白鳥座 -2ページ目

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知り合いの絵描きさんから数年ぶりに電話が来た。


友人から頼まれ、以前この絵描きさんを絵になりそうな土地へ案内したことがあった。

電話を切った後、懐かしく想い、数時間かけ九州最南端の景色を見に行った。


ゆびやどと書いていぶすきと読む指宿スカイラインに乗り込んだときは暗雲たちこめ、雲は手のとどきそうな位置を足早に周りの景色と共に走り去って行った。


途中、東京ディズニーランドの4倍の広さ、東京ドーム6杯分が石油タンクに貯えられている喜入石油基地が青い海に突き出ているのが小さく遠くに見え、雲の色は黒から白に変わり始めた。

スカイラインを舞い降りると、2mの大きなうなぎとスコットランドのネス湖に棲むという首の長い謎の恐竜ネッシーを真似て?、未確認の巨大生物イッシーで知られる池田湖だった。

日本には他にも女性の足がわりに使われるアッシーや、北海道・屈斜路湖にクッシーが棲息しているらしい。


しかし、見てしまった。それは、突然だった。

事実は隠そうと思っても隠せるものではない。

屈斜路湖に行ったときも池田湖でも見た。

それは観光のため作られたクッシー、イッシーの像だった。


冗談はさておき、屈斜路湖のお土産屋さんではキイホルダー、クッキー、木彫りのクッシーが、池田湖でもぬいぐるみやホルダーが売られているらしい。

お土産屋さんには寄らなかったので確認はしていない。


池田湖を後にすると、空はすっきりと夏に模様替えしていた。

暗く重い風は軽やかで暖かな南国の薫る風となり、海青く、遠くに見える入道雲は眼に優しい。

富士山に似た開聞岳は山頂に真白い雲をともない緑深く神秘的にそびえていた。

山を見守る蒼い空はどこまでもさわやかだった。


花を撮るためフラワーパークに寄った。

入園したのは4時で閉園は5時だった。6時までだと思っていたのでかなり急いで撮った。

撮った枚数は1時間で120枚、1分間に2枚のペースだが移動しながら撮るので実際は1枚撮るのに10秒足らずであわてて撮った。

そのときの写真は7月12日の『フォトアルバム』に50枚載せた。


印象に残ったのはアコウの木と噴水にできた虹だった。


ほとんど焦点が合っていないピンボケだが、日記に貼り付ける適当な写真のない人に使っていただければ嬉しい。

mixiを始めたころ、日記の内容に関係ない写真でもいいので、あればいいなと思っていた。



噴水に出来た虹を見られたのがとても嬉しい。

その時の実際の虹の雰囲気は伝えられないであろうが7月12日の『フォトアルバム50枚』に写真を追加使用と思う。

噴水に出来た虹で二重虹が取れたことも嬉しい。


噴水に現れた虹を見て、文にするとバラバラだが思ったこと感じたことを手短に、


虹をつかもうとした。

虹は眼の前にあった。


子供のころ、虹はたくさんの色を持った空のかけ橋であった。

中学のころ、知識で虹は7色になった。

社会に出始めると、虹の色は5色から3色になり、少しずつ眼には映っても見えなくなった。


絵描きさんの影響か、心境の変化なのか自然を観る事が多くなった。


経験や知識を離れた所で、自然を自然に自然と感じたい。


良い色も悪い色も溶け合い善き色を醸し出す。


夏祭り当日の華やかさと、祭りあとの翌朝のわびしくさびしいひんやりと清涼な風は豊かで忘れがたい。


涼しげでふわふわと愛らしくみずみずしい小さき水の粒たちは、黄昏どきのやわらかな夕日と戯れながら輝いていた。


眼に映っても見えなかった虹の色は、7色よりたくさんの色を内に秘めていた。



九重夢大吊橋

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 旅に出た。 二日目の朝、熊本のホテル404号室で目覚めた。

 

