アドラー心理学をザックリ読み解きながら 今どきのスピ みずがめ座時代の生き方 心の平安 幸せなどについて勝手につぶやいていきます…(^^)/
前回は、アドラー心理学の『共同体』の定義は宇宙全体までのことなんですよ~というお話でした。さて、この『共同体』での『共同体感覚』について。
今まで私たちは、親や学校や社会体制から競争社会で勝てば幸せになれるよと、刷り込まれてきました。私たちは少しでも良い学校、良い職業で良いお給料を得れば幸せになれると信じ込まされてきたんですね。まあそういう時代も確かにあったんですが…価値観は変化していくものです 価値観ですね 煉獄さんも言っています
自分が楽しく、自然体になっていられるような居場所を見つけることは勿論できるはず。たとえば家庭や学校の仲間たちや、趣味や運動のグループは居心地の良い居場所として存在することもある。そこに一緒に居るのは仲間と言うふうに考えたい、仲間だから一緒に何か物事をしたり、一緒に喜び、悲しむことも沢山あるでしょ。
ところがここが悲しいところで、ずっと競争意識で育てられているから、いつの間にかグループの中で自分がどの辺りに居るのかを、本能的に探ってしまうんだよね。
楽しく活動しているはずなのに、私は上?今、前を走っている?みんなから遅れていない?みんなより高い/低い?誰が多く持っている?わたしは?などなど気にするようになる…これ、私たちの悲しい性なのでしょうか。
共同体の中で周りを気にせず、幸せに所属していくことは出来ないのか…
アドラーは『共同体感覚』を、次の3つの事で説明しているそうです。
①『私はその一員だ』という感覚。=所属感
②『共同体は私のために役に立ってくれるんだ』という感覚、ここにいると安全で信頼できる、そんな感覚。
③『私はこの共同体のために役に立つことができる』という感覚。貢献しているという感覚。
野田俊作先生はこの『共同体感覚』について、アドラーとは少し違ったわかりやすい表現で3つの条件を挙げられています。
①『私は私のことが好きだ』という事≒自己受容
②『人々は信頼できる』という=基本的な信頼感
③『私は役に立てる人間だ』と言う=貢献感
①自己受容②信頼感③貢献感の三つですが、これらの中でアドラーと違うのは①の自己受容。
これは人によってはハードルが高いかもしれないですね。日本人には、自分が好きってハードル高い…(-_-;)
ここからは勝手な呟きです…(笑)
怪しいスピで言う自己受容は「私はこのままでOK」的なものが横行していました(笑)でも本当の自己受容は、「このままでOK」でもないし、「何とかなるから何もしなくても大丈夫」でもない。楽天主義と楽観主義は違います。今までの教育が全てにおいて人より抜きん出ろ、だったのでその反動でしょうかね。
レイキでも伝授が進んで行くと、自分を見つめる作業や高い理想へのチャレンジをするように促されてくるのですが、自己受容には、自分を知って出来ることと出来ないこと、自分のポジな所は勿論、マイナス面やネガテイブ面をしっかり認めていく作業が必要になるんです。
自分は何が得意で、出来ていないのはどこか、そしてどうなりたいか…という事もアドラー心理学では独自の理論で取り扱っていきますが、現状を知ることとそれを受容していく事は本当に大事。だって今よりももっと良くなるためにあえてここにきて、様々なギャップに向き合う状況を創っているわけですからね、まずは現在位置を知らないと何処にも行けません…ああ あつく語ってしまった…幸せになるために が目的です
そしてまた信頼と言う言葉も、信用という言葉と比較して述べられています。一文字違うだけで大きな意味の違いのある言葉なのです。
貢献とか信頼だとかは本当に測ることができないものだから、私たちがそれを実際に感じていくこと、作っていくことしかできないんですね。あくまでも個人の感覚。その場所で自己受容が出来、そこの人々を信頼でき、そして誰かの役に立っているという貢献感があれば人はそこに居場所(共同体)を見つけることが出来る。そういうことなのでしょう。
私たちは今までイエスが生まれてからの2000年間、ヒエラルキーや社会構造を作り上げていく過程でルールを作り、競争し、その中でどれだけ上に上がっていくかを目指してきました。それが幸せになる道であり、世界が発展していく段階だったのでしょう。
残念ながら、宗教や民族やお金による戦いが今なお起きているこの世界では、我々がまだ未熟だって言うことなんでしょう。そのため自発的な共同体感覚を十分持てないから、ルールをたくさん作ってそこから外れないようにしてきた。
我々が使うコモンセンスと言うことばは、アドラーが愛用した言葉らしいのですが、彼の使っているコモン=共通と言うのは、地球や地域や国に限らず宇宙全体に、少なくとも人類全体に共通という事だそうです。規模が違います。
アドラーから直接指導を受けたアンスバッハ―という方は『共同体感覚は愛である』と断言しているようです…
そうなってくるとアドラーにとっては、私たちの内側から自然とあふれ出てくるような、生きとし生けるものへ、そして宇宙へも広がるような愛の話になってきます。私たちの生き方そのものにかかわってくるようなもの。
それって誰にも強要できないし、内側から自然に溢れてくるはずのものでしょう。その境地に至るためには、我々がまず自分から愛を出し、これまでと違う発想を転換して生きていく、それが絶対的に必要になってくるわけです。
アドラー心理学の実用的な面もさながら、その根底に流れる何か本当の人類愛というか、宇宙愛?、すべてのものに対する愛みたいなものを感じます。そこに実は絶対的な信頼がある…そんな感覚かな。
私たちは幸せに生きることが出来る、それを自主的に選ぶことができる。そうしたことばをたくさん投げかけてくれる、それがアドラー心理学かなと思うのです。
愛だよ~♪
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