おはようございます!
@Ricoです。
まだまだ続く、奈良巡礼ねえさんぽ👣
等彌神社⛩️さんの続きです。
上津尾社✨にてご挨拶してから
その近く
弓張社✨へ🙏
御祭神
櫻井弓張皇女✨
弓張、って名前が気になるよね。。。
ちなみに
父が敏達天皇、母が推古天皇
古事記には、山代王、笠縫王を生んだと記されるらしい☝️
笠縫、といえば、
以前の参拝でうかがった桧原神社⛩️
を思い出しますね^^
境内は、
この時期(献灯祭)だからなのか
華やかな演出が随所に見られます✨
さらに進んでいくと、
キタキターーー❗️
散策路の案内↓(往復2Kmとありますね☝️)
この先には
鳥見山稲荷神社⛩️
失礼いたします🙏
道中、安全にうかがえますよう
🙏🙏🙏
いよいよ、登拝へ‼️
テクテク👣
テクテク👣
案内板を確認しながら進みますよ^^
しばらくすると、
黒龍社✨
🙏🙏🙏
まだまだ。
まだまだまだ!
おっ😲
なんやら、あります‼️
ちろっと失礼いたします🙏
こちらが
霊畤拝所✨
(ちなみに、こちらの拝所までやと
稲荷社さんからだいたい4〜5分ぐらい)
さらに進んでいきます👣
遠征でのお山というか、
霊跡への登拝は本当にありがたくもあり。。。
が、しかし
十分に気をつけて
安全安心が第一やと感じながら
毎度うかがわせていただいております🙏
天然の鳥居⛩️感を感じる場所↓
このあたりから
一段とすぅーっと引き込まれる感じがして、
すべてが祓われ
すべてが繋がっていく
そんな想いでいっぱいになります。
テクテク👣
テクテク👣
庭殿句碑✨
こちらの場所、庭殿。
祭りの饗宴に供された場所として
伝えられています。
さらにさらに。
緑と土の香りが
生きる源であると、
われわれの生命を支えてくださる
一部でありすべてでもあります。
白庭へ✨
白庭とは?
『先代旧事本紀』によれば
・「饒速日尊は、天神(あまつかみ)のご命令で、天の磐船に乗り、河内の国の河上の哮峰(いかるがのみね)に天下った。
さらに、大倭の国の鳥見の白庭山(とみのしらにわやま)に遷った。」と記されています
→石上神宮の神拝詞にあるよね❗️
また、
・神武天皇東征以前に、饒速日尊が大倭の国の大王であったと考えられていて
饒速日の尊の死後、
神衣(かみみそ)、衣帯(みそみおび)、手貫(たまき)の三物と共に、鳥見の白庭邑に葬られた。
白庭邑とは、現在の奈良県桜井市三輪山の事で、この場所を御陵墓とされた。
→大神神社が本殿を造らず、御山自体が本殿と拝するのは、この所以とも考えられる
・さらに、饒速日尊は、亡くなられてから
『櫛玉(くしだま)』(神秘的な力を持つ魂)の名を奉られ、櫛玉又は櫛甕玉(くしみかだま)
饒速日尊と呼ばれるらしい。。。
大神神社と等彌神社。
この桜井の地で
この場所で
繋がり、まつられることが必然だったのかも
しれないですね。。。
てなワケで
いよいよ次は「霊畤」へ。
では。
いつも、ありがとう^^
@Rico
幸せは自分のために
世界が平和であるために