 昨夜は窓ガラスに映し出された外を流れるテールランプのあかりと部屋のスタンドランプのコラボレーションに酔った。

 夜の窓は外の景色と部屋の景色がとけ合い、幻想的空間がもの想いに誘って行った。

 夜明け前、目覚めた時、その西側の窓には現実だが現実ではないような真ん丸な大きな月が朝の挨拶のために現れたときは驚いた。

 一眠りし、すでに西空の下、眠りについた丸い月に簡単な挨拶を済ませ、部屋を出た。


 外は快晴だった。
 ホテルの前は熊本城。

 7年の歳月をかけ、400年の時を超え、緑の要塞に守られた三層六階の天守閣が青空にそびえていた。


 熊本空港が見えてきた。

 道を間違えたことに気づき、Uターンして57号線を上り、宮地駅から左折し阿蘇神社を過ぎ、やまなみハイウェイに入り、少しずつ不思議な空間に誘い込まれ包まれた。

 うららかな春の光に蝶は舞う。

 見上げればどこまでも続く蒼い空。

 可憐な花は風の息吹を誘い、そよ吹く風は花とたわむれ、ゆらし去る。

 さえぎるものない阿蘇の大地で、遠くある大空は身近にせまる。

 前方には、絵に描いたような九重連山が映し出され、春の爽やかな風が吹いていた。

 車のスピードは速いのか遅いのかさえ分からない。

 天空ハイウェイのような視界広がる草原は新緑に覆われ眩しく、車の窓を開け、春風を道連れにした。

 

 春が来て、春は来た。

 そう思ったのも瞬間であった。
 長者原温泉という所の近くだが、道路わきに白いものが見える。

 雪であった。

 南九州で4月に雪が見られるのは、フィギアスケートのリンクで華麗に舞う浅田真央が相撲取りになるぐらいありえない。

 後で旅館の女将さんに聞くと、あっさりと昨夜雪が降ったと言われた。
 想像していないものを突然見せられると、驚かされるが嬉しい。


 長者原レストハウスを左折し、大分県の「九重“夢”吊り大橋」に行った。
 札幌のJRタワービルや東京汐留ビル、梅田スカイビルと高さと言ってもピンとこないのだが、とにかく長さ390m、高さ173mで名実ともに昨年秋、日本一の歩いて渡る人専用の大吊り橋ができた。

 ここのえ町のこの大吊橋からの景色は、たくさんの人が書いているので省くが絶景の場所に威風堂々、架かっていた。

 平日だが人出は多かった。

 山奥に入場料500円、年間入場者30万人を九重町は予想し総工費20億円、税金のムダづかい、町の財政難を招くと批判されていた。

 見学した4月5日に入場者96万人、5日後、橋が完成してわずか五ヶ月で入場者100万人はついに達成された。

 詳しく書くとNHKの昔の番組「プロジェクトX」のようになるので省き、旅を急ぐ。


 九重大吊り橋から1時間、竹田市を過ぎ、緒方町のチューリップフフェスタ2007を見た。

 80種、50万本のチューリップ、すぐ横には、日本のナイヤガラと呼ばれる原尻の滝と、その川にかかる可愛らしい吊り橋。

 チューリップ畑を取り囲むように、見守るように咲く桜と、その真ん中を横切る水路にながれる清らかな水は小さき水車をまわす。

 葉は緑、滝はミッドナイトブルー、水車はアイボリーブラック、桜はピンク、太陽の赤、空は茜色の配置。

 

 春の風物詩チューリップは色めき、鮮明な花を彩り、大空高く、春の香りが広がりゆくのを見ていた。

 


Moonshine


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月明かり


 霧島国立公園、目的も用も無く月2回ふらりと出かける。

 

 今回は公園の麓で、幻想的に舞うホタルを見てみたい。


 今はまだ、澄みきった青空のもと、1200mの「えびの高原」に霧島連山より清涼、爽やかなそよ吹く風がさらさら流れくる時間。

 近くの「不動池」は摩周湖のようなエメラルドグリーン色に陽のまなざしで染められ、かすかにさざなみ揺られていた。

 ミヤマキリシマは可憐に咲き、野生のシカに食べられないように直径1mのフェンスにかこまれた真っ白な「カゲツツジ」はひっそり身を寄せ合い咲いていた。

 

