昨日は、ネタが無くて、アホな話になっていましたが、今日はまじめに。
先輩(同僚でもある)から、「キャリア教育って何?」と電話で問い合わせがありましたので、そのことについて。
「インターンシップのこと?」って。
「やっぱり、そうきたか!」
キャリア教育の実践報告を聞いたらしく、そういうイメージを持ったようだ。
「それもキャリア教育の1つですけど、それだけじゃあ無いです。」
キャリア教育とは、職業観・勤労観の育成のことであり、もっと言えば情報収集能力、意志決定能力、自他理解能力、コミュニケーション能力など(文科省は、これを4つの領域、8つの能力という枠組みで示してくれていたが、忘れました)の育成を目指した教育と言える。
生き方、在り方教育とも言えるかなあ。
だから、インターンシップもキャリア教育であるが、それで完結するものでもない。
キャリア教育が求められる背景として、
すぐ離職してしまう(職業社会に適応できない)
不安があったり、自信が無かったり、様々な理由によって職業社会に踏み出せない
会社に教育できる余裕が無い
求人がない(本県は特に)
従来の雇用環境の崩壊(年功序列、終身雇用の崩壊→成果主義)
働き方の多様化(パート、アルバイト、派遣、アウトソーシングなど)
などなど、働くことに関して、従来の進路指導、学校教育では対応できなくなった。
従来の進路指導では、どこに進学するか、就職するかの指導が中心で、「働くこと」や「生きること」についての取り組みが置き去りにされてきたのである。
その方が楽でした。
「そんなんじゃあ、○○へ行くことができんぞー」とかね。
それから、教師もそういう経験を積んできた。
現状に「これじゃあいかん!」ってことになって、キャリア教育が言われ始めました。
私自身は、キャリア教育のイメージをこう解釈しています。
「社会に出たときに、必ず壁に当たる。その時に立ち止まるのではなく、壁の前でウロウロできる能力を育成する教育」と。
すいません。
ニート研究家の玄田先生のパクリです。
だからインターンシップも大いに結構ですが、他にもあるだろうよっと。
国語や、社会、数学などの一般教科の中でも出来るのではないかと。
体育祭や学園祭にも、それらの力を養う場面ってたくさんあるだろうよと。
漠然とそれらの行事をこなすのではなく、キャリアの視点、狙いを持って取り組むということだ。
そう考えると、キャリア教育というのは、教員の意識改革のために出てきた名称のような気もする。
今までのやり方を変えませんか?キャリアの視点から今一度学校教育を見直してみませんか?と。
私はキャリア教育やその中核をなすキャリアカウンセリングを勉強していて思いました。
進路指導っていう言葉を無くしてしまえと。
進路指導って名がつくと、どうしても、「どこに進学・就職しようか?」という話になるし、範囲が狭く(出口だけのような)なるからだ。
ではなくて、その前に自分で、自分を見つめ直し、築いた価値観のもと、自ら進路選択・決定できるような能力を身に付けさせるのが先ではないかと。
ちなみに、文科省の進路指導の定義とキャリア教育の定義ってほとんど同じ。
だったらキャリア教育に変えたらいいのにって思う。
若い頃から、キャリアって言葉を使って、キャリアを意識して生きていくことってとても大事なことだと思う。
またまたちなみに、キャリアには、“人生の役割”も含まれていて、子供として、学生として、職業人として、配偶者として、親として、市民として、ホームメーカーとして、余暇人としての役割があって、これらの連鎖のことも含まれるらしい。
なるほどと思う。(私の説明ではわかりにくいでしょうが)
でね。
キャリア教育ってやらないといけないんだけど、それだけではダメで、キャリアカウンセリングがいるんです。
どうしても。
でないと、折角のキャリア教育も意味をなさないくらいに重要です。
なぜか、結構みなさん(私もそうですが)、自分の能力って気がつきません。
興味や関心なんかもカウンセリングによって気付かせられることが結構あります。
すると、だんだん自分や方向性が見えてきて、どうしたらいいか、なんかが解ってきます。
すると前向きになれたりまします。
キャリア教育(ガイダンスでもいいけど)によって、見たり、聞いたり、経験したりして、感情もいだくでしょう。(かつてのことでも結構ですし)
それを掘り起こしてあげたり、また磨き上げるってこともキャリアカウンセリングで行います。
これらって従来の教育では置き去りにしてきたことで、パラダイムシフトする必要があります。
全然、これじゃあわからんですね。
私も言い足りません。
でも、あとどこへ何を付け足せばいいかが、よくわかりません。
今日はこのへんで勘弁。
うまく説明できない自分ってまだ勉強不足?