マンハッタン88丁目の窓から、ニューヨークの日々の生活をお伝えします。

マンハッタン88丁目の窓から、ニューヨークの日々の生活をお伝えします。

ニューヨーク在住20年を超えた自称ニューヨーカーの筆者が、ニューヨークの生な様子をニューヨークの風にのせてお届けします。

明日9月11日はあのテロ攻撃から25周年だそうです。そんなに前だったかしらと今更ながら驚いてしまいました。

 

あの朝、私はいつものごとく家からミッドタウンにあるオフィスに歩いて出勤しました。綺麗な秋晴れの朝のことです。道の途中にある電気屋さんのショーウィンドーにテレビがつけっぱなしになっていて、何か爆発している映像が流れているのをちらっと横目でみたのですが、きっと映画でも流しているのだろうくらいに思ってそのまま通り過ぎました。

 

オフィスに行くや、入り口のレセプションデスクの壁の上につるしてあるテレビのモニターの周りに人だかりがしていて、知っているドイツ人のエンジニアの男の子が「ツインタワーに飛行機が突っ込んだらしい。」と興奮した口調で教えてくれました。

 

今ほど瞬時に情報が入らない時代だったからでしょうか、何が起こったのかも何もわかりませんでした。その頃私が働いていた会社のオフィスは、グランドセントラル駅のすぐそばでした。外から攻撃される可能性もあるから、窓際の席の人は席を離れて空いているデスクで仕事をするように、とマネージメントからお達しが出ました。

 

同僚と一緒に窓の下をそっと覗いてみると、家に帰ろうとタクシーを巡って喧嘩まで起こっていて、あちこちで多くの人が怒鳴りあっています。そのグランドセントラル駅の中では、針金が突き出ているバックパックを背負った人が爆弾所持の疑いで警察に連れて行かれた、というニュースも流れてきました。

 

色々なことがわかり始めたのはその日の午後過ぎだったと思います。と同時に、テレビでは亡くなった人々の名前が次々に流れ、当時私が担当していたみずほ銀行の前身であるDKBの総務の人の名前もその中に上がっていました。彼とは9月9日にツインタワーで会っています。銀行の統合に向けて新しいディーリングルームを構築しているところで、彼は週末も返上して働いていました。

「もうすぐ終わるんですよ。」そう言っていました。

 

私の家は88丁目で、現場からはずいぶん離れていますが、あの煙と臭いはうちの近所にも蔓延していました。確か59丁目あたりに警察がロープを張ってそれ以上ダウンタウンに行かれないように閉鎖されていました。そして、そのロープの遥か先には煙がもうもうと立ち上っているのが見えました。その煙はかなり長いこと静まることはありませんでした。

 

そして、9月11日の晩、まだ暑くて網戸を取り付けたままでいる窓から、キラキラと金色に光る玉が家の中に飛び込んでくるのがみえました。窓のすぐそばに置いてあった背の高い観葉植物の植木の後ろにその玉は消えたのですが、それきり家の中のどこを探しても見当たりませんでした。あの9月11日の晩には、何が起こってもおかしくなかっただろうなと今でも思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

昨日読み終えたばかりの本ですが、正直なところ勧めてよいものかちょっと考えています。何故なら、万人受けする本ではなく、

かなり好き嫌いが分かれると思うからです。Ian McEwan というイギリスの作家の作品です。

 

実は、彼の本はこれで2冊目なのですが、一冊目に読んだ"Atonment" (邦題:贖罪)は途中で諦めました。BBCが何年か前に選んだ今世紀で一番優れた100冊の本の中に入っていたので興味があって読んでみたのですが、ついて行かれなくなり、途中でやめました。集中して一気に読まないと、入り込めなくなります。私のように遅読の人が区切り区切り読んでいると、その流れについていけなくなってしまうのです。

 

今回、チェシル・ビーチの舞台になっているのは1960年代の初め。簡単に言ってしまうと、ある若いカップルの結婚式の晩の出来事がその後の二人の人生を完全に変えてしまった、ということなのですが、そこに至るまでの家庭環境から二人の性格などが緻密に描かれ、こうなるべきしてこうなったのだろう、ともろもろ考えさせられます。二人が出会った瞬間、更に厳密に言うと、視線が交わされたその瞬間に、すでに間違いが起こった、と言う作者の冷徹な眼差し。別の読み方をすると、かなりR指定的な描写も多いのですが。

 

もし読むのが面倒なら、映画にもなっています。

 

 

 

一体何の意味があるのだかてんでわからずにいます。アメーバでは、今日をニューヨークの日と定めているそうです。

なら、ニューヨークから長年発信している私も参加しようではありませんか。

 