 カゲツツジ咲く近くの小川では5cmほどの小さき魚が清流に身をまかせ泳ぎ、その川沿いを親子のシカが柔らかな陽射しのなか仲良く寄り添い歩いていた。


 高原を渡り来る風はこころよい肌ざわりと、すがすがしい初夏の香りを運んで来た。

 時は静かに高原を流れ行く。


 カエデの若葉からの木漏れ日の影が長く伸びる夕暮れ時、高原を後にした。

 途中、新川渓谷沿いのソバ屋さん経営の200円で入れる温泉に立ち寄った。

 突然、バイクの爆音が数10秒鳴り響き通り過ぎた後、澄んだ美しきホトトギスの鳴き声と小鳥たちのさえずりが渓谷に響き渡り、即座に奥深くみずみずしく心地好い空間に引き込みおおいつくしていった。
5人も入ればいっぱいとなる小さき温泉場からは、清き渓流に尾びれをゆったりと動かし川の流れに身をゆだねながらコイは泳いでいた。

 あと半時間もすれば幻想的に舞踊るホタルを見て楽しむ理想的な月夜となるであろう雰囲気を漂わせている。


 温泉を出たあと近くの竹林を月は照らし、ささの葉から、こもれ落ちる明かりで落ち葉を輝かせ、吹きぬける風は笹の葉をゆらゆらとざわめかせ、下草と落ち葉をかすかにゆらしさる。


 湾岸道路沿いの帰り道、海の波は月の明かりを映し出していた。


 外灯とぎれる、ゆるやかなカーブの上り坂でアクセル踏み込めば、月にまねかれ月夜に舞い上がって行きそうだ。


疑いの闇の中で もがき続け 欲に執着し 恐怖にとらわれ、不平不満の嵐の中で過ごし続けるのは奴隷として生きるほどの苦しみだと想像する時もある。


 
 自然は光の動きによってさまざまな輝きを見せる。
 小さきあかりを集めて楽しみつつ自然に生きたい。

海の波を月のあかりは美しい銀色の波に変え、波は月の光を拾い集め、また光をまわりに振りまいた。


 見上げれば、満天の澄みわたる夜空をきらめく星たちが降りそそぐほどに無心に輝いていた。




世界にひとつだけの花

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 車に飛び乗った。

 

この日、この時を一年待っていた。

 うっかりしていた。

時期はゴールデン・ウィーク1週間前後。

 

 今日、すでにGWから1週間は過ぎている。

 見たいと思ってから3年、昨年はGWより1週間過ぎに出かけ見逃した。


 磯街道の暗いトンネルをぬけると、透き通る蒼い空に、奥深い森の色、ディープフォレスト色の海が広がりせまり来た。


 湾岸道路を北へ。

 道端の草花は、かなり忙しげに通り過ぎていった。


 霧島への上り口にある坂本竜馬とおりょうさんが新婚旅行の時の記念碑の銅像は見過ごし通り過ぎて行った。


 

世界にひとつだけの花を見るため、車を乗り捨てカメラ片手に急いだ。

 開花時期は過ぎていた。

 一枚のの花びらでいい、咲いて、しがみ付いていてほしい。

 野生のシカに食べられるために、2mほどのフェンスに囲まれている。

 とびらを開け中に入った。


 

 咲いていた。

 

 そして咲いていた。それでも咲いていた。

 

 満開だった。


 日本で最初に指定された国立公園である霧島国立公園、霧島連山に見守られ標高1200mのえびの高原にサクラの花を小さく可愛らしくしたようなノカイドウの花は咲いていた。


 宮崎・鹿児島の県境にある渓流に沿って、霧につつまれ降水量の多い冷涼な気候のもと、ひっそり華麗に高原の春風をさそいさらさら、そよそよゆられうるわしく咲いていた。


 世界中でここでしか咲かない国の天然記念物ノカイドウは、光や風、時間で微妙な違いがあるのだろうが、つぼみの時、深紅、クリスタル・ルビー色、つぼみふくらむとローズ・ピンク、2分咲き、5分咲きでミルキー・ピンク、シェル・ピンクとなり、満開で真っ白い花を可憐に咲かせ、頬を優しくなでるそよ吹く風にほのかな香りを漂わせる。


 『今年は裏年で、300株あるノカイドウの中で花の咲いているのは2~3本です』

 通りかかった国立公園の管理事務所のスタッフは教えてくれた。

 

