新月の日に。(大地に這いつくばり 宇宙を仰ぐ) | ミタクエオヤシン

ミタクエオヤシン

ミタクエ・オヤシンとはネイティブ・アメリカン、ラコタ族の言葉で「私に繋がる全てのもの」という意味です。
だから、みんなつながっていこうね!

日々日常、非日常、音楽、映画、宇宙、スピリチュアル・・・などを綴ります。

 

今日(27日)は新月

旧暦の6月1日

15時08分14秒に

何か新しいことを創めよう!

古いものは捨てて・・・


そして音を奏でよう

舞とともに・・・

歌とともに・・・




銀河の宴を始めよう~

クリックするとキオクノトビラ・モードへテレポートします

∞●∞ ∞●∞ ∞●∞ ∞●∞ ∞●∞ ∞●∞ ∞●∞ 


さて新月ビームです!

さて今回は何をテーマにしましょうか(笑)
なんというか、いつも同じことばかり書いているようで、この新月日記は自分に課したミッションなので無理にでも這いつくばってでも書かなくちゃと思いながら、言葉を搾り出しているのですが・・・
あ、来た来た~!
今回のタイトル決定~!!
『大地に這いつくばり、宇宙を仰ぐ』です(^_^)

・・・・・・・・・・・・・・

ふと思うのだけど、どうしてぼくたちは「縄文人」に思いをはせるのだろう?
ぼくたち日本人のルーツ・・・

ぼくが縄文に興味をもったのは、94,5年頃に、三内丸山遺跡の発掘を期に、縄文ブームみたいのがあって、96年に三越だったかな?「縄文まほろば博」というのがあって観にいった。
当時はアメリカ(ブルックリン)に住んでいて、日本と行き来していた時だった。

そうそう急に思い出したけど、ブルックリン美術館に世界の古代のジオラマみたのがあって、日本のコーナーには、鳥居がある神社があったんだけど、その鳥居のそばには明らかにアイヌの衣装だとわかる人形が展示されていた。
神社といえば、神官の衣装って白装束ですよね?あと巫女さんとか。
でもそのジオラマは神社とアイヌの人だったのが、なぜかすごく新鮮だった。

おっと話を戻しますが、その縄文まほろば博に行った時に、ガイドブックを買ったんだけど、その本がなかなかよくて興味深かった。(今も持ってますが)

 

そしてこんな写真があった・・・

 

これってなんというか、アイヌっぽくもあるし、ネイティブ・アメリカンっぽくもあるし。

ぼくは当時、アメリカでおこなわれたレインボーギャザリングに2回行ったことがある。
そこには、ネイティブ・アメリカンの人もいたりして、ぼくはそこで初めてスウェットロッジ初体験をした。
その後97年頃に日本に帰ってきてから、インディアンフルートが無性に欲しくなり、オレゴンに住んでいた友人が日本に来た時に買ってきてもらったりもした。
レインボーギャザリングでは、友人が持ってきたティピで過ごしたりもした。
ティピの中では焚き火を囲み、毎晩太鼓を叩いたりしたし、メイン・サークルでは、数千人規模のドラム・ギャザリングが毎晩繰り広げられ、歌って踊ってドンジャカジャン♪

ああ~すいません、キオクノトビラがどんどん開いてきてしまいました(^▽^;)
(話すと長くなるので、リンクしておきました。興味ある方はどうぞ♪)

なにが言いたいのかと言うと、
自分の中にあった、(それは前世の記憶なのかもしれないけど)潜在意識の奥底に眠っていた記憶が少しずつ蘇っていったような体験をしたわけです。
実際、ティピの中で過ごしていると、すごく懐かしい気持ちになったり。

そんな体験後に出会った縄文時代という日本最古の文明に、とても魅力を感じたのだ。
それは、エネルギー的にネイティブ・アメリカンの文化に近いものがあったからだった。

いわゆる縄文時代と呼ばれた頃、1万年以上も平和な文明が築かれていたと言う。
それは、遺跡から武器のようなものが発掘されないからなのだが、縄文土器の模様を見れば、明らかに想像力に富んだ感性を感じ取ることができるだろう。

つまり、縄文期の日本は、人が戦いや争いをすることなく、男女がともに働き、ともに暮らした戦いのない、平和な時代だったということが想像できるのだ。

日本では、そういう時代が二万年近く続いた。

しかし今の世界とは大きな違いがある。
今ぼくたちが生きているこの唯物主義の資本社会はある意味、左脳社会なのだが、彼ら縄文人は全く正反対の世界に生きていて、右脳全開の社会だったのだろう。

彼らは当然のごとく、常に宇宙意識と繋がっていた。
そして、動物、植物、鉱物とも交流し会話していた。
彼らには精霊だって見えていたのかもしれない。
それに・・・
縄文土器に象徴されるように、その頃はまさに母性主体の世界だったに違いない。
なんか最近、日本では都議会での女性差別的発言が話題になったりしているけど、当時だったらありえない出来事だろうね。
あ、余談でした(笑)

つまり、ぼくたちにはもともとその叡智がちゃんとDNAに刻み込まれているのだ。
ただ左脳を主体にしすぎたために、記憶の奥底、潜在意識に押し込んでしまった。
まあ数千年もそうしてきたわけだから、全くといっていいほどその能力を忘れちゃったわけだけど。

だから・・・

今こそ、それを呼び覚ます時が来たのだ。

そして、本来の姿である母なる地球と共生した持続可能な社会のシステムを取り戻す時なのだ。

ぼくは、アメリカ時代には様々な精神世界本を読んだりしたけど、もちろんその探求は役に立ったんだけど、あまりそっちにばかり気を向けるとグランディングできなくなってしまうこともある。

最近ほんとうにわかってきたことは、真の宇宙はぼくたちひとりひとりの内側にあるということ。

だからぼくたちは、大いなる自然の中で、大地と戯れることを通して、内面から輝きだす真の宇宙を呼び覚ますことが、これからの生き方なのではないだろうか。

つまりは這いつくばって
そして宇宙を仰ぐという・・・


ではでは~♪

新月に祈りを 


セイジセイジ~♪

沈黙の音に耳を傾け

闇の音を楽しもう~♪

そして、失われた記憶を呼び起こそう!

大いなる宇宙意識への目覚めへ向けて

よい新月の日を~!

宇宙の宴を♪

銀河パーティーを♪

HO!

MITAKUYE OYASIN~♪

新しい時代へ向かって!


セイジ