例えば、いつも同じ時間に乗る電車に、乗り遅れたことで、ずっと連絡の取れなかった友人に次の電車でバッタリ出会う。
とか…
本屋で棚の上の方にある本を背伸びして取ろうとしたら、なぜか隣の本が下に落ちてきて、実はその本は昔探してて自分に必要な本だったとか…。(このシーン、アウト・オン・ナ・リムにあったような…)
まあとにかくこういう偶然のような話は誰にでも体験があるはずだ。
よくいう話に、人生とは阿弥陀くじのように、選択する道によって、様々な歩み方をするけど、結局は同じ目的地にたどり着く、と。
運命とか宿命とか、それは決められた人生があるのだろうか?
それとも…。
そんなことを考えさせられてしまう映画を観た。
『アジャストメント』という映画なのだが、原作は、あのフィリップ・K・ディックの「調整班」という短編小説だ。
フィリップ・K・ディックと言えば、ぼくも大好きな『トータル・リコール』とか『ブレードランナー』が映画化されているよね。
STORY
「操作された<運命>に、逆らえ!」
将来有望な若手政治家デヴィッド(マット・デイモン)は、ある日エリース(エミリー・ブラント)という美しいバレリーナと"運命的"に出逢い、一目惚れする。しかし突如現れた"アジャストメント・ビューロー(運命操作局)"と呼ばれる男たちによって、彼は拉致されてしまう。
ビューローの目的は、本来"愛し合う予定ではなかった"デヴィッドとエリースを引き離し、「すでに決定している運命」に従わせること。混乱するデヴィッドに突き付けられたのは、「この世のすべての運命は、ビューローがすでに決めた運命から逸脱しないよう常にモニターされ、操作されている」という、信じがたい現実の"裏側"だった。
想像を絶する能力で運命を操作するビューローに対し、自分の未来を取り戻そうと必死の抵抗を試みるデヴィッド。彼はやがて、ビューローの背後に潜む、更に巨大な力の存在に気付き始める…。
映画の舞台はNYなので、なつかしさもあったけど、それにしてもこういうテーマにしては大げさな破壊シーンとかCGもなく、ずいぶんお金かけてないなぁなんて観ていたけど、脚本が良く出来ているせいか、最後まで展開が読めない。
つくづく思うのは、映画はほんと脚本ですよね。
最後は、おお~こう来たか!ってな終わり方だったけど、後味もよく余韻が気持ちいい。
でも主人公がリセットされる展開もありだと予想したけど、これって最近の映画に慣れすぎているのか?なんて(笑)
今、この混沌とした世界はどうなっていくのだろう?
決まったシナリオがあるのだろうか?
ぼくたちひとりひとりの運命はどう展開していくのだろうか?
この世界は終りの見えない牢獄なのだろうか?
911や311によって、マトリックスが見え始めた。
この現実社会は操作された幻想社会だったことに多くの人々が気づき始めている。
やっぱりいつものようにホピの岩絵の例を引用しますが、
「荒廃した世界」と「穀物が豊かに実っている世界」へのどちらの道を選択するかは、ぼくたちの自由意志次第なのだと思う。
それは映画の最後でアジャストメント・ビューローが主人公の運命のシナリオを白紙にしたように…。