 バラ科リンゴ属の低木のノカイドウの花が、木いちめんに咲いていたのは1本だけだった。

 その1本のノカイドウでほころび始めるころが美しいといわれるつぼみを探した。


 つぼみはひとつだけ、リンとしてそこにあった。

 世界でここにしかないノカイドウのつぼみは、まさに現時点で世界にひとつしかないつぼみとなった。

 つぼみは真珠のようにきらめき、パールピンクの色を澄みきった蒼い空に放ち光輝いていた。


 ノカイドウの花に癒され、心穏やかだった。


 それは突然だった。

 予期していなかった。

 花を見て外に出ると驚かされた。

 

 癒され、出口を通り、7~8歩の所に2cmほどの小さき花、ハルリンドウが咲いていた。

 出かける時、ノカイドウとともに運が良ければハルリンドウも見たいと思っていた。

 ノカイドウとハルリンドウはそれぞれ少し離れた所に咲いていると思っていた。


 さわやかな春の陽射しに敏感なハルリンドウは、みずみずしく吸い込まれそうな清らかな淡いブルーサファイア色が暖かく穏やかな陽光に映え華やかに、そして潔さをたたえ咲いていた。

 

 春リンドウは澄みきった空の色を想い、空の色は透きとおった春リンドウの色を想い、ブルーサファイアの色にかさなり一つに解け合った。

 帰り道、坂本竜馬におりょうさんは寄り添っていた。


 遠くに見える海の色は空の色と優しくとけあい、その色は春リンドウに、巡り逢い寄り添っていた。



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春のささやき


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 あまりにも美しい鳴き声だった。


 夢うつつで聞いた。

夢まぼろしで聞くような、澄みきった癒しの音色だった。

 昨年、確かに朝露がきらめくころ、自分の部屋で裏山からのささやきを聞いた。

 今年、その小鳥のさえずりは届けられてはいなかった。

 すぐ近くの家でジェイソンは殺戮を繰り返している。

 どうやら、近くで一軒家を新築中らしく映画『13日の金曜日』のジェイソンのチェーンソーに似た電動ノコギリの音が小鳥のさえずりにかわり響き渡っていた。


 風薫る春、旅に出た。

 熊本城近くのホテルに一泊し阿蘇に向かった。

 阿蘇くじゅう高原は野焼きも終わり、眼に優しく敷き詰められた若草の草原を、すべるように疾走すると気分は爽快だ。

 遠く九重連山の奥より広がるくる蒼い空から降り注ぐ陽光は、高原の花、木々をふわりふわりと照らす。
 久住高原から吹き降りてくるそよ風に、そよそよゆれるチューリップ畑を見て、日の暮れるころ旅館にたどり着いた。

 玄関の格子戸を開けると、自然と調和させた室内は柔らかな光と風を採り入れ、こじんまりとした空間を開放していた。

 玄関横の棚にクリとドングリが小さき青いクロスに置いてあり、その横に部屋の名前の花の写真が飾られていた。

 部屋奥のテーブルには小さな花びんに馬酔木(あしび・あせび)の花がさしてあった。

 

 山深く静かなる小さき宿での時はゆらりと流れ、あたりはもの音ひとつしない音、『静寂の音』につつまれた。

 万葉集にも詠われた、すずらんの花に似た馬酔木の花は光を取り入れると可憐に輝いた。
 音のない音を拾い集めて『静寂の音』は鳴り響く、無音の世界。

すずらんに似て恥ずかしげにうつむいた筒状の花に音のない音、『静寂の音』は光り輝くように筒の中で鳴り響いた。

 シンシンとする静けさの中、珍しく早めに寝入ったので、早朝には眼が覚めた。

 

 旅館の近くを散策した。

 高原なのか。少し肌寒い。

 宿泊した長屋風離れ宿の横の小道をおりていった。

 

