今日は高校生向けの就職支援セミナーを聴講してきました。


今日のセミナーにもガツンと来ました。

昨日、所属校でのロングホームに対し、生徒は聞かされるばかりで「苦痛だったろうなあ」と振り返った翌日に、まるで正反対の、生徒は「楽しかっただろうなあ」と感じさせるセミナーでした。


かずちゃんがコメントしてくださったように、聞くだけというのは、苦しいのです。

やっぱり聞く側にも、活動のある、考える時間がある授業でないといけないと思っていたのですが、まさしくそれを満たすセミナーでした。

大いに学ぶべき内容でした。


学校で教員がやっている就職ガイダンス、キャリアガイダンスとの違いとして、

その1.まず講師が笑顔(好意的で、「皆さんのことを受け入れますよ」というような雰囲気)がある

その2.1人の答えを、参加者全員にシェアする姿勢と尊重する姿勢

その3.参加者全員に対して目配りがあり、あたかも「1対1」のような授業

が挙げられます。(細かいニュアンスで言えば、もっとたくさんありました)


その違いから、教員って「従わせること」、「聞かせる」ことに満足する体質になっていくのかなあ、と考えてしまいました。


今日もたくさんメモを取ったし、流れも掴んだ(つもり)ので、現場に帰ったら、真似して実践してみようと思う。


久しぶりに所属校に行って来た。

就職サポーターが進路ロングホームで、2年生に向けて講話を行うというのだ。

(学校へ提出しなければならない書類もあったし)


その中で、時間が余るということで、少しだけ喋る時間をいただいた。

伝えたいことは山ほどあったが、短い時間だけにあまり効果的なことが言えなかったような気がする。

それから、生徒(人前で)の前で話をするというのは久しぶりで、やはり緊張してしまった。


でも、生徒側にたって考えると、「苦痛だったろうなあ」というのが感想です。

1時間ずっーと大人の一方的な話を聞かされて。


こういうように生徒側に立って、感じられるようになったのは進歩か?

人は想いを喋るのは「気持ちいい」が、延々とそれを聞かされるのはしんどい。

大切な話なんだから、1時間くらいじっと聞くべきだ、という考えもありだとは思うが、聞く側にたった話の内容も必要だと思った。

何しろ、生徒にとっては、進路を決定しなければならないなんていうのは、嫌で、遠ざけたい話であるから。


その2年生全員を目にし、「この生徒たちと4月から係わるのかあ」と感慨深く眺めた。

現場復帰がすごく楽しみに感じた

研修中の身なので、毎月の活動について報告しなければならない。


1月分を提出していたのだが、提出先の県の研修機関から、一部やり直しの指令が来た。

指摘されれば、そのとおりで、非常に恥ずかしいやら、情けないやら。


以前にも書いたが、私は非常に文章を書くことが苦手。

言いたいことや書きたいことは、頭にあるのだが、それをアウトプットするとなると、筆(キータッチ)が進まない。

挙げ句に意味不明な文章になってしまう。


メンター曰く

「難しく書こうとし過ぎ」って。


そうかも知れない。

きっと自信の無さがそうさせているのだと思う。

頭では、わかりやすい文章を!と思っているのだが、結構難しい。


現場教員だったら、こんな経験もできないので、いい機会と思うようにしている。
私の住んでいる町の広報誌には、毎月地域の保育園児の将来の夢を掲載しているページがあって、今月号に長男・二男の通う保育園が出ていてました。


そこで、今長男が将来なりたいと思っている職業は、“やおやさん”だということが判明しました。

以前は、おもちゃやさんだったのにと思いながら、「へえ~。そうか?」って感じです。

何を見て、そう思ったのでしょう。

最近は、八百屋さんを見ることが少なくなったので、絵本とかの影響かな?


だけど、妻のリアクションが。

「え~?本当に?いいの?八百屋さんが。」

この反応は良くないでしょう?

長男の中で八百屋営業は、無くなったと推測されます。

キャリア・カウンセラーの私は、自身の生い立ちを話すのが精一杯でした。(失格!)


長男の八百屋で思い出したのですが、私の祖父母は街路市(八百屋系)を出していました。(私が中学生2年生の頃まで)

そこで、私は小さい頃からずっーと手伝っていました。(小学低学年時は手伝いになっていたかは不明)


小学校に入る前後くらいだったか?祖母が「座ってても、つまらんやろう?あそこで、キュウリ売っておいで」に、拒否もせず、祖父母の店から30Mくらい離れたところに、ビーチパラソルに手押し車で、店を出していました。

お金の計算ができないものですから、キュウリ1かご100円に設定してもらって、売りにでました。

可愛い子が売っていると、結構買ってくれましたね。

祖父母の店よりもキュウリの売上げは良かったはず。

3週くらい続けたでしょうか。

来ましたね。やっぱり!



