昨日に引き続き、キャリア教育を書こうと思っていましたが、今日感じたことがありましたので。


就職フェア(面接会)を見学してきました。

一般求人がメインの面接会でしたが、高校生にも許可をいただき、参加させてもらっていました。

だけど、高校生の参加者の数が・・・。

就職希望でありながら、まだ決まっていない生徒が県内には数百人いるはずなんですが、参加した生徒は5人前後。

引率教員にどうして来ないのか聞くと、「アルバイトでいい」と言うらしい。

やっぱり、キャリア教育、キャリアカウンセリングの必要性を感じる。


そう言う生徒が多いので、「フリーター地獄にはまり、抜け出せなくなります。するとどなるか・・・」なんて対処療法的には言っているようですが、全体の場でいう言葉には生徒には届かないようだ。

しかし、1対1で信頼関係が出来た後に、「なぜ新卒で就職したらいいか」などの話をすると、すごく吸収してくれる。

そんなことから、少数グリープによるガイダンスやカウンセリングの有効性を感じたりもする。


あと面接会全体に対して、

熱気が無かった。

求職者の強い「就職したい!」っていう想いがあまり伝わって来ない。

参加者自体も少なかったようだが、参加者からの熱意が弱かったような気がする。

メンターもそう感じたようだから、間違いは無いだろう。


参加者の多くが、大学生であったが、特に男子の身だしなみを注意したいと思った。

スーツはきちんと着ているけど、

まず髪。

耳、襟にかかる、ボサボサ、茶髪と、清潔感が欲しい。

次に靴下。

何て言うのかな?踝までのやつ。これは、いただけないような気がする。(白地に赤いラインの学生もいた)

あと、ネクタイ。

しめが緩い。シャツに合わせた締め方とまで言わない(私も自信がないので)が、だらしない締め方はいただけない。


他にも、お辞儀や座り方、話の聞き方、書類の渡し方など、細かいところも目に付いた。


ということは、

逆にこれらのことができただけで、ものすごく好印象をもてる。

外見でライバルに一歩差を付けることができる。

このチャンスを逃して欲しくないと思った。
昨日は、ネタが無くて、アホな話になっていましたが、今日はまじめに。


先輩(同僚でもある)から、「キャリア教育って何?」と電話で問い合わせがありましたので、そのことについて。


「インターンシップのこと?」って。

「やっぱり、そうきたか!」

キャリア教育の実践報告を聞いたらしく、そういうイメージを持ったようだ。

「それもキャリア教育の1つですけど、それだけじゃあ無いです。」


キャリア教育とは、職業観・勤労観の育成のことであり、もっと言えば情報収集能力、意志決定能力、自他理解能力、コミュニケーション能力など(文科省は、これを4つの領域、8つの能力という枠組みで示してくれていたが、忘れました)の育成を目指した教育と言える。

生き方、在り方教育とも言えるかなあ。

だから、インターンシップもキャリア教育であるが、それで完結するものでもない。


キャリア教育が求められる背景として、

すぐ離職してしまう(職業社会に適応できない)

不安があったり、自信が無かったり、様々な理由によって職業社会に踏み出せない

会社に教育できる余裕が無い

求人がない(本県は特に)

従来の雇用環境の崩壊(年功序列、終身雇用の崩壊→成果主義)

働き方の多様化(パート、アルバイト、派遣、アウトソーシングなど)