 さらさら流れる小川のせせらぎはすがすがしい。

 小川のほとりには、もくれんの花に似た純白のこぶしの花が微風にゆらりゆらりと揺れていた。

 川面はその真白な清楚なる花を、ゆらゆら幻想的な色彩に映し出していた。

 再び、草木伸びた道を上ると、朝露の真珠の玉のように輝く雫は浴衣を濡らし移り住んだ。


 5部屋しかない旅館のちいさな入り口付近には、部屋の花びんに挿してあった馬酔木の花がリンと咲匂っていた。


 それは突然だった。

 足は止めさせられた。

 この世のものではないと思った。


 『ルールリルリ、ホーホケキョ』 

 そのときは、そう聞こえた。

 『うぐいす』であった。

 動くことも考えることも出来ないほどの、あまりにも美しい音色だった。

 

 『死、死んでもいい』

 と、後で考えたことだが、そう思うほどのあまりにも美しい小鳥のさえずりで、あまりにも美しいウグイスの鳴き声だった。

 

 緑深き山々に「うぐいす」の澄みきったさえずりは鳴り響き、心深くしみとおって入った。

 鳴き声なきあと、深山の静かさがきわだった。

 深山の静けさ、『静寂の力』が鶯の美しいさえずりを引き立たせた。

 小鳥の「鳴き声」と「静寂の音」静けさはひとつになり、「自然」と「心」はひとつになり解け合った。


 旅に出たのは、この透き通っていく美しい「鳴き声」と、音のしない音「静寂の音」を聞くために来たのではないかと感じた瞬間であった。


 深く穏やかな静けさはただよい、さらさらそよぐ風の中。

 家に帰らなければならない重大な出来事がおきた。


 それは、財布を取り出し中を見たあと、サイフを逆さにして振ったときだった。


 財布のなかでは、『静寂の音が鳴り響いていた』




春の香り


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 旅に出た。 二日目の朝、熊本のホテル404号室で目覚めた。

 

 昨夜は窓ガラスに映し出された外を流れるテールランプのあかりと部屋のスタンドランプのコラボレーションに酔った。

 夜の窓は外の景色と部屋の景色がとけ合い、幻想的空間がもの想いに誘って行った。

 夜明け前、目覚めた時、その西側の窓には現実だが現実ではないような真ん丸な大きな月が朝の挨拶のために現れたときは驚いた。

 一眠りし、すでに西空の下、眠りについた丸い月に簡単な挨拶を済ませ、部屋を出た。


 外は快晴だった。
 ホテルの前は熊本城。

 7年の歳月をかけ、400年の時を超え、緑の要塞に守られた三層六階の天守閣が青空にそびえていた。


 熊本空港が見えてきた。

 道を間違えたことに気づき、Uターンして57号線を上り、宮地駅から左折し阿蘇神社を過ぎ、やまなみハイウェイに入り、少しずつ不思議な空間に誘い込まれ包まれた。

 うららかな春の光に蝶は舞う。

 見上げればどこまでも続く蒼い空。

 可憐な花は風の息吹を誘い、そよ吹く風は花とたわむれ、ゆらし去る。

 さえぎるものない阿蘇の大地で、遠くある大空は身近にせまる。

 前方には、絵に描いたような九重連山が映し出され、春の爽やかな風が吹いていた。

 車のスピードは速いのか遅いのかさえ分からない。

 天空ハイウェイのような視界広がる草原は新緑に覆われ眩しく、車の窓を開け、春風を道連れにした。

 

 春が来て、春は来た。

 そう思ったのも瞬間であった。
 長者原温泉という所の近くだが、道路わきに白いものが見える。

 雪であった。

 南九州で4月に雪が見られるのは、フィギアスケートのリンクで華麗に舞う浅田真央が相撲取りになるぐらいありえない。

 後で旅館の女将さんに聞くと、あっさりと昨夜雪が降ったと言われた。
 想像していないものを突然見せられると、驚かされるが嬉しい。


 長者原レストハウスを左折し、大分県の「九重“夢”吊り大橋」に行った。
 札幌のJRタワービルや東京汐留ビル、梅田スカイビルと高さと言ってもピンとこないのだが、とにかく長さ390m、高さ173mで名実ともに昨年秋、日本一の歩いて渡る人専用の大吊り橋ができた。

