会議する保護者集団がいました。(きちんと輪になって)

全く参観していなかったです。

まあ、工作の時間でしたし、子供たちも雑談しながらだったので、迷惑ではなかったのですが。

見ててあまり気持ちのいいものではありませんでした。


小学校に上がってもあの調子だったなら注意できるかな?

ちょっと自分に問いかけてみました。


無理かも知れね~


でもあんまりだったら、大人しいakinboさんも黙っていませんよ。

習ったアサ―ションを用いて、「すいませ~ん。声が大きいみたいですよ」(こんなんでいいのかな?)って言ってやります。

まあ、とりあえずは人の振り見て我が振り直せ、です。


それと、

4月には小学校へ上がるわけですが、いまこうして就学前の生活の姿、様子を小学校の先生は知っているのかなあ、という疑問です。

小学校へ上がると、生活はがらりと変わるはずです。

移行がすんなりと進むのかなあって、思ってしまいます。

中には、小学校の生活についていけない子供も出てくるのではないかと想像してしまいます。

学級崩壊の低学年化が言われていますが、こんなところにも原因があるのではないかと考えたりしました。

これもいわゆるキャリアショックです。

小学校から中学校へのキャリアショックがよく話題に上りますが、この段階でのつまずきもありそうです。


この幼・保→小→中→高のキャリアショックをできるだけ少なくするシステム作りが求められると思いました。


中学校の生活っていうものをあまり知りません。

そのくせ、生徒の悪いところは、中学校の責任にする。

高校も中学校としっかり連携をとらなければならないと思います。

まあとにかく

今日は帰ってきてから、しっかりと長男を褒めてあげました。

「先生が話をしている時、ryuはちゃんと先生の言うことを聞いていたねえ、すごいじゃん。パパはすごく嬉しかった」って。


続けた妻の言葉がいただけない。

「そんなの当たり前よ。いつも言ってるやん。先生の言うことは聞かんといかんって。」

台無し。


承認する、褒めるって大事なことですねえ。

前向きに、自発的になれますから。

今日は、とあるセミナーに参加していました。

やっぱり、このような啓発セミナーに参加することっていいなあって思いました。


何が良いって、まず ①自分のスキルが上がりそうってこと。

(上がりそうってとこがミソで、後のフォローをどうするか、どう活かすかにかかっているんだと思う)

キャリア・カウンセラーの勉強もそうですが、生徒との関わりに役に立つと確信する内容でした。

現場に帰った時にその成果は書きます。 

②異業種の人と話ができるということでしょう。

これは大きい。

私にはこれまで、「教師の常識は、世間の非常識」というのが頭にあって、非常識だと思われるのが嫌で、異業種の方と触れ合うことに拒否感情を少し持っていました。

だけど、参加してみると、こういうセミナーに来ている方たちってオープンマインドで受け入れてくれます。だから私も恐怖感無しで、入ることができるということができました。

現場でも、企業開拓などや学校外部の方との触れ合いも恐怖感無しでできそうです。

こうした恐怖を克服するような体験にもなるわけです。 ③今回のセミナーでは、代表して発言を求められる場面が多かったのですが、慣れてきたせいか、発表できるようになりました。

以前の私ならあり得ないことです。

以前なら、そういう場面では、講師に当てられないように、俯いたり、「当てないでくれ~」オーラを発したりしていました。

大きな進歩です。

結局、私は当てられて、間違いやおかしなことを言って、「それでも教師か?」って思われるのが嫌だったんでしょうね。

でもね、今日の講師なんかも特にそうなんですが、間違えていても尊重して、うまくみんなにシェアしてくれるんですね。

これはクラス運営や授業などにも有効です。


と書いて気がつきました。

私が、「間違いを言うことに恐怖を覚える」ということは、授業の中で私は生徒の回答をそういう態度で受けて来たのではないか?と。

意識の中では、どんな答えも尊重し、言葉では「それも良い答えだ、いい視点だ!」って返していましたが、オーラでは、「おかしなこと言ってんなあ」っていうのを醸し出していたのでは。

実際はどうだったかはわかりませんが、もっと意識し、注意したいと思います。

これからも興味を持ったセミナーには参加していこうと思います。

この姿勢を続けていかないと。

学校現場にいると、自分のスキルを高めようとする教師がいなくて、その空気に呑まれそうなので。

少ないのではなくて、私が知らないだけかもしれないけど、それならそれでシェアしてくれればいいのにって思う。

結局教師っていうのは、良いことも悪いことも囲い込むのでしょうか?

