第一中里踏切って 隧道・ガード・人道路 眺めるだけの店だった
第二中里踏切を渡ると左角にでっかいゴルフボールがあります。ゴルフ用品の製造卸販売のライト株式会社本社です。シューズやバッグ、クラブヘッドカバー、ティーなど多彩な商品ラインナップがあるようです。会社のホームページのURLをリンクしておきます。関心のある方は検索なさってください。
かつては重量貨車やコンテナ貨車が長大編成で電気機関車に引かれて走っていたのですがこのところトンと見かけなくなりました。山手貨物線は、1973(昭和48)年に貨物列車を都心の各線路からバイパスさせる目的で、東京の外郭をぐるりと回る外環状線としての武蔵野線が開通してから山手貨物への貨物通過が減っていきました、
旅客列車に供用されたのは、1986(昭和61)年の埼京線が池袋駅から新宿駅まで乗り入れたのが最初で、2001(平成13)年には湘南新宿ラインが池袋から先に直通して、中里トンネルをくぐって東北本線に入って、赤羽駅、大宮駅方面に直通するようになりました。
山手線が内回り外回りの複線で、山手貨物線は大崎駅で大崎支線を経由して品鶴線(横須賀線)に連絡していて、駒込駅から先は東北本線の貨物線へとつながっています。つまり、山手線は、大崎駅から駒込駅までの間は複々線になっているので、大崎駅と池袋駅間は、各駅停車の山手線、快速運転の埼京線・湘南新宿ラインと見ることもできるわけです。
山手線の線路際に勾配標がありました。表示は10‰(パーミル)を表していて、1000m進んで10m上がると読みます。
反対側は7‰(パーミル)なので1000m進んで7m下がると表しています。近年の車両の性能向上で急勾配も難なく通過するように見えていますが蒸気機関車がけん引する時代には、わずかな勾配も難儀したものです。ですから山手線の建設時にはなるべく平坦になるようにと丘を削り、谷を埋め、間に合わなければトンネルを掘って、橋を架けて、築堤を築いてと大変な苦労をしてきたんですね。
関東地方では、今は新幹線開通により廃止された区間である信越本線の碓氷峠越えのアプト式鉄道やスイッチバック方式の箱根登山鉄道などが急勾配線として知られています。
ところで、現在の山手線でただ一つ残っている踏切が「第二中里宇踏切」だと紹介しました。だったら第一はどうなったのか? そうです第一中里踏切もあったんです。山手線と山手貨物線との高低差があるため自動車用ではなくて人道専用の踏切でした。すでに廃止されてしまっているので痕跡を見つけるのは難しいのですが、おそらくこのへんだったと思います。
オシロイバナがありました。夕方になると花が開くめずらしい花です。子どものころは、花の根元にある緑の球をそおっと持って取り外し、多摩を覆っている緑の部分をはがし、花びらの首をつかんでゆっくりひっぱると雌しべのひもが伸びてきて出口で雌しべがひっかります。これで花けん玉の出来上がりです。
花の首をもって球をブラブラさせて、ヒョイと合わせると球が花びらに乗っかるんです。花の真ん中にすっぽっと入ったときは気持ちいいんです。花にとっては迷惑だったことなんだけれど、そんな遊びで楽しんでいました。ピコピコ電子ゲームなんかない時代のお話です。
なんだか珍しいトンネルです。山手線と山手貨物線の下をくぐっています。
中里第一隧道と銘板がついています。邪推をすれば、第一中里踏切を廃止したことで横断していた人々を不便を解消するために踏切の代わりにトンネルを造った、ということではないでしょうか。「第一」と名づけているところに思いが込められているような…。
中里第一隧道に並んで歩行者区分のないガードがあります。自動車専用みたいです。2車線ギリギリのガードなので歩行者通行のために隧道を建設した、という説明の方が説得力があるのかしら。
中里用水ガードと名前がついています。じつは、このガードは川の上にかけられていた鉄橋ガードだったというわけ。日本鉄道が山手線を池袋駅から延伸して田端駅までの区間を建設したのは1903(明治36)年のこと。そのころここには谷田川が流れていました。流域特有の呼称があったので、おそらく中里地域を流れる用水だと鉄道は判断したんでしょうね。その後大正時代に入って谷田川は順次暗渠化されて行って道路として使われるようになっていきます。、
あはは、「山手電車」という呼び方は断然いいですね。
川を暗渠化したせいか桁下3.0mと低いので背の高い自動車や高さのあるものを積んだ荷台の自動車は通過には十分用心してほしいものです。
現在は山手貨物線となっている線路の下は赤レンガ積みになっています。かつてが川の上に架かっていた鉄橋とすれば、このレンガ壁は橋脚なわけで1903(明治36)年の開通当時のママと思われます。自動車専用ではなさそうだけれど、自転車も歩行者も十分注意して通行してくださいね。
ホームが見えてきました。まもなく駒込駅です。あきぼうは、中学受験をして一年生からは初めての革靴を履いて、初めての通学定期券を購入して、田端駅裏口から山手線に乗車して朝晩駒込駅を車内から眺めて通過していました。
駒込駅のプレートが見えました。駅開業は1910(明治43)年です。
じつは、中学高校時代下校時は山手線外回り電車で先頭から3両目に乗車していました。田端駅の裏口に出るのに都合の良い階段位置になるからです。すると、駒込駅の車窓からは黄色い看板に指を開いた下向きの手の平にコーヒー豆が2粒描かれたコーヒーハウスぽえむが見えたんです。その絵が人の顔に見えていて面白いなぁ~、と記憶に残っていたんですね。
それがある日、永島慎二の漫画に若者集まってくる「コーヒーハウスぽえむ」があったんですね。気になっていたんだけれど、まだコーヒーを飲む年齢には達していなかったんです。
でね、そのぽえむのあった辺りを検討付けたんだけれどキーコーヒーブランドだけれどカラオケスタジオになっていました。近所の店の主人に尋ねたのだけれど確証は得られませんでした。ぽえむのコーヒーを飲んで味わっておけばなァ~と。
ノスタルジーに浸ったことだし、そろそろ帰りましょうかね。制限高さは2.3mです。バスケット選手だったら頭上注意でしょうかね。
さて、JR東日本、駒込駅、東口との案内があるんだけれど、その横には、山手電車、中里道ガードとなっているんです。つまりね鉄道架道橋ではあるけれど駅構内施設ではないということ。
種明かしするとアザレア通りという通称がある都道455号線なんです。ホームは上を通っているけれど、駅施設は道路に面しているというだけなんですね。
では東口改札へ向かいましょう。
階段も狭いですよ。昔の設計のママなんでしょうね。
でもね、ホームドアは内回りも外回りも施工済みですよ。屋根は昔のママで屋根を支える柱には古レールが用いられていますよ。
内回り電車が入線してきました。E235系です。古い駅から最新電車に乗って家に帰ります。では、また新しいシリーズまでお待ちください。しばし写真ミニ旅ブログが休止です。長梅雨で外出できないことと夏休みなので王子から王子×2が遊びに来ているので、行動基準は王子が優先となりました。
珈琲や 詰襟で嗅ぐ 百合の花 (秋望)