春なのでぼんやりしています。
更新もなんとなくぼんやりしていますm(__)m
本は山積み、やりたい事も色々とありまして…時間が足りない…と言っているうちに。なんと!もうすぐ宇宙元旦( ´艸`)
宇宙元旦とは春分の事なのです。西洋占星術では、一年は牡羊座ゼロ度から始まります。人間の成長を季節にあてはめて一サイクルを考えると、太陽が牡羊座ゼロ度でこの世に生を受け、身体を得てどんどん成長して人と出会い、社会に出、第二の人生を過ごしてそして…次の人生を用意する時、そこが今な感じ(笑)人生と人生の合間、中間生、みたいな感じでしょうか。
今太陽は魚座を運行中。今まで沢山活動して経験してきたけれど、今意識はうつらうつら~全てを融合させて潜在意識~集合無意識内をさまよう感じ←単なるイメージですよ(笑)
春分で新しい身体を得て、新たな現実に飛び出す前のまどろみ。そんな考え方も出来ますが、実際は人生は切れ目もなく、季節と共にらせん状に廻り続いていく…
魚座は境界線の無い世界。霧などに良くたとえられますが、わたし、あなた、世界がすべて一緒に混ざり合ったエネルギーの世界のような感じ。だから境界線もなにもありません。魂のそんな状態から身体を得て、地上で肉体をまとって誕生する瞬間が春分です。魂は肉体を得て、わたしという内側と世界という外側との分離、つまり境界線を感じる初めての体験でしょうか。水中生物から肺で呼吸する哺乳類への進化の瞬間です。まあうまれて何年かは精神的な境界線ははっきりしていないのですが…
土地に関して言えば、家の敷地、市、県、国。海にも国の境界線はあるし、会社に行けば自分のデスクがあるし、学校には私の机やロッカーがある。自分の机に他の人のモノがあったらなんか気になるし、時には不快なものです。
オフィスで境界線を越えて侵入してくる書類とかグッズとか…なんか嫌な感じ。そういう場合は目に見えるからどかせばよいのかもしれないですね。家の中でも自分の棚だと思っているところに他の家族の本があったら邪魔だと感じない?
じゃあ、見えない分野で境界線をはみ出してくる場合はどうなの。精神的な境界線は、案外気が付かないし、ほおっておくことが多いのではないかな。では心の境界線、精神的な分野ってなに。
このテーマは気が付かないことが多いけれど、とても私たちに影響を与えているんですね。普段あまり考えたことないのですが、知らず知らず境界線を越えることで、人間関係が上手くいかない、なんとなく嫌な感じだったり、強いストレスを生み出していることが多いのでは。
今とても問題になっているのは、精神的な人との境界線です。つまり自分と相手をお互いに尊重するための適切な線引きです。たとえば家族、親子、夫婦、友人、親戚、同僚、会社やグループの人間関係その他もろもろにあてはめてみてください。
人の間の境界線は精神的なものなので、もちろん目には見えません。国には国境がありますが、陸続きでは検問があったりパスポートが必要だったりするわけで、国同士に国交がなければ、たとえ空中でも海上でも、自分の領土を越えて相手の領域に入ってしまうと、とんでもない事態を引き起こす事があります。
人間関係に似たようなことが起っても、本当はおかしくないわけですが、そこに関して日本人は特に曖昧なような気がしますし、そうした考え方が苦手かもしれませんね。物理的に親子が一体なのは昔からですし、みんな川の字で寝ていたし、いろんなものを共有して自分の部屋が無いのは当たり前でした。
精神的な境界線を考える時、それは『誰の責任か』ということを基準にしていき、それを意識することから始まります。
境界線を考える時、そこには3つの領域があると言われます。
①自分の領域
②相手の領域
①自分が責任をとれるのは自分の領域内で起こっていること。この問題、この気持ちの責任をとるのは誰?と問うていきます。
もし自分の境界線を越えてくる人を無条件で受け入れる傾向があったら、自分の意志を行使できない可能性が出てきます。自分は行きたくないのに誘われて断れない、つい行ってしまう。もし断ったら相手を傷つけると思ってしまったり気持ちが揺れ動く場合でも、自分の気持ちの責任をとれるのは自分だけなのです。
②相手の領域内で起こる問題や、相手の気持ちの責任をとるのは誰?
自分が相手に迷惑をかけたとして、謝ったり賠償したりすることは必要ですが、必要以上に相手の感情まで責任をとることはできないのです。
境界線が適切に引けていないと、必要以上に相手に関わったりします。あるいは相手が抱く感情さえ責任をとろうとしてしまいます。必要以上に相手に共感して罪悪感を持つことも有ります。これは相手の境界線を越えているかもしれません。
親による学業や進路に対する過干渉は、年齢にもよりますが、本来のこどもの境界線を越えて踏み込んでいるとも考えられます。また親が子供を心配するあまり、必要な挫折や苦労を先回りして回避させてしまう、あるいはあえて挑戦させないように過保護である場合など。実際、親が敷いたレールに乗った人生を生きた場合に起る後々の問題も、現代の日本では良く見受けられると思います。子供を親の所有物の様に思ってしつけるのは、実は境界線の問題だともいえるのではないでしょうか。
ここでもう一つ気持ちの問題がでてきます。
アドラー心理学では『嫌われる勇気』出版後『課題の分離』と言う言葉を使われていることが多いのですが、次はアドラー心理学の考え方を見ていきたいと思います。