記憶除去装置(エターナル・サンシャイン) | ミタクエオヤシン

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ミタクエ・オヤシンとはネイティブ・アメリカン、ラコタ族の言葉で「私に繋がる全てのもの」という意味です。
だから、みんなつながっていこうね!

日々日常、非日常、音楽、映画、宇宙、スピリチュアル・・・などを綴ります。

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舞台はニューヨーク。
いつものように会社へ出勤しようと駅で待つ主人公のジョエル(ジム・キャリー)は、なぜかふと思い立ち違う電車に乗り込む。
きっと毎日の同じ生活からちょっと抜け出したいという気持ちって誰でもあるだろう。

そして向かった先はロング・アイランドのモントークのビーチだった。

そこでひとりの女性に会う。
シャイなジョエルは声をかけたくても出来ない。でもその女性クレメンタイン(ケイト・ウィンスレット)は、積極的で帰る電車の行き先も同じだったことから、だんだんとふたりはお互い惹かれていく・・・。

と、ここまではよくある恋愛映画なのだが、ここまでのシーンは実は伏線になっていて、長いイントロからタイトルが出て話は始まる…。

まあ、あとは映画を観てもらったほうがいいのだが、この映画の面白いところは、普通の恋愛映画的ではあるが、テーマは「記憶を消す」ことにあるのだ。

「さよならの代わりに記憶を消した…」といのが宣伝文句で一見SFなのかと思ったら、全く現代のストーリーだった。
設定が現代なのに記憶を消去してくれる会社があったりするのがいい。
もしかしてマンハッタンのどこかにこんな怪しげなオフィスが本当にあったりしてなんて思ってしまうほど、普通描写なのだ。

観てるうちになんかこの映画のタッチ、「マルコビッチの穴」に似ているなと思ったら、案の定、同じ脚本家だった。

記憶を消すのには、頭に機械をかぶせて電極とコンピューターをつなげ、脳の記憶マップを作り、消したい記憶を消去していく…。
しかし安易な気持ちから記憶を消してしまったふたりは、縁りを戻したいがために記憶の底に逃げていく…。

映画の時間軸がばらばらなので、知らぬ間に画面に張り付くようにぼくは観てしまっていたのだ(笑)

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「記憶」と言えば、ぼくはよく日記にも書いているがかなりこだわっている。
ここで話を広げるとまた(それこそ)記憶の扉が開いてしまい永遠?書き続けてしまいそうなので、ぼくの記憶マップは少しだけ開くことにするが…

音の記憶、魂の記憶、古代の記憶、宇宙の記憶、銀河の記憶、前世の記憶、DNAの記憶、
未来の記憶、記憶の記憶(なんじゃこれ!)

ぼくは記憶と言うものはもちろん体験を通して脳のストレージに刻印されるのかもしれないけど、体験の前には想念がある。
まず意図があって人は何かリアクションを起こす。

そして基本的に古い記憶は時間軸どおりにどんどん薄れていく。
これはまるでコンピューターでのフォルダの階層がどんどん奥へ行ってしまうのに何となく似ている気がする。

でもコンピューターでも同じだが、大事なものはディスクトップに置いておけばいつでもすぐに開くことが出来る。
それにキイワードで検索すれば一瞬で探せる。

つまり…何が言いたいかといえば、記憶にはいちおうメモリーした時間軸があるけど、その記憶というフォルダ?には時間はないと思うのです。

うまく表現できないのが残念だけど、記憶はみなさんお馴染みの巨大ストレージ「アカシャ」の宇宙記憶バンクにバックアップされているので必要に応じてアクセスすることができるのだと思う。

つまり記憶フォルダは永遠の今という次元に置かれている・・・かな?

ああ話が大きくなってしまった…。
終われない…

もうまとめてしまいたくなりました!
(まあ日記なんだからまとめる必要もないか・・・)

言いたいことは、つまりほんとは記憶再生装置についてなのだ。
前に音の記憶と書いたが、「記憶の音」これが実は自分の音のテーマなのかもしれないということを言いたかったのだ。

あるひとつの音で人はそれぞれ一瞬になにかを思い出す。
それは風景かもしれないし、匂いかもしれないし、人かもしれない。
時間軸もきのうだったり、子供の頃だったり、前世だったり、時には未来だったり・・・。
ここらへんのことは以前の日記「記憶の音」に書いてます。

とりとめなくなってきましたね。
映画の話から広がりすぎちゃいました。

そういえば「ブレインストーム」もよかったなぁ。
それにジム・キャリーの映画はみんないいな。
「トゥルーマン・ショウ」は超お勧めですよ!最後に絶対言えないどんでん返しあるし。

(と、ぼくの脳内映画フォルダはまだ語りたそうですが・・・)


ではみなさん!風邪には気をつけましょう~!

エターナル・サンシャイン
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