共同体は沢山ある | 星の砂漠から愛にかえる旅

星の砂漠から愛にかえる旅

潜在意識を探求しながら ルーツにもどる旅の途中
光のタロット・ヒプノセラピー・レイキティ―チャー そしてユダヤの秘教カバラの実践者
『こころの平安』をテーマに様々な心理学やセラピーを開拓中

アドラー心理学をかじりながら思ったこと、スピに関することや人生での経験を含め、勝手につぶやいています♪お手柔らかにお願いいたします(^^)/

 

共同体…続きます。アドラ―が使うこの言葉って私たちにはなかなか馴染めない気がしませんか。ここではあくまでも心理学をベースにして、色々と思考を巡らしていくので、表現としては『居場所』とか『所属場所』でもいいのかもしれないですね。

 

占星術では、4ハウスは家庭の様な、心と体を落ち着いて休ませることのできる場所や団体であると表現します。たとえどんなに電車の音がうるさくても、それが本人にとって居心地の良いものであれば、そこは4ハウスの様な場所。ここって大事なんですよね。だって、もし夜安心して寝る場所がなかったら、朝起きて仕事に行っても頑張れないですから~。

 

そして11ハウスは放課後の趣味やサークル、利害関係のない仲間などと表現します。いずれにしろ、どちらかの様な場所があって、自己受容と仲間への信頼、そして貢献感があれば、十分に共同体感覚を感じられ、自分には居場所があると思えるのでしょう。

 

ところが現代人には、案外そういう場所を持っている人が少ないのだと思います。家族、家庭にしても、針のむしろの様な状態や家族関係、親の義務観や社会の価値観を押し付けて、それに従わせようとする環境は多いでしょう。生きずらいと感じている方の中には、いわゆる毒親に育てられて家庭に居場所を見つけられなかった方も沢山居るようです。ある意味そこから逃れるために結婚する人も多いとか。

12月のピンクアイスバーグ

私たちにとって「共同体」というものは、せいぜい2個、3個位しかないと思っていませんか?家庭、学校、クラブ活動、あるいは会社やご近所さんや友人。

 

アドラーにとっての共同体は、大きなものから小さなものまで沢山あって、様々に重なり大が小を含み、無限に続いているらしいのです。

 

そういわれて探してみると、重なったり周りにたくさんありそうです。どういうことかというと、実は自分が所属できるような共同体は、探せば案外沢山あって、それはちょっと考え方を変えるだけで見つかるもの。そして、決してひとつひとつに所属感や貢献感を感じる必要はないけれど、もし今所属している団体で安心感がないと思ったら、もっと大きな共同体、あるいは別の共同体を探してみることも出来る、というふうに考えられるのです。あなたと私、二人から「共同体」です。

学校でいじめの問題があって、そこに居場所がないと感じたならば、例えばフリースクール、例えば趣味の世界、芸術や音楽の世界、昔ながらの技術を持っている人たちや様々な職人さんたちの世界もある。本人が興味を持っていれば、そうした団体に繋がることも出来るでしょう。

 

今よりももっと大きな視野で、広い範囲で居場所を探せば良いという事です。日本に無ければ海外へ、コロナ禍で行けなければ、ネットでも世界中に繋がることが出来る、そういうことなのではないかと思います。

そうやって違う世界に飛び出していって、私達の内側の世界をつなげていくのは、インターネットが得意です。ましてや、これからの風の時代にネットやSNSを使わないという選択はないでしょう。可能性は山の様にある。もし子供が居場所を探していたならば、周りの協力や親たちの考え方の変化、本人への勇気づけのような周囲の協力が必要かもしれません。

12月のマサコ・イグランティ-ヌ

アドラー心理学には、まるで現代やこれからの私たちの生き方を見越しているような考え方が溢れています。こんな風に追い詰められてしまった私達に、ひと筋の光を届けてくれているのかも…

 

昔なら村社会、今なら島国で同じ特性を持つ日本を超えて、世界中の同じ趣味を持つ人と繋がれる。それは、まるで土星という制限や枠を超えていくような感じで、時間や空間にもとらわれない。

 

アドラーは100年も前に、もうすでに山羊座的経済社会活動を超えた、枠のない共同体を見据えて持論を組み立てていたと思います。なんたってコスミックラブですからね。

 

果てしない宇宙にまで広がった共同体感覚、そんなぶっ飛んだ発想をアドラーはどこから得たのでしょうね。

それならば、今、私たちの居場所として、とてつもなく沢山の共同体があると考えられるわけです。

 

前回のテーマであった自己受容、仲間への信頼感そしてその共同体への貢献感がもてれば、そこは本人が安心して存在できる居場所になることが出来、人はしあわせを感じることが出来る。そういうことになります。

 

さて、居場所としての共同体を見つけるために、親ができることことがあるのか…?小さい頃から子供なりの好奇心を認めてあげて、それを伸ばしてあげることでしょうか。そうして自分は何がやりたいのか、何が好きかということが解っていけば、問題を抱えたり、人間関係でトラブルになったりして一つの共同体に居られなくなっても、別の世界で安心を得られる可能性があるという事ですよね。楽しみとしても、リスクヘッジとしても、居場所は幾つあってもよいのかもしれません。

 

たとえ親や先生、周りの競争原理の中で苦しい思いをしてきたとしても、もしご自身が心から楽しいと感じる趣味や勉強などがあれば、今は様々な形で同じ目的を持つ同志と繋がることが出来るでしょう。10万人に一人の難病の方でさえ、ブログで繋がり、お互いの思いを交歓して情報を得られるような時代です。

 

いつでも、どこに居てもご自身が楽しいと思うことは見つかると思います。もし何もヒントが無かったら、自分の金星が輝くものを探してみることも良いですよね。金星については以前書いてみました。『金星はいつでも光っている』

今年の秋、NHKではずっと引きこもりの問題について特集を組んできています。たまたま『クローズアップ現代』で共感する番組がありました。見逃し配信も少しの間見られるようです。

 

もし、アドラーが提唱する3つの共同体の要件をすべて満たしていなくとも、少なくとも2つ、いえ、たった一つでもあれば…他の条件もいずれ揃ってくる可能性は高いです。

 

そうして個人が安心していられる居場所=共同体を持つことが出来たら嬉しいですね。そこでは、私たちが押しつけられてきた、親、学校や社会による今までは常識とされてきた沢山の『こうあるべき』から自由になれるかもしれません。そして自分自身を受け入れた状態で、信頼と貢献感に満ちた、本当の居場所が持てるかもしれないのです。

 

そういう居場所はきっと誰にでも見つかるはずです。

こんな日だまりの様な場所かもしれないですね。

私も最近はある共同体でミステリーな活動しています♪機会があれば~(^^)/