ニューヨークは今9月7日(月)の夜。今日はLabor Day(いわゆる勤労感謝の日みたいなものでしょうか) という祝日で、3連休の最終日。アメリカでは、この日は通常夏の最後の日、とみなされています。では夏の始まりがいつかというと、5月25日のMemorial day という祝日です。

 

娘が通うニューヨークのパブリックスクールは、6月27日から延々と9月9日まで夏休みが続きました。9月10日にやっと新学期が始まります。2ヶ月強も続いた夏休みの怠惰な生活からどうやって学校モードに切り替わるのか、9月10日の朝は考えただけで恐ろしいです。

 

話は飛びますが、作家ジョーン・ディディオンが書いた「ブルーナイツ」という私が好きな随筆があるのですが、その中で、彼女は夏の夜空をブルーナイツ(青い空)と呼んでいます。緯度が高くないと発生しないようで、彼女が長年住んだカリフォルニアにはないらしいのですが、ニューヨークの夏の夜は、深く濃く青い色を呈しています。それは前述の夏の始まり5月終わり頃から始まり、10月頃には終わります。それをジョーン・ディディオンは”人生の中における若さ”に例えています。いつまでも夏は続くかにみえるけれど、若さも同じで、いつか終わりが来る。感慨深い内容の作品ですが、彼女のスタイルは好きで、何度も繰り返し読んでいます。夏の終わり頃になるとふと思い立ってまた読みたくなります。

 

ちなみに、ジョーン・ディディオンはニューヨークに長く住んでいた人で、最後の住処は私の家から結構近いところでした。

 

 

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歩道を私と反対方向に歩き過ぎようとしていた人が、ふいに声をかけてきました。私は目が悪いのに普段メガネをかけていないのでよく見えていないことが多いのですが、アパートの同じ階に住んでいるスペイン人女性に似ていたので、思わず応答してしまいました。近づいてきた女性は確かに隣人と似ていましたが、違う人でした。

 

「私ね、占い師なんです。貴女の何かが見えた気がしたので。」

銀縁のメタルフレームの眼鏡をかけた40歳くらいのその女性は、私の前に立ってじっと私を見ています。

 

「あなたの心は今ここにはなくって全然違うところにあるように見受けました。笑うことも忘れてしまったのかもしれませんね。」

ニューヨークに長く住んでいると、たまにこういう人に出会うこともあります。

 

「あら、面白い。何が見えるか言ってみてくださいな。」

私は、面白くもない手紙を送るために郵便局に行った帰り道で、自分で書いた手紙の内容を頭の中で復唱し、なぜこんなものを書かねばならなかったのだろう、と怒りすら感じているところでした。

 

「あなたは知性があって、そして才能もある人です。あなたが今心に持っているのは劣等感ですね。そのために、あたなは一歩踏み出すことができない。」

 

20代の女の子に使えばおそらくかなりの確率で当たるような内容です。あの年頃の女性は、仕事も恋愛も、と色々なやんでいるでしょうからね。中年女性にはあまり通用しないような内容だと思います。私は思わず大きな声をあげて笑ってしまいました。

「ハズレ。私はそんなこと考えてませんよ。」

 

占い師を名乗る女性は、ちらっと私の顔をみると、あたかも何ごともなかったかのごとくそのまま、もともと行こうとしていた方向に去っていきました。

 

通りで見ず知らずの人に声をかけられるのは、この夏2人目です。一人目は、私と同じくらいの年代の女性で、失職してお金がないのでいくらでもいいから恵んでもらえないだろうか、ということでした。彼女のレイオフにあった時の話や進行中の職探しの話を聞き、ああしたらどうか、こうしたらどうか、と話をした後、その女性には10ドルあげました。

 

 

 

 

 

 

マンハッタンでスーパーマーケットを4軒もハシゴする人、それは私です。

トランプがイランに戦争をしかけて以来物価は高騰していますが、必ずしもインフレ対策でそんな手間暇をかけている訳でもありません。1ドルや2ドル安いものを買ったところで、Amazonで何か買って仕舞えば、その浮いたお金などすぐに消えてしまいますからね。

 

例えば、商品の中でも、店に依って価格が大きく変わるのはトイレットペーパーです。大抵の店では、私がいつも買うブランドのものは9ロール入りを13ドルあたりで売っています。それを仰々しくも”大特価”と銘打って11ドル程度で売ることもあります。でも、私は騙されません。爆  笑 私が行くバリュー・ディスカウントという弱小店では、同じ品をいつも9ドルで売っているのです。ところが、最近、よく行っているスーパーの一つが同じ商品を5ドル99セントで売り始めました。この勝利感。13ドルのトイレットペーパーを手にしている人を見かけると、チラ見し、くだらない優越感に浸ったりしています。