 ここのえ町のこの大吊橋からの景色は、たくさんの人が書いているので省くが絶景の場所に威風堂々、架かっていた。

 平日だが人出は多かった。

 山奥に入場料500円、年間入場者30万人を九重町は予想し総工費20億円、税金のムダづかい、町の財政難を招くと批判されていた。

 見学した4月5日に入場者96万人、5日後、橋が完成してわずか五ヶ月で入場者100万人はついに達成された。

 詳しく書くとNHKの昔の番組「プロジェクトX」のようになるので省き、旅を急ぐ。


 九重大吊り橋から1時間、竹田市を過ぎ、緒方町のチューリップフフェスタ2007を見た。

 80種、50万本のチューリップ、すぐ横には、日本のナイヤガラと呼ばれる原尻の滝と、その川にかかる可愛らしい吊り橋。

 チューリップ畑を取り囲むように、見守るように咲く桜と、その真ん中を横切る水路にながれる清らかな水は小さき水車をまわす。

 葉は緑、滝はミッドナイトブルー、水車はアイボリーブラック、桜はピンク、太陽の赤、空は茜色の配置。

 

 春の風物詩チューリップは色めき、鮮明な花を彩り、大空高く、春の香りが広がりゆくのを見ていた。

 


『光の河の桜』


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ゆらりと旅に出た。

 

新緑そよぎ、春風さらさら吹いていた。


 国道沿いで眼にする桜吹雪は、涼しげなそよ風を誘いふわりふわりと舞っていた。


県境近い峠の長いトンネルをぬけると、空と風の色彩は変わり、薄き雲おおい風は急いでいた。


 それでも道沿いの黄色き菜の花は手を振り、桃の花は薄暮のような景色にもくっきりと咲いていた。

 雲の隙間から漏れくる陽の光「天使のはしご」に、舞い散る桜の花びらの影さえ飛んでいった。

 

 海の見える下り坂で、風切る車のフロントガラスに桜の花が咲いては去って行った。

 

 『4時間』で、熊本のホテルに着いた。
 「じゃらん」という旅行雑誌で宿泊代『4000円』にひかれて予約した。

 『4階』です。

 フロントで渡されたルームキーを持ち、エレベーターの『4』を押した。

 部屋のドアの前で立ち止まった。


 『404』号室。

 ルームキーに書かれた小さな「404」は意識しなかった。

 それより大きく書かれたルームナンバー『404』を見た時は少し気になった。

  

  『4』は「シ」、『死』をイメージするので、ホテルなどでは最後の「4」の数字を書かないと思っていた。
  少し気になっただけで無視してよいほどで、ほんの少し、ちょっぴり気になっただけで無視した。


  部屋に入り、「いま何時か」と思い携帯電話の時刻を見た。


  『4月4日』


  そうか、そう言う事か。 

  何がそう言う事なのかわからないが、ホテルから出なければ問題ない。

  『4時』過ぎなのは間違いない。

  その時の正確な時刻の記憶はないが、ここでは、ついでなので『午後4時44分44秒』ということにした。


  ホテルの案内書を見て、めまいする大問題がおきた。

  このホテルの最上階に、その高さとともに値段の高い居酒屋しかないことがわかった。

  『4月4日』『404号室』でホテルを出て食べに行くには危険すぎた。

  To be, or not to be. 「生きるべきか、死ぬべきか」それが問題だ。ハムレットの言葉がよぎる。


  背に腹はかえられない。清水の舞台から飛び降りる覚悟で、ついに決断した。

  「外で食べる」 以前は厚生年金会館と呼ばれ、今では洒落た名前のホテルのレストランに向かった。


  『4分』で着いた。 『よっ、4分』、帰りは特に気をつけようと決心した。


  この勢いでいけば、たぶん『40人目』の客として『4人掛け』の『4番』テーブルに案内されるであろう。


『4人掛け』で紫色のテーブルクロスに赤みがかったグラスの中で、怪しくろうそくがゆらめいていた。

 運ばれてきた料理を見て驚いた。
 その漆塗りの食膳には、シャルトルーズ・グリーン色の若葉と爽やかな透明感あふれる淡いコーラルピンクの満開のさくらの花が添えられキャンドルライトに輝き咲いていた。

