自己受容におもうこと | 星の砂漠から愛にかえる旅

星の砂漠から愛にかえる旅

潜在意識を探求しながら ルーツにもどる旅の途中
光のタロット・ヒプノセラピー・レイキティ―チャー そしてユダヤの秘教カバラの実践者
『こころの平安』をテーマに様々な心理学やセラピーを開拓中

アドラー心理学をかじりながら、自分の思ったこと、スピや経験を含め、勝手につぶやいていきます~ので、お手柔らかにお願いします(^^)/

 

前回、アドラー心理学者の野田俊作先生による、『共同体感覚』についての条件を載せました。

 

①『私は私のことが好きだ』という事≒自己受容

②『人々は信頼できる』という=基本的な信頼感

③『私は役に立てる人間だ』と言う=貢献感

 

日本人にとってハードルが高いのが①の自己受容ですよね。自分が好きって言葉はねぇ…言うのは結構難しいから、どちらかというと、今の自分自身にOKを出せるということかな。もちろん短所も長所も認めてそれなりに自分を好きでいられることでしょうか。

 

自己受容を勘違いすると、自分はこのままで素晴らしいから、何もしなくても良い、言いたいことを言っても良いんだ。という考え方がある様(-_-;)で、そりゃあ魂はピカピカだから素晴らしいですけれど、そこに色々と後からつけちゃったものは頑張って取っていこうねとココ地球に居るわけで、そうしないと人にも迷惑かけちゃうし、イタイ人になっちゃうからね…意識の進化もそこで足踏み あるいは後退してしまうかも

 

私たちは二元性の世界で生きているので、何事もやり過ぎてしまうと不健康になったり、生きにくくなったりします。人にやさしいのも度が過ぎると自分が振り回されてしまいます。そして自分が悪い所だと思っているところを、別の人が見たら長所に見えることも有るわけですよ。

優しい⇔優柔不断 動作が遅い⇔慎重 とかね。

 

ですから悪い点が気になっていたら、それを一度リフレームしてみることも良いかもしれません。長所と短所は評価基準で変わるわけです。ずっと親に言われ続けてきた貴方の短所が、もしかしたら本当は素敵な長所だったりするかもしれませんよね。あとはそれの度合いを考えてみたり、自分自身と周りの境界線を考えてみるのも大切です。

晩秋の三渓園に行ってきました

バシャールの針の目を通り抜ける時期に当たる今。まずは人を赦す、そして自分を赦すっていうテーマがありましたね。もちろん今も人を赦す期間が続いています。今は自分を赦すっていうテーマに取り組んでいる人も多いでしょう。

 

私自身も自分がやってしまったことを赦すことが出来ない状態には心当たりがあります。意識してみたくないものに直面し、最後には手放すことをしないと、心の底に淀みとなって残っているような感じがします。何かが起こって(感情的に揺さぶられて)かき回された時に、澄んだ水が濁るのね。それで思い出す…(-_-;)

 

そうした特別な出来事やテーマは誰にでも一つはあるのではないかと思います。

 

人を赦すってことはあまりピンとこないけれど、いつも自分を責めていて、自分だけはなかなか赦せないっていう人もいると思います。そうした自己肯定感が低い人の中には、自分にどうしてもOKが出せない場合もあるでしょう。

 

どんなに頑張ってやったつもりでも、結果が出ない事や思いがけないことが起ることはあるでしょうし、周りに比べて自分は劣っていると思い込んでいたり。それでもう駄目だとか、自分が嫌いで仕方がないという思いは持つかもしれません。それがずっと続いていくと、自己肯定感が低いという表現になるのでしょう。

 

そんな状態に陥ってしまっていたら、自分のちょっと頑張るところが好きとか、優しいところが良い感じとか、心の中で良いところを認めてあげることが出来たらよいのでしょうが、そこのハードルが高いこともある。

 

自己受容、それは簡単に自分の良い所と悪いところを認めることだけではないでしょうが、今ここにちゃんと居られるのは、自分の身体と心をこれまでちゃんと養ってこれたから。そこから見ていく事が必要な場合があるかもしれません。

 

これまで頑張ってきたこと、我慢してきたこと、そうしたことを認めずに一番バッシングし続けてきたのはもしかしたら自分かもしれません。

 

戦後日本が経済的に大発展を遂げたので、その中で培われてきた競争原理では、働かざるもの食うべからず、でした。もちろん現在の社会でもその精神は続いています。だからこそ、私たちは社会の役に立てないと生命と精神の危機を感じてしまうわけです。

