もしもこの宇宙が太陽系のみだとしたら | ミタクエオヤシン

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ミタクエ・オヤシンとはネイティブ・アメリカン、ラコタ族の言葉で「私に繋がる全てのもの」という意味です。
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日々日常、非日常、音楽、映画、宇宙、スピリチュアル・・・などを綴ります。




EARTH

最近、いろいろ考えています。
ぼくの場合、それを文字変換するのにはだいぶ時間がかかります。

ところで「トゥルーマン・ショー」という映画を観たことあります?
前の日記に「エターナル・サンシャイン」のことを書きましたが、「トゥルーマン・ショー」もジム・キャリーが主役です。
1998年のアメリカ映画ですが、プロットは1959年のフィリップ・K・ディックの小説『時は乱れて』(Time Out of Joint)からいくつもアイデアを拝借しているという。

典型的なアメリカ市民・トゥルーマン。だが彼の暮らす環境は、どことなく不自然だ。それもそのはず、実は彼の人生は、隠しカメラによってTV番組「トゥルーマン・ショー」として世界中に放送されていたのだ!家族や友人を含めたこれまでの人生が全てフィクションだったと知った彼は、現実の世界への脱出を決意する…。メディアによって作られた人生の悲喜劇に、見事なリアリティを与えているジム・キャリーの熱演が光る傑作コメディ。

今まで何回か映画のマトリックスのことを出してますが、ある意味、これも洗脳社会脱却映画です。(笑)
 
まあちょっとネタバレになっちゃいますが、日記のテーマがそこと関係あるのでしょうがなく書きますが、
ラストシーンでトゥルーマンは、ひとりヨットで海を超えて、どこかへ向かいます。彼は自分がフィクションの世界にいたことに気づいたのでしょう。
でもまだ薄々なのかもしれません。

すると突然、「ドカン!」と音が響きわたりました。
観ているぼくもこのシーンにはびっくりしちゃいました。

その音は、ヨットの先端が、壁にぶつかった音だったのです。

そう、その海原に見える晴れ渡った空は、壁に書いた絵だったのです。
つまり、巨大なセットの中だったと言うわけです。

さすがにトゥルーマンも驚きましたが、彼は冷静さを取り戻し、その壁にドアを発見します。

その虚構の世界のディレクターは月からすべてを監視しています。
彼はトゥルーマンを引き止めますが、それを無視し、トゥルーマンはそのドアを開け、出口から出て行くのです。

そしてテレビでその一部始終を見ていた観客たちはトゥルーマンの勇気に拍手を送りました。

トゥルーマンショー 

*************

ぼくは「マトリックス」もそうですが、この「トゥルーマン・ショー」も見事に今の社会を風刺した素晴らしい映画として心に残っています。
最近話題になっている映画『Thrive(スライヴ)』は、まさに、ぼくたちが宇宙の記憶喪失から目覚めるためのバイブルのような内容です。

ところで、タイトルの「もしもこの宇宙が太陽系のみだとしたら」ですが・・・。

きっとそんなわけはないだろうと多くの方が思うことでしょうが、最近ぼくは真剣にこの考えを考察しています。

「トゥルーマン・ショー」はいちおう地球での話ですが、宇宙も同じようなエーテルの海です。
だから宇宙船というのでしょう。

1977年に米国が打ち上げた惑星探査機・ボイジャー1号は、今も宇宙を航行し続けています。
そして、今は太陽系外空間に位置しており微弱ながらも交信しているようです。
http://spacesite.biz/voyager-pioneer.htm#news

まあNASAのことですから、どこまで真実かはわかりませんが、これが事実だとすると、この物質空間は太陽系の外まであるのでしょうが、ぼくはそろそろ、「ドカン!」と何かにぶつかるのではなんて思ってます(笑)
いやまあ「トゥルーマン・ショー」のように壁にぶつかるとは思いませんが、そろそろ時空の壁にぶち当たるのではと思います。

としたらボイジャー1号は消滅するのかもしれません。

ところで一般的に映画や画像で、宇宙には星が無数の点在しています。
地球から天空を観ると、星は輝いて見えます。
しかしこの輝きは大気の影響でゆらゆらと見えているのです。
これはちゃんと科学的に言われています。

太陽も地球からは光り輝いていますが、これも地球の大気や電磁場の影響で、地球の傾斜角によって熱に変換されているようなのです。

宇宙空間で見る太陽はいったいどのように見えるのでしょうか?
不思議とそういう写真って見ないと思いませんか?
まあ一般の人がそんな写真を撮ってFACEBOOKにでもあげることはできませんから、NASAの画像が頼りなのですが、太陽の写真って公表してましたっけ?
あ、宇宙天気予報にある画像は、肉眼で見える太陽ではありませんよ、念のため(笑)

日本の月探査機「かぐや」は、月の鮮明な画像を公表してましたが、月から見た地球の出の画像にも全く星は写っていません。
地球は暗黒の中にぽっかりと浮き出ています。

地球の出
宇宙空間から見た地球の画像はいくらでも公表されていますが、野口さんも太陽までは見せてはくれなかったと思います。


そうそう思い出しました。
あの「2001年 宇宙の旅」では、船外に修理のために出ていったフランク・プールは、HALによって命綱を絶たれ、宇宙空間に解き放たれるシーンは、すごく脳裏に焼き付いています。
それはまるで暗黒の奈落の底へと吸い込まれていくように見えました。
そこにも星は描かれてませんでした。

写実主義を重んじるキューブリックは、もしかして宇宙の真実をNASAから聞いていたのかもしれませんよね。
例の月への着陸映像と引き換えに。
いや真実はわかりませんが。



ああなんか話があっちこっちへととりとめなくなってきてしまいました。

要するに言いたいことは、ぼくたちが頭で考えてることは既成概念や固定観念で凝り固まっているのです。
しょうがないですよね、生まれた時はまだよかったのですが、学校へいく頃から洗脳社会の偽りの知識を詰め込まれるわけですから。

でもそういう世界も今、だんだんとほころびが見え始めています。
それに反比例するかのごとく、ぼくたちは本質のこころが芽生え始めているように思うのです。

きっとぼくたちは本当に狭い狭い物質世界に自ら安住してきたわけですが、まるでそれは映画のマトリックスのようで、マヤカシの世界であるということに多くの人々が気づき始めているのではないでしょうか。

ぼくたちは狭い時空間の中に自らを閉じ込めていたのでしょう。

きっと宇宙はもっともっと違う価値観、いや法則で成り立っているのではないでしょうか?
本来は時間というものはないのでしょう。
そして3次元と言われているこの世界も多くの次元とリンクしているのだと思います。
つまり多次元世界、多次元宇宙があるのだと思います。

おそらく古代の人々は多次元宇宙と共振共鳴していたのでしょう。

きっと宇宙から見える地球は、青く生命力にあふれる星に違いありません。
この母なる地球は宇宙の縮図とも言われているのです。
過去において、当然のごとく宇宙から様々な生命体の介入があったことでしょう。
そして実験の場でもあったらしいのです。
木々などの植物はさまざまな星と交信しています。
イルカやクジラはシリウスと関係が深いようです。

しかし・・・

人間という種だけが、自然の意に反して生きてます。
人間のせいで地球が破滅なんてするわけありません。
その思いは人間のエゴだと思います。

地球は、ただただ自らの自然治癒力で宇宙の進化の波に共鳴していくだけなのだと思います。

そこに共振してハーモニーを奏でていくか、いかないか。
ただそれだけなのかもしれません。

ぼくたちはただ「素」の自分になればいいだけなのです。