 若葉とサクラの花びらから舞い昇る妖精たちが、まわりの空気と情景の色彩を水彩画の色調にふわふわと染め、あたたかさを優しげにふりまいた。

 テーブルクロスは落ち着いたラピスラズリ色、チェリーレッドグラスの中でゆらめくろうそくは癒しの灯りによそおい、ゆらぎ、こちらの心の中にやすらぎのフォゲット・ミィ・ノット・ブルーの風となり吹き『4』の数字をラッキーナンバーへと変え通り過ぎていった。

 部屋に帰り、ブルーべりージュースをいっきに飲み干し、その小瓶に水を入れ、持ち帰った桜の小枝をさし、窓際のテーブルに置いた。

 一息つき、窓のカーテンを開けた。

 その窓に、車のヘッドライトとテールランプで『光の河』が映し出され幻想的な空間が生まれた。

 その遠く遥かなる『光の銀河』の川岸には、桜の花が咲いていた。
 

静寂の音が鳴り響く


ヌテイヌ

 オオカミに育てられた少女は吠えた。

 深夜、澄んだ蒼い月に悲しげに 長く尾を引く哀愁を帯びた狼に似た遠吠えは、深く静かな森に 鳴り響いた。

 眼はギラギラし、生肉を好み、四足で歩き、深夜吠えた。

 真偽はともかく、キリスト教のシング牧師に、狼に育てられた推定7歳の少女カマラは発見された。

 保護され、牧師の孤児院で、その後、育てられたが人間の生活に慣れることはなかった。

 昨夜、寝る前、うつらうつらと考えていたのは、少女カマラの話とはあまり関係はないのだが。

 

 

狼と暮らすと遠吠えが上手くなる。


何事にもとらわれず、ゆらりふわりとすごしたいものだ。


 音のない世界、静けさにひたると穏やかに優しく「音のない音の鳴り響き」が聞こえてきそうだ。


 すべてがいとおしく、すべてがひとつのようだ。


 そろそろと夢見る時間が、静かに大きくよりそってくる。

  

白雪姫は死なない




 


赤ちゃんは草むらに捨てられていた。


 

過酷な農作業の帰り道、若く独身の貧しい農夫は、その小さき「命」に気づいた。

 彼の住む四川省の農村の年収は1000元、1日50円足らずで、おかゆをすすり生きていた。

 読み書きもできず、自分一人生きていくのも精一杯だ。 何度も行ったり戻ったりした。

 おさなき、いまにも消え入りそうな「命」を包むように抱き上げ、彼はつぶやくように言った。


 『私と同じ、食事でいいのかい』


 拾われた女の子は、ミルクも買えない環境で、つつましく生きる青年であり父親の元で、一緒におかゆを食べ育っていった。

 少し病弱ではあったが、5歳のころから炊事・洗濯・草刈りを手伝い、父親を助け、近所の人たちにも聡明で優しい子として可愛がられた。

 小学校へ入り、学校での楽しい出来事、「マッチ売りの少女」や「白雪姫の物語」と白雪姫のはく白い靴下と赤い靴が印象深かった事などを楽しそうにおしゃべりし、また、習った歌を父親に披露し、ささやかな幸せとともに親子のきずなは自然に深まっていった。


 女の子が小学校2年の春、前触れのない突風で桜の花は散り急いだ。


 8歳になった女の子は、突然、鼻血を出し、足に赤い斑点、医者に「急性白血病」と診断された。


治療費30万元、およそ400万円、父親の年収では300年かかる金額だ。


 治療費を借りるため親戚、友人を駆けずり回ったが、その金額は微々たるもので、その心労から、やせほそる父親を見て娘は言った。


 『私は死にたい。 すでに捨て子のとき死んでいたかもしれない。 退院させてください』


 父親は言った。 『家を売るから大丈夫だよ』

『知ってるの。 家を売ったら1万元ね』 娘は言った。


 父親を説得し、読み書きできない父親に代わり8歳の少女は、病院に書類を提出した。


 「私は娘への治療を放棄します」


 父は慟哭した。


 実母に捨てられ、生まれて一度も靴下さえはいたこともなく、かゆをすすり満足な食事もなく、さらに忍びよる大きな影のような病魔が襲いかかり、むしばみ、喰いちぎろうと猛烈な勢いで、か弱き小さな身体に、鋭い牙を、たて始めた。