 

毎日の生活の中にほんのささやかな、くだらない楽しみをみつける。これも父から学んだような気がします。夏もそろそろ終わりに近づき、持病のうつ病も出てきそうなので、要注意の季節でもあります。去年の今頃は父は何とかまだ実家で暮らしていましたっけね。そう思うと、ダブルで辛い季節となりそうです。

 

昨日行ったスーパーのTargetでは、すでにハロウィーン用のグッズを揃えた商品棚がありました。

インスタグラムのフィーダーに出てきた瞬間惚れ込んでしまいました。でも、こんなものに30ドルもかけるのもなんだなあ、と一旦はやめました。でも、その会社のマーケティングは、私がその商品に興味があることを既に知っていますから、毎日毎日インスタグラムを開けるたびにこれでもか、これでもか、というほど出てきます。そして、1週間考えた後、購入に至りました。メッセージ付きのTシャツです。昨日届き、今もこのブログを書きながら着ています。

 

エディット・ピアフが歌った「私は後悔はしない」という有名なシャンソンの一節で、ネズミがタバコをふかし、「私は後悔しない」というこのダジャレに惚れ込んでしまいました。そして、そんな重いことばをネズミが煙でも吐きながらぽそっと言っている姿もクールではありませんか。人生、後悔することが積もっていきますが、ちょっとこの辺ですっぱりと過去を断ち切って「私は後悔しない」と言ってみましょうかね。

 

Non, rien de rien 何も、全く
Non, je ne regrette rien 私は全く後悔しない

 

ちなみに、英語に Fake it till you make it.という言い回しがあります。本当にそうなるまで、そのふりをしろ。という意味です。

ウェブサイトで調べると「成功するまで成功したふりをしろ」と書いてありました。ちょっと違う気がします。何も、成功だけではないのです。 たとえば、この場合の意味はこんなです。’本当に何も後悔しなくなるまで、何も後悔しないふりをしよう。ということです。私の好きな言葉でもあります。

 

おちも何もないのですが、エディット・ピアフのビデオを貼っておきました。ご興味のあるかたはどうぞ。

 

 

 

 

 

 

父が亡くなってからもうすぐ8ヶ月経ちます。父は色々な道のりを経て、最後の15年くらいはある種、老賢者のような粋に達していました。何かあっても、父がくれる言葉でほっとして心が落ち着くのです。心理学的に言うと、おそらくは父親コンプレックスだとか何かしらあるのでしょうけれど。

 

「そんなの、へっちゃらだよ。何にも気にすることなんかないよ。」そう言ってくれるだろうか?

「世の中そんなもんよ。仕方ないんだよ。ま、楽しくやんなさい。」だろうか?

「ケチくさい、ケxの穴の小さい野郎だ。」

ひょっとしたら、今、私の脇に立って

「まかしとけよ。俺が神様と仏さんに頼んでおくから。」なんて言ってないだろうか?

父は最後に、”神と仏の道”あるいは”人の道”などをよく説いていました。

「そんなことはできない。人の道に外れるからね。」なんてこともちょくちょく言っていましたっけね。

 

でも、その反面我が父はとても執念深い人でもありました。人間は多面な生き物ですからね。彼を敵に回していた人々は、真夏の夜の怪談をお楽しみ頂いていることかと思います。爆  笑爆  笑(半分冗談ですが、半分本気で言ってます。)

 

こんな些細なことを書いているうちに、大昔のデビッド・ボウイの曲を思い出しました。ニューヨークに来たばかりのころ、まだMTVは音楽番組を沢山流していました。「Unplugged - アコースティック」というシリーズの番組をやっていて、有名なアーティストが毎回アコースティックのギターで弾き語りをするのですが、デビッド・ボウイは確かこの曲をスタジオで椅子に座って歌っていたと思い出しました。

 

I forgot what my father said,  父が言ったことを忘れてしまった

I forgot what he said 

という歌詞で始まる曲です。何故か、いつかは自分もこう思う日が来るのだろうか、と思ったのでした。

 

 

 

 

 

 

完全在宅勤務なので、仕事中よく音楽をかけています。たいていはSpotifyのプレイリストをその日の気分に合わせてかけていますが、今日は日曜日の朝にかけていたリスト「Lazy Sunday Afternoon -怠惰な日曜日の午後」をそのままかけていたのですが、

ふいに聞いたこともないような曲がかかり、なんだこれは、と次の曲に進めようとして、ハタと手が止まりました。かなり古い曲ですが、Small Faces スモール・フェイセズというイギリスの60年代のバンドの "Lazy Sunday Afternoon-レイジーサンデイアフタヌーン" もう何年も聴いていない曲でした。でも、曲を聞いた瞬間、初めて聞いた時の、もっと正確に言うと初めてスモール・フェイセズのCDを買った時の光景が頭の中に蘇ってきました。

