ニューヨークは今12月31日の朝11時半。今年は、振り返りたくもないような年になってしまいました。
日本には、8月以来、延べ1ヶ月弱滞在しました。1998年にニューヨークに渡って以来、これほど長く日本にいたことはありません。
8月は毎年恒例の娘との夏休み中の帰省でしたが、その後、我が父の健康状態が急激に悪化し、もはや母と二人ではとても暮らせないところに到達してしまい、10月には緊急で帰国となりました。
ことの発端は認知症の発症でした。せん妄と呼ばれる錯覚を見るような厄介な症状がでて、入院した病院で窓ガラスを割る、と普段の父なら思いもよらないような行動を取ったのです。後で聞くと、刑務所に入れられて、出なければならない、との説明でした。
父は、外に買い物に行ったり、食事の支度をしたり、掃除をしたり、と中心的な役割をはたしていたのですが、これをもって、もう父に頼ることができないのが明らかになり、二人とも早急に施設に引っ越しさせねば、という事態に。二人ともかなり高齢なので、もうすでに1、2箇所、施設の目星だけはつけてはありました。でも、こんな急にことが進むとは!
10月13日に、施設の見学に両親を連れて行き、渋々ながらもしばらくはそこに住んでみる、ということで合意をもらったのですが、ここで問題が。せん妄のために暴力を振るってしまった父は、そのままでは施設に引っ越させてもらえず、認知症のクリニックで治療を受けねばならないというのです。東京医科大学の認知症病棟で一旦は入院の手続きを取ったものの、いきなり電話がきて、病棟は満員で11月末まで空かない、と。往診訪問をしてくれていたクリニックに手伝ってもらい、すぐにも入院できるクリニックがみつかり、10月18日には父が入院し、10月20日には母の荷物をまとめて施設に引っ越し。そして、10月21日の晩、私は羽田空港で一息ついてソフトクリームなど食べてニューヨークに戻ったのでした。一仕事済んで、やっと安堵していたのでした。
ところが、それだけでは終わりませんでした。
6週間もに及ぶ認知症クリニックでの治療を終え、薬漬けになって一日の大半は眠っているような状態になり、父はやっと施設への引っ越しが認められました。それが12月4日。
「薬が強すぎますから、今後は減らして行く方向で検討しています。」
と施設から説明を受けた矢先、今度は肺炎と心不全で救急搬送されてしまい、1週間で退院といわれていたのが、あっという間に12月13日に逝ってしまいました。
従弟から危ない、と電話がきたのは12月11日のニューヨーク深夜。翌12月12日の午後1時の飛行機で日本に向かいましたが、間に合いませんでした。
お葬式は12月20日。母を施設に連れて行き、2晩一緒に過ごし、ニューヨークに戻ったのは、12月24日クリスマスイブの朝1時。
いまだに、朝起きると母はどこにいるのだろうか、自分はどこにいるのだろう?と奇妙な目覚めで一日が始まります。そして、もう2025年も終わり。何も考える余裕のないままに2026年がやってきます。
さてさて、2026年はゆったりできる年となりますように。