おまわりさん。

「ぼく、ぼく、お家の人は?」

何事かと、人だかりが形成され、何がなんだかわからず、

「あそこ!」と指をさす私。

警察官は、祖父母に説教していました。


で、敢え無く撤収。

そりゃあ、そうです。

お肉屋さんの店先だったし、営業許可も取ってないし、今なら児童虐待でしょう。

どんな説教されたのか、確認しなかったのが、心残りです。

あの街路市の経験は、すごく良い思い出となっています。

お昼には、近くの喫茶店に行き、焼きめしを食べて、その後にはフルーツパフェ。

それが、楽しみで行っていたのかも。


でも、売ることは楽しかったです。

数ある街路市の中から、我が家の店を選んでくれたり、お得意さんになってくれているというのが嬉しかったし、「ありがとう」って返ってくる言葉もやりがいを感じていました。

あと、「僕、偉いねえ」なんていうお客さんの褒め言葉もかなりモチベを上げてくれました。


だから、「ありがとう」って言いましょう。

子供には、積極的な声掛けをしましょう。

反応が無くても、喜んでくれています。

高校生でも小売業でアルバイトをしている生徒は、『「ありがとう」って喜んでくれるのが嬉しいから、接客をしたい』って言いますから。

そんな些細なことでも、職業観の形成に役立ちます。

社会で子供を育てましょう。


再来年から、全中学生のインターンシップが始まります。

大人の関わり方次第で、その成果は大きく変わってくると思います。

大人、そして社会の名誉挽回のチャンスだと思います。


その街路市周辺も今は、都市開発のあおりですっかり様変わりしています。

楽しみだったフルーツパフェを出してくれた喫茶店も営業していません。

もちろん、祖父母が出店していた場所には、その名残さえもありません。

なにより、祖父は他界し、祖母は寝たきり状態。


何だかね。

私のルーツがだんだん消えていくようで、寂しい気持ちです。

私の歩んで来た足跡が無くなっていくような。

人間は、そんな思いを乗り越えて、進化し続けなければならないのでしょうかね?


『足跡は心の中へ』って感じでしょうか。


子供の将来の夢から、私の郷愁話になってしまいました。

昨日は県外出張のため、帰宅が8時過ぎになりました。

節分ですから、普通には家に入らず、

子供たちが普段見かけないコートを着て、鬼のお面を被り、家の周りを「ウオー」と叫びながらドタバタと走り回ります。


そして玄関を開け(すでに鍵を開けて貰っている。鬼が鍵を使って入ったらおかしいですから)、吠えながら入り、ドスの効いた声色で「鬼だぞー」と叫びます。

その時、

長男(6才)は硬直。

二男(4才)は泣き叫ぶ。

長女(1才)は震えで、ワナワナと。


「お利口になるかー?ウオー」に誰も返答できず、

しばらくすると、長男が「お利口になります。お利口になります。」と一生懸命に懇願。


色々と吠えたので、声がかれて疲れてきたし、余りにも面白いリアクションで笑ってしまいそうになったし、長居はばれる(下は普段のスラックスだったし)と思ったので、妻が子供たちに豆を蒔く催促をしてくれ、豆をぶつけてくれたところで、退散するできました。


そして、10分後、何事もなかったように、「ただいま~」。

長男・二男は抱きついてきたりと、興奮冷めやらぬ状態です。


すると妻が、「○○(二男)は、う○ちが出た」って。


げっ!

またかよ~。

そう、昨年もしました。

長男は3才の時にしました。

我が家の子供たちは、超純粋。

かわいいったら、ありゃしない。

でも人間って、あまりにもビビッたら、う○ちをするものか?

とりあえず、”おしっこ”じゃあないの?

ヤクザ映画の”おしっこちびった”シーンは嘘か?

だけど、大人が、”う○ち漏れた~”はあまりにもグロイ。

後、残り人生どれだけあるか、わかりませんが、そんな経験がありませんように。


妻はもしかしたらと、紙オムツに履き替えさせていたようで、用意がいい。

また二男も期待に応えるし。


久しぶりに二男のう○ちを変えてあげました。

長女と違って、動かないので、変えやすいったらありゃしない。

でも、くっさ~い。


鬼のお陰で、昨夜はとても従順なかわいい子供たちでした。


で、今日は、また小学校まで歩いて来ました。

今日は、近所の女の子も誘って行ってきました。

なので、みちくさ食うわ、食うわ。


畑に咲いている花に興味を持ったようで(女の子の影響ですが)、握りきれないほど摘んで帰ってきました。

花の名前が分からなかったので、一緒に図鑑で調べてあげたら良かったと今、後悔しています。

こんな時にその題材を学習に向けると、すごく前進するのになあと思いながら。



こんな日々を送りながら、学校教育でのキャリア教育について考えていますが、やっぱりキャリア教育の土台は家庭だなあ~って、強く感じます。

特に小学校入る前の家族の態度かなあと。

しかし、そうやって考えると、今私がやっていることというか、接し方は十分だろうかって、思います。

きちんと、キャリア発達出来るような背中を見せているだろうか?って考えます。

子供を取り巻くみんなのそれぞれが、それぞれの役割をきちんと果たし、それを見せているだろうか?