みんなが個人商店なんでしょうか?


現場に帰ったら、Give&Giveの精神でいこうと思う。

現場にいたときの自分とあまりにもギャップがあるので、「狂ったんちゃうか?」って思われるかも知れませんが。

前回、家庭がボロボロって書きましたが、昨日はこれから、隣県のテーマパークへ行ってきました。

疲れていましたので、更新が出来ませんでした。(言い訳やな)

子供たちのたくさんの笑顔が見ることができ、楽しい時間を過ごしました。

行きは楽しみで仕方なかったのでしょう。

道中全く寝ずに過ごしていたのですが、帰りは車に乗ったとたん、長男はいびきをかきながら爆睡してました。

その時の寝顔って、充実感いっぱいの顔だし、いい夢見てそうだし、すごくいい顔してます。

毎日こんな顔して眠ってくれるといいなあ、なんて思っていました。


最近読んでいる本。

「論理療法による3分間セラピー 

エデルシュタイン&スティール著 城戸善一監訳 

~考え方しだいで、悩みが消える~」です。


なぜ、これか。

カウンセリング分野での理論なんですが、キャリア・カウンセラーの学習にも出てきて、「これは使える」って思っていたからなんです。

キャリア・カウンセラーの2次試験(面接実技)前に読んでおこうとも思っていたくらいです。

題名はこの限りではなく、論理療法の本が読みたかっただけです。


論理療法とは、心理的な問題を抱えてしまうのは、非論理的な信念を抱いているためとし、その非論理的な信念を気付かせ、解消させて問題を消去していこうという療法です。(この表現でいいのかな?)


この表現では「私は非論理的な信念なんか、持っていない」という人もいるかも知れません。

いやいや、持っています。

「生徒は勉強しなければならない」

「校則は守らなければならない」

「高校くらいは卒業しておかなければならない」

「女性は家事を立派にこなさなければならない」

「あいつは私のことを理解しなければならない」などなど。


この参考例以外にもたくさんあることでしょう。

要するに非論理的な「~しなければならない」とか、「~するべきだ」などの信念のことです。

このような信念を抱いているがために、心理的な問題がおこるのだそうです。


「勉強しなければならない」と思うばかりに、出来なくなった時に心に問題を抱えてしまったりする。

「勉強しないより、したほうがいい」くらいの信念であれば、もう少し楽になれるだろう、という理論、療法でしょうか。

(間違っていたら教えてください)


生徒の非論理的な信念を発見し、気付かせ、改善する相談は有効ではないかと考えたわけです。

この話があてはまるかどうかは今の私にはわかりませんが、例えばこのような生徒がいました。


「みんなが僕のことをおかしい、変わっている。変だって言うんです。だから僕はだめな人間です。就職も出来ないかも知れません」と。


そこで、

「みんなって誰が言うの?」

「A君とB君とC君」

「その3人だけ?」

「そう」

「じゃあ、逆にほめてくれる人はいる?」

「おじいちゃんとか、おばあちゃん、お母さんがほめてくれる」

「何てほめてくれる?」

「農作業が早いね、上手だね。物知りだねって」

「すごいじゃん。それでもだめな人間か?」


この話が当てはまるのではないかと思いましたが、もっと詳しく話を聴かなければ、彼の非論理的な信念は明らかにならないのでしょうか。


このやりとりは、生徒の気持ち楽にさせたようなので、論理療法になるかなと思っていたのですが。

とにもかくにも、我々は「~しなければならない」「~するべきだ」という信念をたくさんもっています。

それにより、問題が起こったり、課題とされるなら、教師はそれを発見し、本人に気付かせ、生徒が前向きに歩き出せるような支援をしなければならないと思います。


キャリア・カウンセリングの場面でもこうした非論理的な信念によって、前進を阻んでいる場合があるかと思うので、しっかりこの本も理解しておこうと思います。


ネタ切れのため、少しかじった(かじりかけ)本から話を広げてみました。

メンターからは、お褒めや期待の言葉をときどきいただく。


「やっちゃる。みていろよ。akinboパワーを!」って思ってみたりもいる。


でもね。

前にも書いたように“不安なakinbo”もしっかりとまだ鎮座してるんですわ。


メンターとのやりとりで、「もっと自信持たなあ、あかん」というような指摘をいただいて、少し自己分析してみた。


あったよ。思い当たる原因。


「家族を幸せにできていない」ことが原因だと思う。

キャリア教育、キャリア・カウンセリングって言ってる本人の家族が不幸せでは、説得力がありません。

家の外では、充実してそうな顔してるが、家庭ではボロボロで、自信を失うことが多い。


私は、私の周り全ての人を幸せにしたいと思っているし、曇った顔を見たくない。

(そのためにキャリア・カウンセラーのスキルは大いに役立ちそう)