 

親に見捨てられない様に、社会で生きられる様に、様々な戦略を立てていきます。共同体という言葉で言えば、そこに居場所を見つけ居ることで安心でき、人の役に立つことが出来ればある程度幸せなのかもしれません。

 

それでも人の心の中は見えないもので、自分の世界は他の誰にも解らないものなのです。だから、居場所を見つけることが出来ても、自己受容が出来ていないと、そこに居てはいけないような、何かが自分に欠けているような感じがしてしまうかもしれません。意識の進化としては 自己受容して自己認識(自分の現在位置を確認)そしてその先の段階自己実現へ…

周りの人と上手くやっていけるけれど、どうしても自分が赦せない感じがする、良い面は知っているけれど嫌な面がありすぎる、あるいは自分のこうした性格だけはどうにかしたい。

 

あまり人に言いたくないけれど、自分のこうした面は嫌でたまらない、変えたい…そんな自覚があったなら、自分を好きになりましょう、ってハードルが高いのではないでしょうか?

 

自分の中のそんな部分とワークすることも出来ます。インナーチャイルドの置き去りにされてきた部分が、現在に影響してしまう事が良くありますよね。特に小さい頃の親との関係や兄弟との感情的な問題などは、早めに見てあげることをお勧めします。結構たわいのないことも幼い自分には強く残っているのだと解ることがあります。あるあるですが 私の場合5歳下の弟が生まれてちやほやされて 凄く寂しい思いをした事とか…等々

 

やり方は同じです。インナーチャイルドと対話する時と同じように、自分の嫌いだと思っている部分に相手の目線で寄り添ってあげるのです。普通に生活している大人の私として対話してみましょう。

私たちは生まれてから創ってきた癖や思いやセルフイメージの他にも、悪癖、悪習と言われるような魂の癖も持っています。それらはいくつかの過去世で創り出され強化されて、根強い今生の性質となっているのかもしれません。今回取り組むために持ち越してきたものですから、今生作ってしまったモノも含めて少しづつ取り組む必要があります。悪癖、悪習に取り組むことのはレイキが得意です なぜなら普通は過去生にアクセスできないからね 今生出来たもので自分の身体が知っているのなら 理由を聞いて寄り添ってあげたいと思いませんか

 

潜在意識は基本的に私たちの目には見えず、何があるのかもわかりません。でも、身体を通してそうした私の部分にアクセスしていくと、答えを得ることが出来るんですよ。そこで必要なのは、寄り添ってあげること。

 

大人(のはず)の自分と、そのネガの役割をしている部分を、イメージでも良いし、身体の部分にその意識を置いても良いので対話してみるのをお勧めします。フォーカシングなどを使えばもっと効果的です。この辺はセラピー的になっていきます。

 

自分の本当に欲しいものはハートに聞く、とよく言いますが、からだが反応することが多いので慣れなのでしょう。人の言ったこと、起こったこと、感情が出てきたとき、それらにフォーカスしてみてください。そのザワザワする感じ、ザワツク感、いやな感じを身体のどこに感じるか探してその部分と対話です。

 

こんまりさんの片づけ術も、ときめくのは頭ではなくて身体なんですよね、あれです~からだはメッセンジャーです。身体が感じられない方はまずボディワークをお勧めします。マッサージとかも。

 

寄り添う事は、相手の話を親身に聞いてあげること。何を思っているのか、どんな感情があるのか、そしてどうしたいのか。

 

そんな対話をしていると、自分が悪い癖と思っている部分にはそれなりの理由がある、あるいは目的があってやっていることが解ります。それが解るだけで解消してしまう事が多いのですよ。気づくこと、理解してもらう事って大切なのですよね。鬼滅の鬼たちと同じなんですね~彼らも元はみんな人間だったしね

 

そんな風に寄り添ってあげると、いつの間にか解決して悪い癖が無くなったり、愛おしくなったり、統合出来る場合も沢山あります。認めて受け入れてあげること、仲間にしてあげること。今まで自分を守るためにやってくれていたことが解ったらねぎらって感謝しましょう。

 

私たちってたぶん身体の使い方、変えた方が良いですね。身体は道具の様で、実は智慧の宝庫。エネルギーフィールドが私たちの本来の姿で、それとリンクして様々な体験をさせてもらうことが身体の役目だとしても、もっと大事にして声を聴いて、その身体で地上的な幸せを体験したいものです。