そして、それらは子供に、何か感じるものを提供できているだろうか?って不安になったりもします。


また、見せるだけでなく、同時に語ることもしなければならないと思います。

しかも、カウンセリング、コーチングスキルを用いて。


子供を良い材料(サンプル)として、キャリア教育を考えることができて、ありがたいと思っています。

“キャリア教育は家庭から”ですので。

明日から、研修の一環として県外へ出張です。

携帯からの投稿の仕方がわかりませんので、ブログはお休みです。


それにしても、今日はネタが全く思いつきません。

報告書作成に頭使ったから、もう湧いてこないのかもしれません。


なので、どなたかのブログで拝見した『50音キーワード』(仮称)をやって見たいと思います。

要は、“あ”から順番に、“あ”の付く好きな単語、気になる単語、思いついた単語をあげ、それについて語るものです。


第1回目

“あ”です。

やっぱり、“愛”です。


ジャイアンツの原監督は上手いことを言いました。

「ジャイアンツ愛」とは。

かつて、そんな感覚でチームを表現した監督はいませんでした。


この年になると、恋愛のイメージの愛ではなくなってしまいます。

これって、寂しいことやろか?

い~や、成長の跡が見られて喜ばしいことだと思います。


愛の中でも理想は、万人愛を心がけることです。

どんな人とでも、愛情を持って接することができる人間でありたいと思っています。

(現実はそうでなかったりしますが)

他には、家族愛、親子愛、兄弟愛、自然愛、・・・

って思い浮かべていくと、“愛”や“愛情”の表現の仕方って、どうする?って言われたら、恋愛での愛情表現であれば、まずは抱きしめる、そして、続く・・・・。

となるけど、家族とかだったりすると、生活の中で恋愛感情のように強い気持ちで、「大事にする」ってことかな?

だから、親が子供を連れて無理心中とか、殺すとか、ものすごく悲しいです。

泣きたくなります。


みんなが、周りの者を大事に思い、行動できれば、悲しい事件は起こらないのになあ、と思います。

“愛”“愛情”って良い言葉です。

頻繁に使っていきたいなあ。


あかん、このへんにしとこ。


感想:意外に書けるもんやなあ。ホントはもっと書けたけど、今後が心配だからやめときます。

また、ネタに困ったらやろうっと。

次回は“い”。

昨日は腹が立っていたのですが、今日は自己啓発セミナーに参加して、前向きな方たちと触れ合うことで、すっかり気分は良くなっています。(単純な奴です)


前向きな「こうやっていこう!」とか「どうやったら、うまくいくか?」なんてことを考えるのは、すごく楽しく気分がいいのですが、後ろ向きな意見や姿勢には、こちらまでネガティブな気分にさせられます。


“気分がいい”で思い出したのですが、

キャリア・カウンセラー養成講座や今日のセミナーでも、ロールプレイで自分のことを喋る時間があったのですが、やっぱり話をするっていうことは気持ちいいんですね。

つくづくそれを感じています。

(これを普段のコミュニケーションでもやらなきゃあ!)


でも、どこでも、また相手が誰でもいいっていうわけではなくて、セミナーのような目的がある程度同じ人や安心感を抱くことができる人が、聴くに徹して聴いてくれると、話をしていてとても気持ちがいいものです。

どんどん話が出てきます。

あまり意識していなかったことまで、溢れ出してきて、気づきがあったりします。

すると人間って前向きになれたりするので、不思議。


逆に言えば、進路相談なんかの時に、生徒があまり喋ってくれないとか、本心をあらわにしない時っていうのは、こちら側がきちんと聴いてやれてなかった、安心感を抱かせることができていなくて、信頼関係が築けてなかったということになります。

決して生徒の責任ではありません。

聴く側である教師の日頃の接し方、態度に問題があったのです。


相手の自己重要感を満たすコミュニケーションができる人間を目指しています。


そのためには、今は意識して学んだスキルを実践しなければならないと思っています。

「自己重要感を満たすコミュニケーション」をしばらく忘れていたので、明日は職場で実践します。
今日は、高校生の就職を支援してくださっている方の会へ参加してきました。


そこで、教員の低落ぶりが報告されました。

これまでにも言われてきたことでもあり、慣れてはいたものの、今日のはショックで、いまだに気分が悪いです。

参加者の一人が帰り際、涙目で悔しそうに「生徒がかわいそう。私はノイローゼになりそうだ。」って言って帰りました。

すごく重かったです。


なんで、教員よりこの方たちのほうが一生懸命なの?