 

ロンドンに出張で行った際、週末にカムデンタウンというロンドンの北にある町のフリーマーケットに出向きました。多分ガイドブックか何かで見たのでしょう。運河のある街で、今はもう違うかもしれませんが、1990年代にはちょっと薄汚れた感もあるけれど、イギリスっぽい、活気のあるマーケットでした。そこで、敢えて聞いたこともないような名前のバンドのCDをジャケットのデザインで選んで買ったのでした。80年代は終わっていましたが、まだその名残を残したヘアスタイルの若者がいるかと思えば、CDあるいはレコードを売っている人たちは、ベルボトムのジーンズに長髪で70年代ファッションで決めていたり、と様々なポップカルチャーで彩られていて、歩くだけでも楽しくなる街でした。CDの他に、オーバーサイズのセーターも買いました。赤を基調にした、かなり明るい色あいのセーターだったと記憶しています。ちなみに、CDはスモール・フェイセズの他に、アイロンバタフライという重いギターのCDも買いました。

 

マルセル・プルーストという作家は、焼き菓子マドレーヌを紅茶に浸して食べた時に、その味から子供時代の古い記憶が次々と蘇り、「失われた時を求めて」という名作を書きました。私もそろそろ何か書き始める時がきたかもしれません。(必ずしも冗談ではないのです。実はすでに2冊分相当書き溜めています。ニコニコ )

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最近夢中になれる本に巡り会えていませんでした。

 

取り敢えずはエイミー・タンの "Saving Fish from Drowning" (邦題「溺れる魚を救うこと」)を延々と読んでいたのですが、読むのが遅い私はだんだん飽きてきてしまったのと、結末がすでにわかっていて、殆どの章が説明文になっていること、などから3分の2ほど読みましたが、諦めました。人生は短いのです。面白くない本とくだらない人々に費やす時間はありません。

 

そして、昨日新たに何を読もうか探していたところ、近所の図書館にその読もうと決めた本があるのがわかり、じりじりと暑い土曜日の午後、借りに行ってきました。

 

私に語りかけてくるかのような文体と繊細な描写。些細な言葉や事柄が登場人物のあらゆる性格を表したり。物語が短いのは、そのためでしょう。特に’A Temporary Matter'  (邦題「停電の夜に」)は哀しくて、読みながら涙が出そうになりました。でも、同時に、こんな風に毎日を見ていたらきっと辛くていられなくなるだろうな、と感じずにもいられませんでした。

 

ジュンパ・ラヒリの 「病気の通訳」もし機会があったら是非お勧めします。

 

 

どこかのウェブサイトがファイナルシーズン6の最終回が8月6日に放映される、と言っていたので、それまでには追いつこうと

シーズン5の最終回を昨晩見終わりました。そしてシーズン6はまだストリーミングしていないのかしら、と調べていたら、実はシーズン5がファイナルで、つい2、3週間前に完結していたのを知り、ちょっと愕然としたところです。

 

決して平凡に心温まるようなファミリードラマではありません。エピソードによっては息が詰まるほど緊張させられたり、あまりにひどい怒鳴り合いがあり、見るに見かねて早送りしたことも2、3度ありました。でも、このドラマの素晴らしさは、レストランを巡る人々が本当の家族以上の家族となってお互いを労りあって立ち向かっていく、というところでしょうか。

 

一人一人が、そのレストランに辿り着くまでの歴史が語られ、それが登場人物にさらなる深さを足しています。

皆それぞれ成長して行く姿も綺麗に描かれていると思いました。また、家族同士が本気で語り合い、激し、良い感情もどろどろした感情も、更には弱さも曝け出し、時には罵り合い、それでもお互いを労る、という姿は、私にとってとても新鮮な感じがしました。

私の家族には存在したことのない関わり方であり、日本のカルチャーには、そんな家族象は存在するのかな、とふと考えさせられました。そもそも、ドラマの中のことですので、アメリカのカルチャーの中でもそんな家族が実際に存在するものかはわかりませんが。

 

ビンジする中年母の横を通り抜けながら、14歳の娘は、主人公カーミーを演じた俳優がハンサムだ、と何度となく言っていました。確かに、Jeremy Allen White はハンサムですが、私は個人的にリッチ、が好きで、彼が最後に幸せな方向に向かいつつあるのでほっとしました。更に、彼は日本に向かうところで終わっていますしね。

 

最後に感動したドラマは”Killing Eve"でしたが、全く違うジャンルのこのファミリードラマ、お薦めします。