こんばんは!
@Ricoです。
奈良巡礼ねえさんぽ👣
等彌神社✨さんの続きです🙏
二ノ鳥居⛩️
失礼いたします。
御祓殿石🪨✨
お清めいたします🙏
さらに
広々として凛とした参道✨
ちろっと先には
夫婦杉🌲✨
猿田彦大神✨
右には、階段がありますね☝️
この先には
下社 下津尾社✨
めっちゃドキドキする。。。
→して、お昼間なのにライト💡が点いとる
お社は、右殿と左殿からなり
右殿 → 八幡社✨
御祭神
磐余明神(神武天皇)✨
品陀和気命✨
左殿 → 春日社✨
御祭神
高皇産霊神✨
天児屋根命✨
扉に刻まれた御姿が
金鵄?のような。。。
美しいシルエットに目を奪われます🙏
→後ほど、上社でもお目にかかりますよ^^
愛宕社✨
ご挨拶させていただき、
さらに進んでいきますよ^^
テクテク👣
テクテク👣
到着です^^
上社 上津尾社✨
御祭神
大日孁貴命おおひるめむちのみこと✨
いわゆる、天照大御神さまですね^^
→一説によれば、饒速日命✨とも。。。
ここで、あらためてご由緒↓
当神社の背後に位置します標高が二四五米の
なだらかな山容の鳥見山は初代神武天皇が
橿原宮に即位され、神武四年春二月に
「わが皇祖の神霊は天より降りみそなわして
私の身体をてらし助けたもうた。いまもろもろの
賊を平定してしまって海内(くにのうち)は
事件とてないほどよく治まっている。そこで天神を
祭って大孝の志を告げ申し、お礼を致したい」
と詔りをされ鳥見の山中に霊畤(まつりのにわ)
を設け、国で採れた新穀および産物を供えられ
御自ら皇祖天津神々を祭り、大和平定と建国の
大孝を申べ給うた大嘗会の起源、我が国建国の
聖地であると伝えられております。
やはり、、、
気になる場所はうかがってみるものです🙏
桜井周辺には、何度もうかがっていたけど
前回のねえさんぽ↓の途中、桜井周辺の地図で、
等彌神社⛩️さんの存在を発見💡
で。
上社がいわゆる
等彌神社⛩️さんの拝殿となります🙏
実は、社紋がこちら↓
金鵄✨
ちなみに、金鵄とは?というと
(以下よりお借り)
https://x.com/yoshinomaho/status/1227027144074616832?s=46&t=Nv4tmGM-yZFDtqZFxm6Cxg
ここで、ふむ🤔となるのが
等彌イコール登美イコール富。
の流れ✨
登美一族(登美家、鳥見家)といえば、
・河内〜大和一帯を治めていた豪族
・狩や漁、生活用品や住居づくりに長け、長身の体格を有する
・饒速日命(天照大神より大和建国を命じられ、豊前(現大分)の宇佐より天磐舟に乗り大和方面へ向かう)に従ったのが、鳥見の長である長髄彦
→いわゆる、物部氏に繋がります
※長髄彦は、饒速日命と神武天皇(イワレビコ)がともに日の御子(天照大神の子孫)であることを目のあたりにして、闘いの相手だった神武に忠誠を誓う
※物部一族を率いてのちに神武天皇の親衛を務めた「可美真手命(ウマシマジ)」は、饒速日命の御子である→長髄彦の妹である登美夜毘売と饒速日命の御子
また、登美家はのちに
あの三輪山をお祀りする社家にも繋がってくるそう。。。
この流れをみると、
御祭神問題が浮き上がってくるような気がしますね
→饒速日命とも、、、の部分
(上津尾社の手前には、数々の皇室ゆかりの碑)
神武VS長髄彦。
この対峙を天からの御遣いとして
決定づけたのが、
あの金鵄✨
すべての理由、そして真は、
金鵄にしかわからないのやろね。。。
どんな想いで輝いたのか。
してして。
実は、
この鳥見山登拝のあとに石上神宮の例祭に向かい
また翌日には
石切劔箭神社にうかがう、という
ねえさんぽルートをしていたのやった‼️
→まさに、饒速日命つながり✨
てなワケで
まだまだ続きます。
→鳥見山登拝は次回よ✨✨✨
では。
いつも、ありがとう^^
@Rico
幸せは自分のために
世界が平和であるために