もちろんこの方たちと同じような思いの教員もいるのですが、絶対数が少なすぎる。

やる気無し教員に駆逐されてしまう。


今研修でやっているキャリア教育、キャリア・カウンセリングを

現場でやったるで~」

って意気込んでいますが、今日のにはちょっと脱力感、虚無感をおぼえました。


な~んかね。

学校でも教職員の輪が大事とか、ほうれんそうが大事とか、コミュニケーションが大事って言いますが、やる気無し教員とは、輪とかコミュニケーションとか取れませんから!!正直。


「あれれ。そんなんでいいの?」

「いけないとは思う。だけどねえ、私もまだ未熟だからコミュニケーションにならないと思うんだ。」

「じゃあずっと、平行線?」

「いや、もちろん変えなきゃあって思ってるから」


でもねえ。

ホントそんなやる気無し教員と話をしていると、それだけで腹が立ち、精神衛生上良くないんですよねえ。

前向きな気分を後退させてしまうんですよ。

私の場合は未熟なもので。


こんな教員に習っているから、生徒もやる気出ないんだろうな。

その学校の教員の姿勢が、生徒の姿勢に反映されててそうで、非常に怖い。

そうならないための手段は簡単なことなのに。


最近、どうも怠けていて更新回数が少なくなっています。

どこまで頑張れるかと思っているのですが、まだ「更新しなくちゃ」ってネタ探しをしていたりしますので、もう少し大丈夫かな?


でも本当、学校現場に帰ると更新は難しそう。

だって、帰りはいつも8時前で、車中(自家用車です)では、いつも眠くなるほどですから。

(それほど疲れることをしているとは思えないのですが)


だけど、現場に帰れば、この研修中に学んだことを生かして、もっと深く生徒に係わろうと思っているので、ネタには困らないとも思います。

キャリア・カウンセリング、コーチング、NLPなど学んだことを生かして、生徒に接して役に立ったスキルなどを報告・記録できればと思います。


今妻が読んでいる、「子育て本」。

題名は忘れたのですが、やはりここでもカウンセリングやコーチングの理論がたくさん出てきます。

まあ、カウンセラーが書いた本だからそうなるのでしょうが、全てうなずけることばかりです。

そういえば、ドラマ「ドラゴン桜」でも親の子供への接し方のところで、これらのスキルのことを言っていました。


子育てに関する教育って、やらないですよねえ。

やらなくていいんでしょうか?

結構(いや、すごく)、幼児期の親の関わり方って大切だと思うのですが、これに関しては自主学習です。

もちろん、母親学級とか、サポートシステムもありますけど、高校までの間に全生徒に対して、子育てに関する教育を行い、耳に入れておくことが大事じゃあないかなと思ったりします。

時々、「保護者の考え方がなあ・・・」っていうときがありますから。

「子供がかわいそう」って。


子育てに関しては、色々な考え方があって、一元的なものを伝えていくというのは、無理なのかなあ?

私は大事だと思います。

子は宝ですし、大きな可能性を持っていると思います。

子供自身に個性もありますが、その可能性を広げるのも狭めるのも、親であり、周りの者です。

ある程度の子育ての指針は示してあげたほうがいいのではないかと思います。


恩師が言いました。

「家族を持ち、子供ができると、教師としての幅が広がる。また違った目で見えるようになる。」って。

今、それをとても実感しています。

今日は、同僚の義父の葬儀に参列してました。

面識のない方ですが、遺族の心境を考えると辛いです。

私も父を亡くしているので、よくわかります。

(父が健在だったら、ここまでは分からなかったと思います)

ですから、未だ両親が健在の人には言いたいです。

「両親を大事にしろよ。後でものすごく後悔するぞ!」って。


人間はこうして悲しみを乗り越え、強く大きくなっていくんだろうか?

であるとしたら、

「こんなに悲しいのなら、強くも大きくならんでいい!」なんて思ってしまいます。

今日は少し凹んでいますので、弱気です。


強気の日であったなら、

「あの世で見てくれてる。しっかりしなきゃ!」となるところですが。


でも、オリオリさんの記事やきりんさんのコメントを読んで元気になりつつありますので、ご心配なく。