だから、家族の者が幸せでなかったり、曇った顔してたりして、私の力が及ばなかったりすると、無力感に駆られたりする。


この研修期間中、ずいぶん、ポジティブになれたと思うし、モチベーションも上がった。


でもベースの家庭がイマイチだったら意味が無い。


昨夜は酔っていました。

読み返すんじゃなかったと、後悔。


さて

キャリア・カウンセラーの試験に合格し、加入している協会から、パワーアップセミナーの案内が届きました。


以下は私の葛藤の様子。


A:「おっ勉強会の案内じゃん!

   さすが、合格者には手厚い。嬉しいねえ。

   勉強した甲斐があったというもんだ。参加しようかな?

   んっ?25万だってー!?

   しかも会場は大阪と東京だけかいな。無理だろうよ!」


B:「行かんのか?今までの勉強だけで、

   お前はキャリア・カウンセラーの有資格者なんて言えるんか?」


A:「言えるわけないじゃん。足らんから、勉強したいと思っているさあ。」


B:「じゃあ、行って勉強すればいいじゃん!」


A:「4月から現場に帰るんだって!部活動もあるだろうし、

   学校の行事計画もどうなるか分からんだろうが?」


B:「そんなの先に予定入れとけばいいじゃん。

   そんなの気にしてたら、何もできないじゃん。

   今までのお前はいつもそうやって逃げて来ただろうが。

   それ飛び越えてみたら?」


A:「そりゃあ、わかってるさあ。大阪へ年間13回だぜ。

   しかも1月1回。夜行バス使っても、

   ホテル代合わせて2万はかかるべ。

   13×2万=26万。総額60万円。厳しいっす。」


B:「おっ、得意の言い訳か?」


A:「いや、いや。物理的にも金銭的にも厳しそうってこと。」


B:「まっ。そりゃあ言い訳だな。」


A:「そう受け止めてもらってもしょうがないな。」


B:「チャンスの女神に後ろ髪は無いんだぜ!

   通り過ぎたと思ったら、もう掴めないんだぜ。いいのか?」


A:「しょうがないじゃん」


B:「そうかい。好きにしな」


というような、葛藤があります。

ちなみに私Aはこれまでの私で、私Bがネオな私。

とりあえず、「思いのまま信じるところに沿って走ってみろよ」というふうな考えが入ってきました。


しかし申込みしないと思います。


こういう研修を我が地方でも開催できるように、何かしら働きかけをしたいと考えています。

初心者キャリア・カウンセラーからプロのキャリア・カウンセラーになるためにも。
今、酔っぱらいです。

私がこの研修中に、色々と刺激を受けている方たちとの飲み会でした。

良かったです。

充実感でいっぱいなので、PCに向かう気力がありますので、書いています。

この今の気持ちを残しておきたくて、PCに向かっています。


この飲み会で確信したことは、学校教育の抱える課題っていうのは、教育関係者によるああでもない、こうでもないといった話し合いでは、解決できないということです。

学校教育という枠を飛び越えた視点による課題解決が求められると強く感じました。


今でこそ、開かれた学校なんて言っていますが、本当の意味で開かれているのか疑問です。

確かに、開いて意見は聞くが、学校の方針としてあまり生かされていないような気がしてなりません。

意見聴いても、学校の取り組みとして反映されていません。


今日飲んだ方たちの意見を採り入れ、学校での取り組みに反映させれば、すごく良い物(生徒たちが、将来役にたつであろうことが身に付くもの)が出来上がると思う。

教育における課題を教育界だけで考えようとするから、学校は大きく変わろうとしないのではないか。


なぜ、それができないのか。

私のような末端の教員には計り知れない事情があると思うが、是非とも現場の声なき声?(いや、十分発信しているとも思うが)を教育現場に反映させてもらいたいと思う。


私の個人的な意見としては、今日飲んだ方たちを学校教育におけるスーパーバイザーとして、非常勤でもあっても、学校に迎え入れ、その意見を学校の取り組みに反映させるべきだと思う。


今日の方たちは、本当の意味で企業社会の酸いも甘いも知り尽くした人達で、その視点というのはとても参考になる。

学校教育に愛着を持っていらっしゃる方たちで、その意見こそが、これからの教育になくてはならない本質のような気がしてならない。


学校現場にいたら、こういう方たちと出会わなかっただろうことを考えると、私は研修に出て本当に良かったと思う。


この方たちとは、一生のおつきあいをさせて頂きたいと願った飲み会でした。


研修の報告書を書いています。

文才が無いのにややウンザリです。


人が読みやすい文章をさらさらっと書ける人が羨ましいです。

メンターはすごい。

すらすらっと書いてしまう。

私との違い?