 どうしようもない運命と不条理さに、父親の、獣のような声ともならない深く悲しい泣き声は、天を突き刺した。

 

 退院後も、せまりくる病魔と闘いつつ、身体を拭く事など身の回りのことは、すべて自分でやり、さらに炊事など家事も入院前と変わらず父親を手助けした。


 少女は父親に、新しい服を買ってくれるようにと、お願いした。


 それは、「私が死んだ後、お父さんが悲しまないように、二人一緒の綺麗な写真を撮り、残しておくために。 私はお父さんのいい子であったこと」が理由であった。


 少女は、もう生からも死からも自由であるかのように見えた。

 生が善で、死は悪なのだろうか。

 生まれることが喜びならば、寿命で死んでゆくのも喜びと考えられないこともない。


 小学校へ行く途中、少女は倒れ、通学することもなくなり、死の影が寄り添うようになった。

 
 そのころ、新聞記者が、この親子の事を病院から聞き、記事として書いた。


 報道され、治療費の2倍以上の金額が、わずか10日間で親子の元に集まった。


 別の優秀な中国の医師団のいる病院に再入院し、治療は始まった。


 脊髄に針をさされ激痛に襲われても身体ひとつも動かさず、度重なる化学療法にも耐え、完璧な回復が見込めると医師団も思った。


 しかし、2ヶ月にわたる化学療法は衰弱していた小さな身体には負担が大きく、合併症も起き、2005年8月22日、少女は天国へ旅たった。


 父親は大声で嘆き悲しみ泣き叫んだ。 まさに慟哭であった。


 その慟哭は病院中に鳴り響き、いつまでも続き、事情を知らないものまで切り裂かれるような悲しみが襲った。


 8歳の少女の小さく細い足には生まれて初めてはく、


 『白い靴下と赤い革靴が履かされていた』 




 
  


  

  この少女の実話、また下のサイトを総合すると8歳にして「悟り」を開いたのではないかと感じさせるほどである。


  少女の話から『死ぬ前に死ぬ人は、死ぬときに死なない』という言葉を思い出した。

  


  ブログやgooニュースなどを参考にしました。 下記のサイトで詳しくかかれています。

  特に少女の書いた詩、遺書には感動します。



http://bsou.seesaa.net/article/31943569.html   宋 文洲さんのブログ


http://news.goo.ne.jp/article/nbonline/business/nbonline-117394-01.html



モーターで動いている人間

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人の身体が、モーターで動いているのを知ったときは、ほんとうに驚いた。


この事は10年以上も前に、カリフォルニア大学のボイヤー教授が研究し、ノベール化学賞を受賞していた。


人の細胞は60兆個で、その一つ一つの細胞は核(遺伝子)やミトコンドリアなどでできている。


私達が知っているプラモデルなどの機械のモーターと構造は似ており、人の細胞内で回転しているモーターとの違いは、数万個の原子が集まった分子で、電子顕微鏡でしか見えない10万分の1ミリの大きさのたんぱく質からできているらしい。


1個の細胞内にあるミトコンドリアの数は、場所にもよるが約2000個(数個~20万個)あり、そのミトコンドリアの細胞膜の内と外をつなぐように、このたんぱく質回転分子モーターがついている。


この細胞内にあるたんぱく質分子モーターは、細胞膜の内側と外側の水素イオン(プラスの電気をもっている)の濃度の差があり、このイオンが外から内へ流れ込みモーターが回転する。(このモーターはATPというエネルギーのもとを作っている)


私達が見ている機械のモーターと同じく、人の細胞内にあるたんぱく質分子モーターも電流で回転し、また、1つのミトコンドリアに分子モーターが数千個ついており、その速さは1分間に1万回転以上の超スピードで回転し、人はこのモーターのエネルギーで動き、活動し生きている。

少し興味があり書いたので、数字や文に間違いがあるときはごめんなさい。


我々の銀河系には2000億個の輝く星があり、2~3億年かけて1回転し、宇宙には、我々の銀河系のような星が、また数千億個あるらしい。


この世界は面白く、宇宙や人体を思うとき、驚きとともに畏怖と畏敬の念を感じざるをえない。