以前の記事でも転載させてもらいましたが、フェイスブックにいらっしゃるオーストリア在住のChihiro Sato-Schuhさんと言う方の投稿が秀逸です。
ここ最近は、クラシック音楽についての記事を投稿しているのですが、自分も音楽に携わる身として頷けることが多いのです。
最新の投稿で「本来のクラシック音楽はフリーエネルギー的なパワーをもっている」と。
その記事のタイトルは『クラシック音楽の封印が解けた』で、
「クラシック音楽が特別なもの、高尚で難解なものだと思われるようになったのは、いつからのことなのだろう? 音楽とは、もともと楽しむためのものであったはずなのに、それがいつの間にか、まるで難解なものを苦しみながら勉強するようなことになっている。」と。
「クラシック音楽は、もともとフリーエネルギー的なパワーがあるものだったのに、評論家やアカデミズムや音楽業界の権威主義によって、そのパワーを封じ込められていたのだ。」
ぼくはこのフリーエネルギーと言う言葉に深く反応してしまいます。
ちなみにクラシック音楽に関しては、ほとんど聴くことはないのですが、高尚で難解なものまでは思わないけど、ジャンル的には特別なもの的な位置にあるような気がします。
それはChihiroさん曰く、権威主義の教育のせいであり、商業音楽に取り込まれてしまったために、楽譜に込められた真意を無視した演奏があまりにも多すぎると言うことのようです。
その投稿では、バッハのバロック音楽を取り上げていて、そこでフリーエネルギーという言葉が出てきてぼくはハッとしたのです。
ここで一気に前文明としてここ最近話題にされているタルタリア文明の話になるのですが、その文明では水を活性化して結晶構造を変化させ、フリーエネルギーとして活用していたようなのです。
特定の音色の音や音楽を奏でることで水を活性化したわけですが、その活性装置的な役割として使っていたのがパイプオルガンや鐘だったのです。
特にオルガンは、低音から高音周波数に至る波長によって、エーテルエネルギーを生み出し
コントロールする機能を備えていたのです。
こちらの記事も秀逸です。
写真お借りしました(^▽^;)
ぼくはクラシック音楽よりも民族音楽のほうが好きなのですが、それはどうしてかというと、その音がキオクノトビラをノックして、潜在意識、もっと言えば前世の記憶へと誘われるような感覚があるからなのです。
音楽はもともとジャンルには関係なくフリーエネルギー的な要素をもっているのですが、今の物質本位の文明において、あまりにも商業主義の世界にコントロールされてしまったために、本来の心を癒し楽しませてくれる要素が損なわれてしまっているように思います。
特に現代のクラシック音楽は権威に依存しすぎているんじゃないかと。
まあそんなわけで、手前みそではありますが、前世のキオクノトビラを意識した楽曲ですので貼っておきます(^▽^;)
☆以前の記事ですが、音の周波数について書いてます。
よかったら読んでみてね♪(^O^)