などなど、働くことに関して、従来の進路指導、学校教育では対応できなくなった。

従来の進路指導では、どこに進学するか、就職するかの指導が中心で、「働くこと」や「生きること」についての取り組みが置き去りにされてきたのである。


その方が楽でした。

「そんなんじゃあ、○○へ行くことができんぞー」とかね。

それから、教師もそういう経験を積んできた。


現状に「これじゃあいかん!」ってことになって、キャリア教育が言われ始めました。

私自身は、キャリア教育のイメージをこう解釈しています。

「社会に出たときに、必ず壁に当たる。その時に立ち止まるのではなく、壁の前でウロウロできる能力を育成する教育」と。

すいません。

ニート研究家の玄田先生のパクリです。


だからインターンシップも大いに結構ですが、他にもあるだろうよっと。

国語や、社会、数学などの一般教科の中でも出来るのではないかと。

体育祭や学園祭にも、それらの力を養う場面ってたくさんあるだろうよと。

漠然とそれらの行事をこなすのではなく、キャリアの視点、狙いを持って取り組むということだ。


そう考えると、キャリア教育というのは、教員の意識改革のために出てきた名称のような気もする。

今までのやり方を変えませんか?キャリアの視点から今一度学校教育を見直してみませんか?と。


私はキャリア教育やその中核をなすキャリアカウンセリングを勉強していて思いました。

進路指導っていう言葉を無くしてしまえと。

進路指導って名がつくと、どうしても、「どこに進学・就職しようか?」という話になるし、範囲が狭く(出口だけのような)なるからだ。

ではなくて、その前に自分で、自分を見つめ直し、築いた価値観のもと、自ら進路選択・決定できるような能力を身に付けさせるのが先ではないかと。

ちなみに、文科省の進路指導の定義とキャリア教育の定義ってほとんど同じ。

だったらキャリア教育に変えたらいいのにって思う。


若い頃から、キャリアって言葉を使って、キャリアを意識して生きていくことってとても大事なことだと思う。

またまたちなみに、キャリアには、“人生の役割”も含まれていて、子供として、学生として、職業人として、配偶者として、親として、市民として、ホームメーカーとして、余暇人としての役割があって、これらの連鎖のことも含まれるらしい。

なるほどと思う。(私の説明ではわかりにくいでしょうが)


でね。

キャリア教育ってやらないといけないんだけど、それだけではダメで、キャリアカウンセリングがいるんです。

どうしても。

でないと、折角のキャリア教育も意味をなさないくらいに重要です。

なぜか、結構みなさん(私もそうですが)、自分の能力って気がつきません。

興味や関心なんかもカウンセリングによって気付かせられることが結構あります。

すると、だんだん自分や方向性が見えてきて、どうしたらいいか、なんかが解ってきます。

すると前向きになれたりまします。


キャリア教育(ガイダンスでもいいけど)によって、見たり、聞いたり、経験したりして、感情もいだくでしょう。(かつてのことでも結構ですし)

それを掘り起こしてあげたり、また磨き上げるってこともキャリアカウンセリングで行います。


これらって従来の教育では置き去りにしてきたことで、パラダイムシフトする必要があります。


全然、これじゃあわからんですね。

私も言い足りません。

でも、あとどこへ何を付け足せばいいかが、よくわかりません。

今日はこのへんで勘弁。

うまく説明できない自分ってまだ勉強不足?


隣の部屋で、1才の娘が寝言か何かわからないが、笑っている。

超かわいい。

いい夢見ているんだろうなあ。


最近いい夢みないなあ、と言うよりも夢さえも見ないような。

もっと若い頃は、追われている夢をよく見た。

何に追われているかは、思い出せないのだが、とにかく逃げているのだ。

一生懸命走っているのだが、足が上がらない、前へ進まない状況なのだ。


夢診断士さん、よろしく。

「締め切りとかに追われていませんか?」→NO

「今の現実から逃げたいと思っていませんか?」→NO


誰か教えてください。


現実逃避願望は無きにしもあらず状況だったのですが、夢にまで出てくるほど、逃避したいとは思っていなくて。

よくわかりません。


あり得ないようないい夢見て、それが現実的なものとなれば、どんなに素敵なことか。


私が高校の頃に見たあり得ない素敵な夢。

何と、夢の中で「北斗の拳」のケンシロウの恋人ユリアと私がおつきあいしているんです。

しかもすごいラブラブ。

ケンシロウは、それを応援してくれているってな夢。

ユリアさんはとっても綺麗な方でした。


残念だったのが、アニメなユリアだったか、現実立体的なユリアだったかが、解らないことなんです。


夢診断士、再度登場

「当時ユリアさんのことが好きでしたね?」→ベリーYes!Yes!Yes!

終わり。

昨日は、同僚たちの葬儀への参列態度に腹が立ったってことを書きました。

そんな後は、良い光景に出会いたいなあ、なんて思っていたのですが、人生そんなに甘くない。

平凡な1日で終わってしまった。


強いて言えば、労働行政機関の方の“明るく前向きな勢いのある”声を聞けたことと、所属校の就職サポーターから、前向きな質問があったことかな。


人間って不思議。

そんな些細なことでも元気をもらったりするから。


できることなら、毎日いい話を聴き、良い光景を見たり、体験したりしていたいです。

まあ、悪いものや嫌なものを見たり、聞いたりすることがあるから、些細なことでも、いい話に思えたり、良い光景だと思えたりするのでしょう。

こうやって書いていると、人間って欲張りな生き物だと気づくことができる。


感情のコントロールはできるはずなので、できるだけ楽しいことをしていた時のことを反芻(思いだ)しながら毎日を生きていきたい。

ムカムカしていると、何事もその感情を持って、見たり聞いたりするから、いいものでも悪く捉えてしまいそうなので、感情は常にプラスというか、楽しい気分でいたいと思う。(難しいよ~)

