風鈴の音色が涼風に流れていた
風鈴は激しくゆれた。
愛し合っていたが、女は突然、出て行った。
数年後、偶然、他人の子を背負ったその女に、「ほおずき市」で会った。
「ほうずき市」で飾られた数多くの風鈴は、二人が出会った瞬間、突風にあおられ、いっせい大きく鳴り響いた。
風鈴が男女の心情を良く表現していた。
黒澤明監督『赤ひげ』のワンシーン。
続く橋での別れのシーンも、言葉なく風鈴の音だけの「せつなさ」の演出は、また凄い。
風鈴・川のせせらぎ・潮騒・風・鈴虫など、自然の「ゆらぎの音」は、人の心を穏やかに、和ませ癒す。
「ゆらぎの音」を使った音楽療法もある。
日本には500万人以上の潜在患者が、いるといわれる「うつ病」など精神的疾患の人に、音楽による治療法は効果があるらしい。
「アリストテレス」や「ピタゴラス」は2000年前のギリシャ時代に、すでに音楽には『魂の浄化作用』(カタルシス)があり医療と同じ位の効果があると考えていた。
3000年前、羊飼いのダビデが、ハーブを演奏し「うつ病」のユダヤの王様サウルを治したと言われている。
『友人が、うつ病になった。』
私には、なにもしてやれない。
「赤ひげ」をきっかけに『風鈴』の音色を届けるしか方法を知らない。
今日は死ぬにはいい日だ
気になっていた。 5年以上前だと思うが、知り合いの画廊で、知り合いの絵描きさんの絵を見た。
その絵はアメリカ・インディアンのシワの深く刻まれた横顔でインディアンの羽根飾りが印象的だった。
ネイディブ・アメリカンの苦悩と苦難の歴史、これからの戦いに挑むべく、静かに迎える決意が、遠くを見つめる眼(まなざし)に、良く絵の中に表現されていたように感じた。
気になったのは絵ではなく横顔の絵の下に書かれた言葉だ。
『今日は死ぬにはいい日だ』
Today is a good day to die.
今でも、この言葉の意味は、わからないのだが、その絵を見た時は、単純に、例えば騎兵隊との絶対的に不利な戦いに「悔い」の残らないよう死を覚悟して戦いにのぞむと思っていた。
最近は、自分のやるべき事をして精一杯、充実した一日を生き、悔いのない日であれば「死ぬにはいい日だ」と思ったりもする。
また、今日を善く生きるための言葉かもしれない。
人生は一日、日々の積み重ねで生きていく。
秋に木々は枯葉を落としても、春は若葉が芽吹く。
今日、考えたことは、精一杯、生きたわけでも、人のために何かしているわけでもない。
雨の音を楽しみ、晴れた日は蒼い空を見る。
川のせせらぎを聴き、小鳥のさえずりを聴く。
風薫る、爽やかな風に吹かれ、感じる。
小道に咲く花を見、夜空の星々を見る。
一日で、この一つでも感じることができれば悔いはない。
It's a good day to die.
『今日は、こう考えたが明日は、わかりません』
宇宙は無心に広がる
顔に厚さ3センチの厚塗りの化粧した人を、今までは見ただけで不快感とともに、はきけ、めまい、頭痛、寝不足の時は失神していた。
旅行さきで、清々しい風景を見た後、振り返ると厚化粧の人を見てめまいに襲われ、電車・バスに一緒に乗り合わせると動悸・息切れが激しく、エレベーターが開きいきなり入り込まれるとパニック障害をおこし気絶・悶絶し生きた心地がしない。
一刻の猶予もない、時間は待ってくれない。
私は生死をかけ、その対策に人生のすべての情熱をそそぎ、全力を傾けた。
とりあえず、解決策のひとつが見つかった。
『人を変えず、自分を変える』
「その厚化粧をやめれば話をしてもいい」とか、批判を強めればその本人は、からに閉じこもり意見・考えを変えようとせず、化粧の厚さは10センチを軽くこえてしまう。
そこで考え出された苦肉の策は、自分の考え・見方を変え、たとえば「自分の顔をキャンバスにみたてて描く芸術家」「厚さ10センチでも耐震構造が緻密に計算された建築家の才能あふれる人」など色々かんがえることで、イライラはなくなり、心にゴミやチリを溜め込むことが少なくなった。
今では会社訪問し、そこの受付の人が、また入院し看護士の人が歌舞伎役者のくまどりのような化粧で現われても、おどろいたり、取り乱したりしない。
その芸術性を賞賛するかは個人差があるのでわからないが、平常心はたもてる。
冗談はさておき、私の周囲の人は、いつも平穏無事で楽しげにみえる。
ひとはどのようにしてストレスに対処しているのだろうか。
「酒を飲む」 「「遊ぶ」 「一晩ぐっすり寝る」なのだろうか。
「許し」 「愛」 「理解」なのだろうか。
私には わからないが今のように のんびり暮らせば いつか風が 運んでくるかもしれない。
生きているだけでいいんだよ
「あなたではなく私への言葉」ー昨日は518で「言葉の日」であったらしので。
人生に目的などない。
これは真実だ。
あなたに何ができる。
世界を変えることができるのか。 できたとしても、それは自己満足だ。
真の意味で人が愛せるのか。 愛したことがあるのか。
あなたに何ができる。
人生に目標などない。
世間の常識に縛られ、考えもせず、頑張らなければ、
名声・名誉・お金を得なければ、ならないなんて。
そう思うのだが・・・。
寒さに震える子犬を抱きしめる。
それだけで、あなたの人生はムダではない。
それさえも、できないのであれば、
この広大な宇宙に人間が存在し、人間だけがこの「宇宙がある」ことを認め、考えることができる。
それだけで、あなたの人生は無駄ではない。
「肩の力を抜いて」 「もっと楽に」 「自分を許し」
『人は生きているだけでいいんだよ』
ノカイドウは霧の中で。
世界中でここでしか咲かない。
宮崎・鹿児島の県境に位置する渓流に沿って、暖かい日差しを好むノカイドウは咲く。
バラ科リンゴ属 で、つぼみは赤色、5~6分咲きの時、ピンク色。
満開の時、さくらの花に似た花弁は、真珠に淡いピンクを落とした様な色の花を涼しげに咲かせる。
霧島温泉駅近くに生息する1000匹のホタルはノカイドウの開花にあわせるように舞う。
足元に咲く蒼いハルリンドウは小さな息をしている。
ノカイドウはルビーからパールピンクにきらめき、小鹿(コジカ)は霧の中へ。
無への誘い
ホーキングという科学者は、意味は分からないが虚数時間の発想から、ビレンケンという博士も、宇宙は時間も空間も物質も何も無い所より生まれたと言っている。
無からすべてが生まれるのは夢があり、私の中での疑問が消える。
すべては無から生まれ、ひとつから生じた。
すべての物・生物・星など、はじめは一つであり、宇宙は一つである。
始まりは一つから生まれ、今の美しい世界があらわれた。
我々は宇宙が生まれ137億年の、時の瞬間を生きている。
この瞬間の時間を、どのように感じ生きるかは違うのであろう。
宇宙は無から生じ、一つから始まり大きく変化、膨張し、この世界があらわれた。数百億年後、収縮し再び元の一つとなり最後に無に返るのも自然な感じがする。
文学日記
有るものは有り、『無』と言う言葉は有る。
考えることも楽しみの一つである。
その意味で『文学日記』というブログは興味深い。
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