やる気や本気度、情熱が違う。

これらがあれば書けるというものではなく、これらによってそこらへんの教師では経験できないことをやってきているし、人とコミュニケーションを図っている。

人間力の差が歴然としている。

文章力も得意、不得意はあると思うが、そこのへんの差で、不得意も克服されそうな気はする。


私なりにこれまで

文章力を上げるために、読書はしている。あまり変わり映えせんなあ…..(本に集中できていないのか?確かに読後の感想を聞かれるとうまく答えられない)

「直に書いて練習してしまえ!」って恥をしのんで、ブログを書き始めたが(始めた理由は他にもあるが)

少しは書くことが苦痛ではなくなってきた。

しかし時間がかかるし、書き手にだけしかわからない文章だったり、うまく表現できなかったりする。


まあ、当初は「教師のくせに下手な文章っ!」って思われるのが恥ずかしく、嫌で、こういうものを遠ざけていた。

それから言えば精神面で強くなったから良しとしなければ。


一度にたくさんのことは望んではダメだ。

ただ志は高く持っておかなくては。

「文章書くの、うまくなりてえー」


眠くなってきたので、すらすら文章を書いているシーンをイメージしながら寝ます。

この4月に長男は小学校に入学します。

で、今日は午前中、時間があったので、小学校までの通学路を長男・二男とで歩いてみました。

自宅から小学校までには、比較的車の往来の多い道を横切らなくてはならない所が2箇所ありまして、帰りは自宅に近い難所で、渡る練習をしていました。

渡り方のコツを教え、何度か共に練習したあと、私は向かいにいて、自分で渡らせることをやらせていました。


小さい子供が、渡りたいと待ち構えているのに、止まってくれた車はありません。

唯一、止まってくれたのは、自転車に乗った男子高校生。


止まってくれないどころか、スピードも落とさない大人、「邪魔じゃ!」と怪訝そうに通り過ぎていく大人を、そこでさんざん見せつけられた後での、彼のその行為は涙が出るかと思うほど嬉しかったです。(最近涙もろい)


横断歩道が無いところですので、止まってくれることは期待もしていなかったし、文句を言うつもりも無かったのですが、この差には何か言いたい。

やはり小学1年生であっても、自分の命は自分で守らなければならないことをしっかり教えなければなりません。

(まあ、このへんのことは親として当然の義務だとは思いますが)


おっと、

大人の批判ではありません。

高校生の彼に感謝したい、嬉しかった、という話です。

彼にしてみればすごく些細な行為でしょうが、その行為が私をどんなにいい気持ちにしてくれたことか。

大きい声で「ありがとう」っていいました。

彼は、「いえいえ」っていうような、恥ずかそうな顔をして去っていきました。


こういう血の通ったやりとりって大好きです。

それから人間性を培う上で重要なことだと思います。

わずかなやりとりですが、私も嬉しかったので、明るい気持ちになれ、ますます性善説を信じて生きていこうって思いましたし、彼もお礼を言われて、今後もずっと同じ行為をしていくだろうし。

また、それを見ていた我が子も何か、感じるものがあったと思う。

(しまった!子供たちと彼の行為についてしっかり復習しなかった!……これではキャリア教育にはなりません。

……これまでの交通安全教室と同じじゃん!)←気づきになりました。(やっぱり言うこと、書くことって大事)


4月までには、あと2、3回歩いて見ます。

その時の私の課題。

子供の視線で通学路を点検することで、社会の盲点、死角になる箇所を見つけだしたいと思います。

(犯罪が起こるものとして点検しないといけないなんて、悲しい社会です)

私も小学校時分に通った道で、ついつい「大丈夫!何も心配無い!」って思いがちなところに盲点がありそうなので。


無事に6年間、事故もなく通ってくれること願うばかりです。

「人の振り見て、我が振り直せ」を実感させられました。

私もこれからはもっと、道を譲るし、人に対して優しくします。(人にだけではないが)

そのためには、余裕を持った生活を送らなければ・