そうすれば、自分に良いものが集まってくるように思う

そんな毎日が理想だ。


自分への戒めの記事でした。


同僚でもあり、大学の先輩である先生のお父さんのお葬式に参列してきました。

参列者の教員の参列態度に嫌気がさしました。

会場が葬祭会館だったのですが、焼香を済ませた者が控える大広間での態度についてです。

まるで、社交場なんです。

知り合いを見つけては、そこへ行って、雑談。こっちへ行ってはまた雑談。

もちろん白い歯も見せる。

「お前ら何しにきたんじゃあ!」

まるで、葬儀を口実にした雑談会。


確かにね、学校は違えども同じ教科。

様子伺いやら、打ち合わせなんかもあるだろうよ。

あなた達は、たくさん仕事してるから、こんな日ぐらいしか、ゆっくり話す機会も無いだろうよ。


けどね。

壁隔てた向こう側で、父親亡くして、胸が張り裂けそうなくらい悲しんでいる同僚がいるんですよ。

もう少し当事者感情になれませんか?と言いたい。

参列することに意義があるって思っているのでしょうか。


その方たちとは、宗教観が違うかもしれないので、一概に私の考えが正しいわけではないでしょうが。


私は、2年前に父を亡くしたが、父は死をもって、私にこのような感情を持たせてくれました。

父の死は結構、私に学びを与えてくれている。

昨夜は飲み会でした。

学校現場にいては、一緒に呑むことなんてできなかっただろうなって人ばかりです。

このような方たちと出会えて、本当に幸せだと思いました。

みなさん、やっぱり生きる姿勢が違うんですね。

学校教員と違って。

夢や信念をしっかり持っていらっしゃる。

そのような方の話を聞けるのって、生産的で発展的、かつ刺激的。


酒があまり得意ではなく、酒でストレスが軽くなるというわけではない私は、若い頃の飲み方に違和感を感じていました。

若い頃は、先輩の「行くぞ!」の合図で、週に1回くらいの割合で、ほぼ同じメンバーで、ほぼ同じプログラムで、翌日学校があっても1~2時帰宅という飲み会をしていました。

だいたい内容は、愚痴&馬鹿騒ぎ。

愚痴&馬鹿騒ぎも嫌いではないですし、飲み二ケーションって言葉があるくらいですから、大事だとも思うのですが、毎回だったりすると、「何だかなあ?」って思う自分がいました。

しかし、そういう飲み会も減ってくると寂しかったりもします。(どっちやねん!)


今日は給料日だったようだ。

私がこの職に就いた当時は、手渡しだったのに。

結婚当時はすでに振込みになっていて、

「お~い。給料とって帰ってきたぞ~。」

「わ~い。あなた、お疲れさま。チュッ。」

なんてことを経験できぬまま、

「今月のお小遣いちょうだい。」になってしまっている。


私は、結構ケチな割には、お金に無頓着なところがあったんだが、(意味通じる?)

1馬力、3人の子持ちになると、さすがにシビアになってしまう。

心豊かな生活をしたいと思っているけど、経済的にも豊かでいたいわけで、今の生活は・・・・zzz。


経済的に貧しくとも、心は錦!

金は天下の回りモノ。(分かっちゃいるよ)

やっぱりこれだね。(ひがみには聞こえませんよね!)


高校生に将来を聞くと、「年収は1000万円以上欲しい」って多くの男子生徒は言う。

これってテレビの見過ぎ?って思ってしまう。

だけど、夢は夢として描くことは大事なことで、それを叶えるための方法を一緒に考えてあげることもキャリア・カウンセリングだと思う。


「絶対無理だよ~」なんて言ってはいけない。

可能性を持っているんだから。

セミナーの講師の方も言っていたが、10年その夢を言い続けたら、本当に叶うと思う。

言い続け、行動に移して欲しいし、それを支援することも大事だ。


私も「物心ともに豊かになり、周りの者を幸せにする」って目標を立て、言おうとしているが、毎日はできていない。

続けなければ。

もっと具体的な表現がいいのかな?とも思っている。


それに近いことを、高校生の頃にやって実現したことがある。

すごくもてたいって思っていて、鏡に向かって「お前って男っ前やなあ。もてないわけがない」って言い続けた。

それが生涯で、最初で最後。

告白が3件ありました。

ビックリしたね。


いいこと思い出した。

明日から鏡に向かって言おう。

何を言うのかは、まだ秘密。

叶ったら、教えます。

我が子を見つめながら、自分の幼少期を思い出す。

当時は、私の家は貧しくて、欲しいものがあっても、なかなか買ってもらえないし、言えなかった状態でした。

そんな状態で、友人が絵本を持っているのを見て、ただ漠然と絵本が欲しいと思っていました。

やっと買ってくれることになって、私が選んだのは、なぜそれを選んだのかは忘れましたが、「とうきちとむじな」という絵本。

今でもその名前は忘れません。

その本が良かったとか、そんな感情はありませんでしたが、ただただ嬉しくて、長期間にわたって来る日も来る日も読んだ記憶があります。

だから題名も覚えていますし、大事に扱いました。「貧しいのに買ってくれたー」って、ただ喜びでいっぱいだったのでしょう。

それが、私の成長にとって良かったことか、悪かったことかは、判断が付きにくいかもしれません。

だけど私は、そんな少年期を過ごしたおかげで、貧乏や不便にも比較的耐えられますし、我慢もできます。

また親心を感じ取って生きていくことができたと思います。


翻って現在。

本を読んであげることは大事だと、妻も考えていますので、たくさんの絵本があります。

子供が欲する前に与えています。(自分の経験から、いいのかな?という疑問符はつきますが)

