みんなに好かれたい | 星の砂漠から愛にかえる旅

星の砂漠から愛にかえる旅

潜在意識を探求しながら ルーツにもどる旅の途中
光のタロット・ヒプノセラピー・レイキティ―チャー そしてユダヤの秘教カバラの実践者
『こころの平安』をテーマに様々な心理学やセラピーを開拓中

このところ寒暖差が激しく、花粉も飛んでいますね。花粉によるくしゃみや目のかゆみなど、コロナ対策もかぶってきますが、予防的にも大変になってきます。暖かくなればマスクも蒸れるし~(-_-;)

 

春ですね。関東地方は梅が咲き、早咲きの桜の便りもちらほらと。一月後には残りの緊急事態宣言も解除されていると良いですね。

さて、『みんなに好かれたい』って言葉。どんな風に響きますか。誰だってみんなに好かれたいですよね。自分を好きになってくれる人が沢山居た方が良い、人気者になりたい♡

 

少なからずそう思っている人も多いはず。そのために極端な行動に出る人もいると思います。それは、ただ目立つことをしたり、誰かに過剰にサービスをすることだけでなく、常に人に合わせてしまったり、遠慮して本当のことが言えなかったり。

 

『友達百人できるかな』

これ、呪いの言葉だったりして。無邪気な表現の様ですが、この言葉で自分を縛ってしまう事もあるのかもしれず、そう考えると恐ろしいですね~(笑)これがなんとなくわかるのが実はSNSのフェイスブックだったりして…新しく友人になった方がどのくらい友達が居るか…とか…Twitterでもインスタグラムでも同じでしょう

 

ハートネットTV(Eテレ=旧教育番組)のバリバラ(障害者情報バラエテイ)で解離性障害の特集をしていました。解離性障害とはいわゆる多重人格と言われていた障害です。ある方が様々な状況で核となる人格とは別の人格が出てきてその場を生きているというお話をされていました。

 

その方は、お話をしているのが核人格『私』だとすると、自覚がないまま別の人格=A、B、Cに変わってしまうので、そこで何をしたのか言ったのか記憶に残っていないのだそうです。

 

たとえば、『私』が何かの集まりに呼ばれて行ったとしましょう。その時にA人格になって行動すると、陽気で気さくで大盤振る舞いになってしまう。一晩寝て起きて『私』が気が付くと、財布は空っぽで、スマホのSNSには沢山の見知らぬ人と繋がっていて写真があふれているのに愕然とする。そんな感じでしょうか。

解離性障害の事は詳しくは解りませんが、トラウマを負い生き延びる為に極端な手段を選ばざるを負えなかった人に顕著に出るということです。

 

運転や飲酒など、何かの状況で「人が変わる」という表現を使いますが、程度の差こそあれ私たちは似たようなことをやっている、つまり普段から様々な人格を状況によって使い分けているものです。ただ、記憶が繋がっているから、一貫して自分であるという意識があるというだけの事なのではないかと思います。

 

いつも元気で明るくてはきはきしていて、人に寄り添い気遣って、優しい人になりたい…

 

そんな風に思っていれば、無意識の内にそういう人格を創り出して演じるという事も十分に考えられます。それが本当に自然であれば問題が無いのでしょう。

 

断る決意があっても、どうしても特定の友人と話をするとつい受け入れてしまう…などという状況ですと、なにか心の底にそうあるべきだという信念がありそれに動かされているのかもしれません。

 

小さい頃からの親や先生や権威者からの刷り込みで、『人に好かれる人になりなさい』『優しい人になりなさい』という声かもしれないです。

 

ですが、優しい人で居るべきという信念に替わり、ふるまいをがんじがらめに縛っていたならば…苦しいかもしれません。いつの間にか自分の境界線を越えて踏み込んでくる人さえ、受け入れてしまうかもしれない。

 

止めたくてもやめられないのであれば、そんな刷り込みが、まるで別人格の様に人前で発動してしまうことも。

 

それは呪いの言葉でもあります。

赤ちゃん狛犬が可愛い~

 

解離性障害の方は、その後始末をする為にまた別の人格が現れるそうです。私たちも自分が自覚していながらどうしてもやめられないため、後で後悔したり、落ち込んだり、異常に疲れたりします。いつもの自分以上のものを表現するので体力も気力も必要になります。

 

それを解消するには、色々とやり方があると思うのですが、自分軸はとても大事ですよね。そして境界線をはっきりさせることも。アドラー心理学にははっきりとした境界線の引き方の定義があり、『課題の分離』という考え方があります。

 

『友達百人できるかな』の呪いについては…別の考え方があります。

 

もし、クラスでも職場でも何かのサークルでも、10人、人が居たら、そこにはそもそもどんなことをしても自分のことを良く思わない人が一人はいるそうです。自分の気持ちは通じてしまいますから、お互いに嫌いかもしれません。実はお互いの潜在意識にそれぞれ何かが映っていると思うのですが探る必要もありませんし、過去生で色々すったもんだしたのかもしれませんね。

 

そして、二人の人は何をしてもこちらを受け入れてくれます。お互いに好意を持っています。後の七人はどんな人かというと、状況で態度が変わったりします。

 

もしかして10人全員に好かれようとしたら…自分を悪魔に売り渡すしかないんじゃないかなと思っちゃったりします( ´艸`)だって、人にどう思われるかどうかを常に気にかけて、あちこちに気を使い人に合わせて生きることになりませんか。自分が無くなるだろうし苦しいと思います。

 

と言うわけで、絶対に一人は居るはずの自分を嫌っている人にまで好かれようとすることはできるのでしょうか。残りの七人だって好かれようとしたら、大変でしょう。あまり考えずに、友達百人にさっさとその七人を入れてしまうのもありだし(笑)、そもそもそんな事にこだわるのはSNSが刺激になっているだけで、元々は小さい時に刷り込まれた呪いの言葉のせいに違いないのです。断定はできませんね…

 

わたしたちはそれぞれ個性があるからこそ、合うタイプも違うし、だからこそ相性の合う組み合わせがいくつも出来るのでしょう。星座の質が12あって天体も10個あるから、当然組み合わせもバラエティにとんでいるのです。

 

お互いに好意を持っている二人を大事にすること、様々な状況でいろんな七人とコラボしていく事で、人生はみんな違ってそれぞれ豊かに生きられるのだと思います。

人間だから(笑)ね