【奈良原点ねえさんぽ③いざ!畝傍山登拝。奈良の想いが溢れてくるね^^】 | 神さま仏さま「ねえさんぽ」と「あなたの世界をいきること」

神さま仏さま「ねえさんぽ」と「あなたの世界をいきること」

神様仏様、巡礼、登拝を経て「ねえさんぽ」で生まれた感動は、空海さんとの出会いにはじまり神仏さまとの結びへと繋がっていく旅の軌跡(主な巡礼地:奈良・京都・大阪・兵庫・四国)
あなたがいて、わたしがある
世界があって、わたしがある
そんなシンプルな道をともに生きたい

こんばんは!




@Ricoです。




さて。


神武天皇御陵→八幡宮→山本大師恵泉寺

→畝火山口神社


と来て、、、


いよいよ、畝傍山登拝⛰️🏃‍♀️



レッツゴー‼️


→めっちゃテンション上がっとりますグラサン





テクテク👣


テクテク👣





道が合ってるのかどうか

分からないけど、、、


まぁ、進んでいけば必ず到着するはずよね☝️




鳥の声とお日さまの暖かさと

お山の香りを

全身に受けて。。。





まだまだ、進みますよ^^



だいたい、10分ちょいぐらいすると

こーーーんな感じの開けた場所に到着❗️




畝傍山国有林🌲



ここには、

中大兄皇子の和歌が記されます🙏


香具山は 畝傍を愛しと 耳成と

相争ひき神代より かくにあるらし 古昔も

然にあれこそ うつせみの 嬬を争ふらしき


「万葉集」



🔸意訳、一説🔸


香具山は畝傍山を取られるのが惜しいと、耳梨山と争いあった。神代から、このようであるらしい。昔もそうであったからこそ、今の世の人も、妻を奪いあって争うらしい。


(さまざまな考察アリ❗️詳しくはこちら↓)





この広く開けた場所が

山頂エリアとなります。


三角点




近くには、


一角で一目で分かる

禁足地



あまりの雰囲気に

近くで写真は控えさせていただきました🙏



後から調べてみたら

こちらの禁足地の場所が住吉大社さん

ゆかりの場所らしい。。。


→きっと、あの埴土を採取する場所かも❓と

 妄想が広がります🙏




して。



山頂エリアからの景色⛰️✨


霞がかっていて、

なんとも印象的✨✨✨



二上山⛰️方面の眺め



さらには、

山頂をぐるっとまわり込んで

見えた景色。。。



大和葛城山と金剛山⛰️✨


(手前の低山が、忌部山⛰️だそうなびっくり

→次の場所に繋がっていくよね☝️




ズーーーム👀




奈良の想いを感じさせる場所。



葛城の地の巡礼とねえさんぽの想いが

蘇ってきます🙏


→金剛山登拝を断念しとるからねーグラサン




さらには、

神武天皇社も参拝しとります🙏




なかなかの流れ感、満載w



(葛城ねえさんぽ⬇️)



また、チャリチャリ🚴‍♀️したい❗️




してして。



山頂がものすごく

キラキラしてて、ビックリのお天気☀️






素晴らしい瞬間に

手を合わせます🙏



このあと、

なぜか下りの時に

(早く到着したいから、道を聞いたのよ笑い泣き


ご案内していただきまして、、、




お山を眺めつつ、下山します。





緑いっぱいのなかで、

いろんな話をおっちゃんとしながら

楽しくテクテク👣



ここで、別ルートに進んでいきます❗️




畝傍山の案内板⬇️




こちらでも、和歌が記されますね^^



玉襷(たまだすき) 畝火の山の 橿原の 

日知(ひじり)の御代(みよ)ゆ

〔或(ある)は云はく、宮ゆ〕 

生(あ)れましし


柿本人麻呂




神武天皇の御代から次々にお生まれになった天皇が代々お治めになった大和盆地を後にして、天智天皇が都を置かれた大宮はここだと聞くけれどその面影はもうない」と、壬申の乱の後に廃れてしまった近江宮を見て悲しんでいる、という内容です。


→その土地が荒廃するのにつけ、土地の神を慰める

 鎮魂歌という意味合いもあるようです。



(詳しくはこちら↓)




前回のシリーズ、

畝火山口神社⛩️では、摂津國と繋がり


さらに、

この和歌では、近江國と繋がっていく。。。




畝傍山登拝✨

ポイントというか


御陵から繋がる意味合いを

じんわりと感じさせていただきます🙏


(これは、個人的な部分かもしれません💧)





で。




しばらくすると、




むっ🤔



鎮守之宮

東大谷日女命神社





てなワケで


こちらは、いろいろとあるので

次回へ続きます。



(お決まりのヒントの羽🪶もあったぞニヤリ↓)









では。




いつも、ありがとう^^




@Rico




幸せは自分のために

世界が平和であるために