だいたい数回読んだらおしまいです。(まあ3人いるから、いいのかな?とも思いますが)

何だかね、そういう生活には哲学というか、信念が無いというか、学ぶべきものが少ないような気がしてくるのです。

甘い親だなって思ってしまう。

絵本なんかは、買い与えるのは悪くないと思うが、もう少し教育というか、こちらの姿勢なども示しながらでないといけないような気がしています。


前回の記事では無いですが、貧しいながらも絵本を買ってもらい、それをものすごく大事にする。

そんなのって、とっても豊かな生活だと思えます。

そんな私。





コーチングのセミナーを受けていると、目標を聞かれる。


私の目標は、「豊かな人生を送る」です。(前にも書いたような…)


すごく大きなテーマだが、要するに自己実現かな?とも。

だけど、豊かな人生と言うほうが、しっくりくる。

もっと具体的に言うと、幅広くたくさんある。


スーパーのライフキャリアに照らしていうと、

○親孝行したい(子供としての役割)

○もっと勉強したい(学生としての役割)

○妻を幸せにしたい(配偶者としての役割)

○仕事では、いいパフォーマンスを見せたい(職業人としての役割)

・たくさんの生徒を救い、「先生に出会えて良かった」と言われること

・いい授業をして、生徒の顔つきが良くなること

・困った時には「akinboに相談すれば、何とかなる」って言われるようになること

・陰で、「すごい奴!」って呼ばれること

・任せられる人間でいること などかな。

○あこがれのオヤジになること(親としての役割)

○地域振興の立て役者になること(市民としての役割)

○「王様のように遊び、大統領のように仕事する」の王様のように遊びたい(余暇人としての役割)

○家のことは業者任せでなく、何でも自分でできるようになる(ホームメーカーとしての役割)などになるかな。

ん~、書いてみると、なかなかハードルが高いことに気付く。


けどね、まだまだある。

いよいよ、豊かな人生の真骨頂なんだけど、自給自足の生活をするなど、世の消費社会とは、正反対の生活を送ることかな。

私が小さい頃で、豊かだったなあと思う生活は、クリスマスには、家で飼っていた七面鳥を父が料理し、食すとか。

朝は、鶏小屋に行き、産み立ての卵を取ってきて、卵ごはんを食すとか。

川でウナギを捕って来て、七輪で焼いて鰻丼にするとか。

豊かな生活の思い出がいっぱい。


食べることだけか?

それだけというわけでもなく、

職と住が近くにあって、両親に用事があれば、近くの畑に行けば会えて、いつも背中が見えるところにいてくれたこととかもそう。

あと、退職後になるとは思うが、電気を使わない生活とか。(できるだけね)

要するに自然とともに生きるって感じだろうか。

夜は暗くなったら、寝る。

その代わり夜明けと共に起きて、用事をするとか、自然に逆らわない生活だな。


お金はできるだけ遣わない。

そんな生活が送れたら、豊かだなあって思ってしまうだろうな。

だから、商品のCMなんか見ていると、ムシズが走るような商品もある。

そんなにも必要もないのに、さも有益な商品のように謳っている。

何か生産的でないように感じる。


でもいざ、自然に逆らわない生活を送るとなると、厳しいだろうなとも思うので、ほどほどに。


言えるのは、豊かなキャリアを望んでいるってことかな。


このお題ってまだまだ書けそうな気がするので、また書くことにしよう。

最近、出会う人に対して、「初対面じゃない気がする!」って印象を持つ。


なぜだろう?

どういうような人に対してそんな考えを抱くのかと言えば、


ポジティブオーラが出ている人。

尊敬しちゃうような人。


そんな人に出会い、話していると、「あれっ?前に会ったことのあるような・・」

なんて気が起きてきます。


初めて会ったはずなのに、話しているとそんな気になってくるのです。


「何で?」


生物体として、終焉を迎えている合図だろうか?


いやいや、きっとこれは私の潜在意識が、そういう人達の潜在意識と交信を始めて、つながり始めたということなんだ。(勝手な解釈だこと。そんな世界があるのかは、わかりませんが)

ちょっとスピリチュアルな世界で考えてしまった。


まあ、何はともあれ、そんな人達とお近づきになれるのは、ありがたいことだ。