最近、友人知人らの花魁スタジオで撮った写真を目にする機会がありました。
京都なんかにいくつかある、花魁の衣装を着て、ド派手なメイクをして
これまた派手な背景の部屋で写真を撮るスタジオです。
最初は何の気なしに見てたのですが
だんだんだんだん、えも言われないモヤモヤモヤモヤが溜まってきました。
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むーん?
そう思ってたのと前後して、コテンラジオという歴史を学ぶポッドキャストで
性愛の歴史シリーズを聞きました。
知らなかったことが盛りだくさんで、めちゃくちゃ面白かった。
性のあり方や価値観の変遷に、社会構造や技術の発展も深く影響していたりとか。
でも、それを語るパーソナリティはみんな男性。
歴史の記録を残したのも、みんな男性。
近代より前の全ての歴史は、完全に男性の側からしか書かれていないのです。
(近代以降は、女性の発言が少し残ってる、ぐらいでしかないけど)
花魁や遊郭を題材にした歌舞伎やらも、全部男性が書いたもの。
この記事にあるように、
男の夢想を取り除いたら、遊郭も、その頂点の花魁も
女にとっては生き地獄です。
すごい金額を稼ぐかもしれないけれど、支出も莫大。
しかもその財源は、いつ変わるとも知れない、心次第でしかないわけです。
口約束だけで、ウン千万円の取引をして、従業員も抱えてる個人事業主みたいなもんです。
怖くて仕方ないと思う。
花魁の浮世絵が人気になって、今で言う芸能人のようだった。
そんな記述もよく見ますが、それだって『男から見たら』なだけだと思う。
女性から見てもそうなら、『花魁になりたいと憧れたり、自ら遊郭の門を叩く少女もいた』って記録があってもおかしくない。
その方が男にとっては都合が良いはずだし。
でも、無い。
そのぐらい、廓は、その頂点の存在でも
女にとって生き地獄だと、女性からは思われていた証なのではないかなぁ、と思う。
駆け引き、芸事、教養、心持ち、
間夫との禁断の恋すらも
すべて男の幻想を満たすために期待されたものの範囲であったとしたら。
現代も、そういう上辺の哀しみや、美しさや豪華さだけを切り取られて
変身写真の題材にされるって…。
自分が当時を廓で生きてた記憶のある人だとしたら、スタジオにバズーカ打ち込むと思うわ。
男の幻想夢想の記録しかない遊郭、花魁たちの記録やイメージ。
それにインスタントに乗っかるのは、男の幻想夢想の再生産に加担するようで、モヤモヤしてたんだな。
と、ここまで書いてやっと言語化できた。
なので"ヘビーローテーション"のMVを見て
かわいい、という女の子らにも近いモヤモヤを感じます。
下着みたいな格好で、女の子同士でキスする映像を見せられて憧れを抱くなんて、
男の幻想夢想を内面化させられ過ぎてるぞ?!
正気か?!!目を覚ませ!!
と思ってしまう。
ほとんどの人は、そんなこと考えてないし
こんなこと言うだけ、うるさい難しい人、楽しい変身体験に水を差す嫌な人、と思われるだけで損なのは分かってますが😅
でも、自分の美学に近いものかも知れません。
生きた時代の価値観にどうしたって左右されるし、それを何ひとつ内面化させないのは無理だけど。
それでも可能な限り、
人の人生の一部を切り取って消費したりしたくない。
それが過去の人であっても。
人の物語を、てきとーにつまむチョコのように
無為に消費したくない。
そのチョコだって、てきとーになんて作られてない。
内面化した方が有利、生きやすいから
無意識に取り込まれた価値観ではなくて
その人自身の深いところが感じたこと、表現したいことは、なんなのか。
体の反応は、魂の反応。
その人の体と魂が震えるような、時代の価値観に左右されない純粋な思いや本音は、なんなのか。
そんなことを知りたくて、人の体に触れる仕事がやめられないのだと思います。
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